2017年1月20日、民主党下院議員など60人ほどが欠席するなか行われたドナルド・トランプ第45代米国大統領の就任式。

 元大富豪ビジネスマンが、人々の感情を煽り、科学的事実を無視したような発言を繰り返し、「America First」の「公約」を強行していく、「Post-truth」時代が始まった。

 早速、イラン、イラク、リビア、ソマリア、スーダン、シリア、イエメンの7か国国民の入国を90日間禁止する、などとした「外国人テロリストの米国入国からの国家の保護」と題する大統領令にサイン。選挙戦での社会を分断する「公約」を推し進める。

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選挙イヤーだった2017年

 2017年は、欧州選挙イヤーでもあった。

 オランダ議会選、フランス大統領選、ドイツ議会選。マルク・ルッテ首相、エマニュエル・マクロン大統領、アンゲラ・メルケル首相が勝利し、英国が離脱に向かうなか、反EU政権は誕生しなかった。

 しかし、フランスでマリーヌ・ルペン候補が決選投票に進み、歴史的教訓があるはずのドイツでも極右政党「ドイツのための選択肢」が第3党に、「移民・難民の通り道」ポーランド、チェコ、ハンガリーなどもEUの移民・難民受入れ政策に反対している。

 トランプ政権は、年末となっても、独自姿勢を推し進め、世界を攪乱し続ける。

 エルサレムをイスラエルの首都と認め、在イスラエル米大使館をテルアビブから移転する意向を示したことから、パレスチナ国家独立とイスラエルの共存を目指す「2国家解決」の和平プロセスを壊す、と国際社会は反発。

 国連安全保障理事会は、首都認定撤回を求める決議案を採択したが、米国が拒否権を行使し否決。

 イスラム圏諸国の要請を受け、米国が「賛成すれば援助中止」をちらつかせるなか行われた国連総会緊急特別会合で、認定決定は無効とする決議を賛成多数で採択した。

 しかし、米国、イスラエルのほか、グアテマラ、ホンジュラス、マーシャル諸島、ミクロネシア、パラオ、ナウル、トーゴの9か国が反対、オーストラリア、カナダ、メキシコ、ハンガリー、チェコ、ポーランド、フィリピンなど35か国が棄権、欠席も21か国あった。

 自国第一主義をあからさまに語り、イスラム教世界もユダヤ教世界も、キリスト教世界も仏教世界も、欧米もアジアも、先進国も途上国も、旧西側も東側も、排他的姿勢を隠そうともしない世で、「壁」の増殖ぶりはまるで大戦前夜1930年代のようだ。

 1934年、エルサレム旧市街。

 「嘆きの壁」を前に、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教それぞれの聖職者が、聖なる遺物の盗難容疑者として並ぶ。しかし、エルキュール・ポワロが、大衆を前に示した真犯人は、動機に乏しい清貧の3人ではなく、英国警察・・・。

 12月公開となった『オリエント急行殺人事件』(2017)は、冒頭、ベルギー人名探偵が、第1次世界大戦時の二枚舌外交でアラブユダヤ対立を根深いものにした張本人、英国の委任統治領だったパレスチナの首都エルサレムの政治的宗教的現実を示す。

1933〜39年だけで20万人が流入

 19世紀末からパレスチナの人口は急激に増加。しかし、主にロシアのポグロムから逃れてきたユダヤ系移民の占める割合はあまり高くなかった。

 1934年はドイツでヒトラーが「総統」となった年。ユダヤ人迫害が進む1933〜39年の間だけで、20万人あまりが流入、アラブ人との対立は顕著となっていった。

 第2次世界大戦中、次々と強制収容所へ送られ、迫害されたユダヤ人たちは、戦後、多くが「約束の地」パレスチナへと向かった。

 そして、英国から問題を丸投げされた国連は2つの国家を建国、エルサレムは永久信託統治とする「パレスチナ分割」を決議。

 しかし、イスラエルは独立を宣言、第1次中東戦争が勃発し、1949年の休戦協定で西エルサレムをイスラエル、旧市街を含めた東エルサレムをヨルダンが統治することになる。

