新年明けましておめでとうございます。2018年もよろしくお願いします。

 本日は1月2日だが、すでに働いている人もいることだろう。仕事始めが1月2日からというのは日本以外の世界の「常識」だ。一方、全世界の華人世界では新年は「春節」(=日本でいう旧正月、2018年は2月16日)から始まることも「常識」にしておきたい。

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実質的な「米中G2時代」の始まり

 さて、2017年の最大の問題は、なんといっても「いま、そこにある危機」、すなわち北朝鮮の核ミサイル問題への対応であったことに異存はないだろう。予測不能な2人の政治指導者、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)委員長と米国のトランプ大統領の挑発と応酬の繰り返しが続いており、一触即発の状況は年を越して現在も継続中だ。

 明らかになってきたことは、北朝鮮は決して問題解決の主役ではないということだ。北朝鮮に影響力を行使できるのは、国境線を接している大国の中国をおいてほかにない。米中関係こそ問題解決の中心にあることは、日本国民も理解するようになってきた。こと北朝鮮問題に関しては、実質的に「米中G2」状況になっているのである。

 覇権国の米国に「世界の警察官」の役割を依存してきた日本人にとって、中国の急速な台頭に不安感を抱くのも当然といえば当然であろう。だが、「米中G2時代」という現実から目をそらしてはいけない。事実を事実として認識することが重要だ。ただし、その事実をどういう角度から見るかということも重要だ。

日米関係と日中関係の歴史

 日本にいると、どうしても日本を中心にものを見がちである。東京にいると東京中心にものを見てしまうのと同様だ。つまり居場所と立ち位置によって認知バイアスが発生するのである。自分を思考の軸に置くのは当然だが、バイアスの存在そのものは意識しておく必要がある。好き嫌いに関係なく、自分にとって見たいもの、都合のいい側面だけを見てしまう傾向が人間にはあるからだ。

「日中関係」と「日米関係」という日本を中心にした「二国間関係」だけで見ていると、日本が介在しない「米中関係」という「二国間関係」は見えてこない。米国も中国も広大な領土をもつ「大陸国」であり、島国の住人には「米中関係」を理解するのは容易ではない。

「米中関係」について見ていく前に、まずは整理のために日米関係と日中関係を歴史的な観点から押さえておこう。それは、米国の太平洋進出の歴史から始まった。

「日米関係」は、米海軍のペリー提督による1853年「開国」以来165年の歴史がある。近代化路線に邁進した日本は、太平洋の覇権をめぐる日米戦争で無条件降伏したあと米国を中心とする連合国に占領され、独立を回復してからは覇権国となった米国の勢力圏のなかで生きてきた。戦後の日本復興は米国の支援がなければ不可能だったが、その後の日米関係は愛憎相半ばする関係が続く同盟国である。

「日中関係」は、日米関係と比較するときわめて長いというのが常識だろう。だが、主権国家同士の本格的な二国間関係が生まれたのは明治維新後の1871年のことだ。日米関係よりも18年短いのである。明治維新を経ていちはやく「近代化」の道を突き進んだ日本と、「近代化」が遅れて始まった中国との関係は、日米関係と同様、戦争がからんだ複雑で愛憎半ばするものである。

 日本人の意識のなかでは、「超大国・米国」と張り合ってきた「先進国・日本」、そして「後発国・中国」という日米中の関係は、1894年の日清戦争以来100年以上も続いてきた。だが、米国の相対的なパワーの弱体化が続いており、しかも2010年にはGDP規模で日本は中国に抜かれてから、日本では不安感が強まっている。中国のGDPは、2017年現在ではすでに日本の2.5倍、軍事費は日本の8倍の大国である。差が開く一方だ。

 ビジネス面では日本企業にとっては生産基地であり市場と認識してきた中国だが、近年ではビジネスの世界でも中国企業の躍進ぶりが著しい。日中の政経関係が「ねじれ」の関係にあるだけでなく、経済でも後れを取りつつあるのではないかという焦りも日本には生まれている。

 中国の台頭は、太平洋をめぐる安全保障状況も変えつつある。米国の相対的なパワーの弱体化により、太平洋の主役が日米から米中にシフトしつつあるのが現状だ。だが、米中関係を考えるにあたっては、そもそも米国が太平洋に進出したのは19世紀半ば以降のことに過ぎないことを改めて強調しておこう。

 米国による日本の「開国」は、基本的に中国市場へのアクセスと補給基地確保という、ロジスティクスの観点から行われたものだった。遅れて進出した米国にとっては、最初から中国が念頭にあったのである。

