東京には、いろいろな妻達がいる。

良き妻であり、賢い母でもある良妻賢母。

夫に愛される術を心得た、愛され妻。

そして、あまり公には語られることのない、悪妻ー。

これは、期せずして「悪妻」を娶ってしまった男の物語である。

女性の美に並々ならぬ執着を持つ藤田は、若く美しい妻・絵里子と結婚する。

だが、奔放すぎる美貌の妻との暮らしに限界を感じ、別離を考えるまでになる。

妻・絵里子の想いをよそに、小野が主催するクリスマスパーティに向かった藤田は?




“少人数”のホームパーティ


「わぁ!クリュッグ持ってきてくださったんですか?嬉しい!!」

小野は、心底嬉しそうに友人たちにシャンパンを見せびらかす。藤田は、たかがシャンパンでここまで喜ばれるとは思っておらず、その笑顔を見て緊張がほぐれた。

小野の自宅に来るのは、これで2度目になる。笹塚駅からほど近い広めの1LDK。

女性の独り住まいも多いらしく、セキュリティのしっかりとした割と良いマンションだ。

少人数ということで、室内には藤田を入れて5人しかいない。テーブルには、小野が作ったというローストビーフや、キッシュ、サラダなどが彩りよく並べられている。

藤田がいつも招かれているような、タワーマンションで開かれるホームパーティーとは、雰囲気が圧倒的に違う。

家庭的で、少しばかり洗練さに欠けていて、でも温かい。

必死で友人たちや自分をもてなしてくれる小野に、藤田は段々と本気で惹かれていくのを感じた。

ひとり、またひとりと客が帰ってしまっても、小野は藤田に酒を勧めることをやめない。

とうとう2人きりになってしまったが、藤田は気まずさを感じるどころか、居心地の良さを覚えた。

小野には、話したことを何でも受け入れてくれるような、そんな包容力を感じる。

絵里子のことを聞かれたのでふいに愚痴ると、小野は悲しそうな目で自分を見つめながらこう言った。

「私なら、藤田さんに絶対にそんな思いさせないのに…。」

藤田はこの夜、吹き飛びそうな理性を何とか保ちながら、小野の家を後にした。


藤田の心は完全に小野のものになってしまうのか?


絵里子との関係は?


