信念がないのに、あるように見せるには

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日本は「自分を持つ」のが難しい社会です。学生、社会人にかかわらず「自分」を育てない環境がある。学校や習い事で、「自分の意見を持ちましょう」などと教えられたことはありませんか? しかし、そんな問いかけ自体、まさに自発性を認めていない前提から発せられているわけで、実に矛盾に満ちたものです。

■大人にも「反抗期」がある

自分を持つには、従順さが邪魔になるところがあります。従順さを美徳としてきた日本では、「反抗」は、ともすれば悪と見なされ、その意義があまり認められてきませんでした。しかし、信念を持つには、たとえば会社や上司から押し付けられる常識を、疑ってみることも必要です。反抗としては、赤ん坊のイヤイヤ期や、10代の思春期はよく知られていますが、大人だからこそ考えたい「反抗期」があるのです。

哲学者のニーチェは『ツァラトゥストラはかく語りき』で、こう言っています。「人はラクダから変身して獅子になり、小児になる」。ラクダとは、従順・勤勉の象徴。一人前の社会人といったところでしょう。リクルートスーツを着て、「御社のために」と頭を下げる就活生は、まずはラクダを目指しているわけです。

ニーチェは、このラクダは「龍」によって支配された存在だといいます。龍は、思春期であれば親や先生でしょうが、大人の反抗期では、世間の常識だといえます。しかし、受け身なラクダから、龍を倒すために、人は獅子になる。つまり「自分」を取り戻す最終決戦に臨むのです。

では、どうやって獅子になるのか。それは、「本当にそうか」「それでいいのか」という問いかけを続けることにほかなりません。この最終決戦は、30代以降に訪れるもので、ここで人生が大きく分かれます。その先の小児とは、無邪気で純粋な遊び心を持った、成熟したクリエーティブな状態を表しています。

■柔軟な人は芯があるのか、ないのか

ラクダの言葉と獅子の言葉は、明らかに違うものです。たとえば、ビジネス書にある成功者の言葉をただ並べたような借り物の言葉や、はやりの横文字を連発するようなものは、ラクダの言葉です。対して、自分の中で吟味をし、常識の手垢を落とした言葉こそ、獅子の言葉です。本人の血肉になった言葉かどうかは、聞く人が聞けばわかるものです。

信念とは、自分を持つことなのですが、しかし、硬直した「信念」にとらわれていては、頑固なわからず屋にしかなれず、これも自分を持っているとはいえません。

「芯がある人」がどんな人かについて考えてみると、意外にも、外が柔らかい人だといえるでしょう。つまり、内骨格を持っていると外側は柔らかい。対して、外骨格では内側がふにゃふにゃしている。つまり、自分がしっかりと内側にある人は、むしろ外面的には柔軟なのです。

見栄えのいい「信念」を必要としているようではダメで、自分が確立されれば、むしろ些末な「信念」は邪魔なもの。借り物の「信念」で外骨格を固めるのではなく、鍛えられた「自分」という内骨格を持ち、柔軟でいる。それが芯のある人であり、他人からも評価されるのです。

(精神科医 泉谷 閑示 構成=伊藤達也)