 そしてこの時代から、人的関係を通じた米中関係の歴史が始まる。大陸横断鉄道の建設に必要とされた労働者が、中国から移民として大量に渡航することから始まった。中国人労働者の最初の上陸地となったがサンフランシスコだ。「ゴールドラッシュ」の時代でもあった。

 その後、1882年には米国議会が「中国人排斥法」が可決され、1943年に対日戦争で中国を側面支援するため廃止されるまで続いた。実際に中国人移民が大規模に再開されたのは1965年以降のことであるが、米中関係の歴史は日本人が想像する以上に長くかつ深い。

草の根レベルの人的関係が支えている米中関係

 サンフランシスコといえばチャイナタウンが有名だ。中華料理に関しては、サンフランシスコは世界最高だという説もある。また、米国の中華料理店では、食後にかならず出てくるフォーチュンクッキーというお菓子がある。2つに割ると中から英語の格言が書かれた細長くて白い紙がでてくるお菓子のことだ。起源は日本のようだが、サンフランシスコの中華料理店から全米に普及が始まったという。

 2017年12月に大阪市が、慰安婦像問題で姉妹都市解消に踏み切ったサンフランシスコ市の市長(当時。昨年12月に心臓発作で突然死)は中国系初の市長であったが、すでに1990年代前半には隣接するバークレー市にあるカリフォルニア大学バークレー校では中国系米国人の学長が誕生していた。

 現在では、1965年以降に本格化した中国系移民もすでに数世代を経ており、第2世代以降は米国社会に同化して、全米各地にあるチャイナタウンから飛び出している。米国の総人口のわずか1%強の中国系だが、総人口の2%のユダヤ系と並んで教育熱心であり、ビジネスだけでなく大学や政府機関などさまざまな分野で活躍している。米国における存在感は、かなり大きなものがある。

米国は戦略的に「親米派」中国人を育成してきた

 逆に米国の側からは中国に対してどのようなアプローチがあったのだろうか。歴史的に振り返って見ておこう。

 中国を巨大な「市場」とみてきたのは、米国に限らず西欧列強や近代日本も同様であったが、米国の際だった特徴は、中国へのアプローチの根幹にプロテスタント系キリスト教の布教を据えてきたことにある。

 20世紀前半の米国人プロテスタントのキリスト教宣教師たちは、中国人をキリスト教に改宗させることをミッションにしただけでなく、米国のシンパを1人でも増やすべく活動を行ってきたのである。中国の農民を描いた『大地』などの大作でノーベル文学賞(1938年)を受賞した、中国生まれで中国育ちの米国人作家パール・バックもまた宣教師の娘であった。

 現在の中国共産党政府は「反西洋思想」を前面に打ち出しているが、キリスト教の影響力が侮れないものがあることの裏返しでもある。中国共産党が中国大陸を制覇し中華人民共和国の建国(1949年)後、米国人宣教師はすべて追放されているにもかかわらず、2030年までには中国は米国を抜いて、人口規模では世界最大のキリスト教国になるという予測すらある。そのタネを蒔いたのは、主に米国人宣教師たちなのだ。

 もちろん、反キリスト教の歴史も長い。反キリスト教の立場からの反乱が起きたのが、清朝末期の北京を舞台にした1900年の義和団事件だ。鎮圧には日本も含めた8カ国連合軍が出動しているが、米国からは海兵隊(マリーン)が派遣されている。

 事件処理にあたって多額の賠償金が清朝政府から行われたが、米国は賠償金支払いの代わりに、その資金をもって「辛亥革命」の年である1911年に北京に大学を設立した。現在の精華大学は、「親米派」を増やすために作られたのである。朱鎔基や胡錦濤、習近平に至るまで、中国共産党のエリートは精華大学で理系の学問を修めた者が少なくない。米中をつなぐ太い地下水脈の1つが精華大学なのだ。

 米国の大学は、中国から留学生を誘致しようと躍起になっている。わが母校のレンセラー工科大学(RPI)も、日本を素通りして中国ばかりに目がいっているのは卒業生としては残念なことだ。このほか少なからぬ米国の大学が、上海など大都市に分校を開設しているのは学生誘致戦略の一環である。中国の“ベスト・アンド・ブライテスト”は留学先として米国を第一志望とし、二番手は日本を目指すというのは否定できない現実だ。