藤田がかなり酔った状態で帰宅すると、実家に帰っているはずの絵里子がソファに座っていた。

酔っているからなのか、絵里子を見ても今までのように激しく心をかき乱されない。

予想外の展開に少し驚いたが、藤田は自分から絵里子に声をかけた。

「絵里子。実家のご両親は、なんて言ってた?」

「え、何のこと?」

怪訝な顔をして、絵里子がこちらを睨んでいる。

「何って…僕らが離婚に向かってる、ってことについてだよ。」




比較的穏やかに伝えたつもりだが、それが逆効果だったのかもしれない。

怒り狂った絵里子は、ソファの上のクッションを思い切り藤田の方へ投げつけてきた。

「どういうことよ!!」

絵里子の息は荒く、涙を流しながら手当たり次第に物を投げ続ける。

しかし、藤田には絵里子の気持ちが全くと言って良いほど分からなかった。

あれほど自分の束縛や想いを受け入れるのを嫌がっている絵里子が、なぜこんなにも動揺するのかー。

「私の気持ちなんて、全然わかってないじゃない!!」

そう言いながら絵里子が投げたテレビのリモコンが、ちょうど藤田のメガネに当たり、それはやや大げさな音を立てて壊れた。

それを見た絵里子は、ハッと我に返ったのか下を向いて黙ってしまう。

「…な、絵里子。絵里子ちゃん。僕たち、寄ると触ると些細なことがきっかけで、こうやって言い争いになるじゃないか。もう、相性が合わないんだよ。」

藤田は、先ほどまで過ごしていた小野との、穏やかな時間を思い出しながら喋っていることに気がつく。

「藤田さんは、私と離婚したいのね。」

下を向いたまま、絵里子が呟くように言った。

離婚がしたいわけじゃない。

初めは奔放すぎる、妻らしからぬ行動や、他の男へ頼るのをやめないことがひっかかっていた。

しかしそれ以前に自分たちは、性格の相性が悲劇的に合わないのだ。

小野という安心できる女性の良さを知り、その女性も自分に好意を持っていると確信を持てた今、藤田は絵里子に対する執着のようなものが驚くほど消えていた。

絵里子がどんな反応をしようと、自分の心は決まっている。

自分は、穏やかで、波風のない生活を求めているのだ。

今までも、そしてこれからも。


絵里子と藤田は、離婚してしまうのか?


新しい出発


ー半年後ー

「直樹さん、こっちこっち!」

カラッとした晴れ間の広がる日だった。

藤田は、自分の隣に駆け寄ってくる1人の女の顔を、満足げな顔で眺めた。

「今日で、小野という名前ともお別れなのね。藤田友里江になるのね。」

しみじみと呟く友里江の顔を見ていると、藤田は心の底から平穏を感じることが出来る。

これから、友里江と2人で渋谷区役所へ、婚姻届を出しに行く。

自分と結婚することで、こんなにも幸せそうな表情を見せてくれる女性を妻にすることが、至極真っ当なことに感じた。

前妻の絵里子との生活は、なぜか世間にも、親にも、誰にも認められないような、そんな後ろめたいような気持ちになる瞬間が多く、藤田は戸惑っていた。

だが、友里江を妻にすることは、心から「正しい」と思える。

あれほど女性の美しさ、造形の美に拘っていた日々はなんだったのだろうか。

「友里江、でもその前に、ランチでしょ?『ビストロ ブノワ』を予約したから。」




『ビストロ ブノワ』へ向かう道すがら、藤田は絵里子との離婚のことを思い返していた。

離婚の話を初めてした時はプライドが傷ついたのか、慰謝料をもらう、絶対に納得できないと息巻いていた絵里子だったが、しばらく経ったところで納得したようで、すんなり離婚に応じてくれた。

あの時の、絵里子の悲しそうな顔がやけに脳裏にちらついて離れない。が、自分は前に進んだのだ。

考えるのをやめよう、と思った。

いくら子供がいないとはいえ、離婚をするのは、結婚の数十倍の気力を使う上に、神経がかなり消耗される。
だが、そんな時も自分を支えてくれたのは友里江だった。

「離婚をするのもしないのも、どちらの選択をしても結局後悔もするし、これで良かった、とも思うものなのよ。」

そんな風に、結論を急かすでもなく見守ってくれた。そんな友里江の姿に、藤田は無償の愛を感じたのだ。

「ねぇ、直樹さん。私、幸せよ。」

そう言って微笑む友里江は、確かにいわゆる「美人」ではないかもしれない。

だが、自分に欠けていたものを埋めてくれるような、そんな存在なのだ。

「ワインも飲みたいけど、ガマンガマン。妊娠してるかもしれないもんね。直樹さんは飲んで。」

友里江のたっての希望で、絵里子との離婚が成立して数ヶ月経った時に、入籍前だが子作りを始めた。

藤田の両親も、友里江の両親も、新しい門出をみんなで喜んでくれている。

そんな好意的な周囲の優しさも後押しとなり、藤田は”平凡な幸せ”も悪くない、と思い始めていた。

だがー。

ワイングラスを傾けていると、ふと絵里子と2人ワインを飲んで語り合った夜のことを思い出してしまう。

街を歩いていてバッサリと髪の短い女性を見かけると、異様に動揺してしまうこともある。

藤田は明らかに、絵里子を思い出させるすべてのことに、感情をかき乱されている自分を認識していた。

今も耳朶に残る、あの絵里子の甘ったるい声。

ー藤田さん。

一瞬、絵里子の声が聞こえたような気がした。藤田は、そんな幻聴を打ち消すかのように、目の前のワインを飲み干した。

▶NEXT:1月12日 金曜更新予定
次週、最終回。藤田と絵里子のその後とは?