 米国では、どんな小さなスペースにもバスケットボールのゴールが設置されている。中国でも状況はよく似ており、工場敷地を含めて至る所に設置されている。中国のバスケットボールの歴史は1898年に始まるが、宣教師によるYMCA(キリスト教青年会)ルートを通じてのものであった。建国後には米国人宣教師を追放した中国共産党だが、バスケットボールは一貫して奨励してきた。中国にはプロリーグもある。米国のプロリーグNBAで活躍したヤン・ミン選手が出てくるような素地が中国にはあるのだ。

 日米はベースボールでつながっているが、米中はバスケットボールでつながっているといってもいいだろう。ベースボールもバスケットボールも、ともに米国生まれのスポーツだが、中国もまた草の根レベルでは長期にわたって米国のソフトパワーの影響を受けてきたのである。

米中関係はいまだに「相思相愛」

 21世紀の米国人ビジネスパーソンたちの中国へのコミットぶりは、20世紀の米国人宣教師たちと二重写しのような印象さえ受ける。会計制度を含め、中国のビジネスインフラを整備してきたのは米国である。もしかすると、宣教師的な情熱がビジネスパーソンにも無意識レベルに存在するのかもしれない。

 国家安全保障関係とは違って、ビジネスの世界では、米中関係は依然として相思相愛の関係にあるといっても過言ではない。米国のビジネス雑誌に目を通している人なら、中国市場関連の記事がきわめて多いことは常識だろう。日本語情報との大きな違いだ。

 実業家トランプ大統領の孫娘が中国語を習っていることが大統領の中国公式訪問の際に話題になったが、シンガポールを拠点にしている米国人投資家ジム・ロジャーズもまた娘に中国語を学ばせている。フェイスブックの創業経営者マーク・ザッカーバーグはユダヤ系だが、ビジネスを意図したわけではないにしても、大学の同級生として出会った配偶者が中国系米国人の医師であることは象徴的だ。

 国家レベルでは、国益の観点から互いに牽制し合う関係の米中だが、中国人の米国への憧れは依然として強いものがある。国家の公式イデオロギーと一般市民の願望とは一致しないことが多い。違法か合法かを問わず、大金を手に入れた者は制約の多い中国から脱出して米国に移住したいと考える。人権活動家は、迫害を逃れるために米国に亡命しようとする。一般人は、純粋に米国に憧れを抱く。その中でも資金的に可能な者は、米国のトップ大学への留学を目指す。

 政府高官の子弟もまた、米国のトップ大学への留学が多い。習近平総書記の娘がハーバード大学に留学していたことにも見て取れるように、留学させる側と留学を受け入れる側の利害が一致しているのである。留学受け入れのF-1ビザを発行するのは米国政府である。

 こういったことは、島国の住人である日本人には、感覚的に理解しにくいことかもしれない。

「競争と協調」というマインドセットが重要

 中国の存在感は、今後アジアのみならず世界のなかで、経済的にも政治的にも、ますます増大していくことだろう。いずれ膨張が止まる日が来るとしても、日中の格差は開いたままの状態が続くことになる。「米中G2時代」のなか、日本と日本人はどう生きていくべきだろうか?

 ビジネスの世界では、競合先との関係においても「競争と協調」は当たり前のように行われている。競合先は決して敵対相手ではないのである。ときには協力し合うこともある。「競争と協調」というマインドセットは、ビジネス以外の世界でも同様に適用すべだろう

「競争と協調」を実践するにあたって重要なのは、好き嫌いや価値観にこだわりすぎることなく、実利をベースにすることだ。事実をもとにして、リスク評価を踏まえた現実的で冷静な判断を行うことである。そして、何よりも重要なのはバランス感覚だ。米中いずれか一方の側に依存するという情緒的な甘えや、実利だけを最優先させるという発想もとるべきではない。黒か白かの二者択一は、思考停止と同じである。

 もちろん国家安全保障問題がからんでくると簡単ではない。「シャープパワー」という形で、英語圏諸国への情報工作が顕著になってきていることは、昨年12月に英エコノミスト誌の特集でも取り上げられたとおりだ(「中国、『シャープパワー』という新たな影響力」)。関係が密接になればなるほど、そういう問題が発生してくることに留意しなければならない。

 北朝鮮問題がどう解決されるの分からないが、「米中G2時代」は、たいへん複雑でやっかいな状況であり、難しい舵取りが日本人には求められることになる。思い込みや希望的観測を捨て、勇気をもって手探りであっても前へ進むこと。そして、さらなる知的体力の増強が求められる一年となるだろう。

筆者:佐藤 けんいち