 さらに、1967年の第3次中東戦争で、イスラエルはエジプトのガザ地区、シナイ半島、ヨルダンの東エルサレムを含むヨルダン川西岸を、シリアのゴラン高原を占領。

 第4次中東戦争後、イスラエルはエジプトと単独講和を結んだことから、シナイ半島は返還したものの、残りは実効支配を続け、1993年のオスロ合意後、占領地をパレスチナ自治区として認めることになったのである。

 そんなシナイ半島北部、ビル・アルアブドのラウダ・モスクが、11月24日、襲撃され、300人以上が犠牲となる大惨事となった。エジプトでモスクがテロの標的となるのは初めてのことである。

 イスラム過激派によるモスクへのテロは、シーア派を「イスラムからの逸脱」とするIS(イスラム国)による、イラク、サウジアラビアなどでの、シーア派モスクへの襲撃がある。

 しかし、エジプトはスンニ派の国。今回標的となったのは、「スーフィー」と呼ばれる神秘主義者の集まるモスクで、「ISシナイ州」が、スーフィーを「イスラムからの逸脱」とみなし行ったと考えられている。

ISに勝利宣言はしたものの・・・

 そんなISにも、一時の勢いはなく、7月、最大拠点イラク北部モスル、10月にはシリア北部「首都」ラッカを失った。シリアのアサド政権軍も、イラク政府も、ISとの戦いでの「勝利宣言」「終結宣言」を出した。

 しかし、敗走した幹部や戦闘員が、アフガン、リビアなど、国家統治が破綻している地域に新拠点を築こうとしていると言われ、最高指導者バグダディの消息もつかめていない。共感者も各地に散らばっており、テロへの懸念が消えることはない。

 それから間もない12月初め、長くイエメンで独裁を続け「アラブの春」で退いていたアリ・アブドゥラ・サレハ前大統領が殺害された。

 退任後も軍や政府に強い影響力をもち、2015年に始まり、死傷者・難民を数多く出し続けている内戦でも、ハーディ大統領を支持するサウジ主導のスンニ派諸国連合軍と戦闘を続けてきたフーシ派と連携していたサレハ前大統領。

 しかし、一転して、「サウジとの和平協議の用意がある」と表明したことにフーシ派が反発、殺害に及んだのだった。

 フーシ派の背後には同じシーア派のイランが控えているが、ほかにも、レバノン、イラク、シリアなど各地で、サウジとイランは対立する勢力を支援している。

 それはスンニvsシーアの宗派対立をバックにした覇権争いだが、2015年以来、父である高齢の国王に代わり実権を握り、6月にはサウジ皇太子ともなったムハンマド・ビン・サルマンの急進的改革路線がことを先鋭化させている。

 そんな不安定な状況にある中東に、さらなる混乱をもたらしたのが、トランプ政権のエルサレム首都容認だった(後日改めて「映画と旅する歴史の舞台〜中東篇」で詳述予定)。

 事件解決依頼を受け、イスタンブールでの休暇をあきらめ、ロンドンへと向かうポワロを乗せたオリエント急行は、ドーバー海峡を介し英国に面するフランスの港町カレーに向かう。

 しかし、ユーゴスラビア山中で雪崩に遭い立ち往生するなか、殺人事件が起きてしまう。被害者は悪徳美術商だが、その正体はかつて世を騒がせた空の英雄の娘誘拐殺人事件犯人・・・。

ポワロと同じ道のり辿るシリア難民

 アガサ・クリスティーの原作では、ポワロは、エルサレムではなく、フランス委託統治領シリアでの事件を解決し、アレッポから列車に乗る。

 そしてトルコを横断、イスタンブールへと向かい、さらに、ロンドン目指し、オリエント急行に乗車し、事件に遭遇するのだ。

 その道のりは戦禍のシリア難民のものと重なる。彼らは、雪崩など会わなくとも、国境や差別という壁にぶち当たり、その道を塞がれることは度々。そして、ポワロのように問題を鮮やかに解決してくれる者に出会うこともめったにない。

 カーリドはアレッポの家を破壊された。シリア政府軍なのか、反体制派なのか、ロシア軍なのか、ISなのか、誰にやられたかも分からない。

 国を出たカーリドが石炭にまみれ潜りこんだ船はヘルシンキに到着。上陸したカーリドは、イラクからの難民マズダックと親しくなった。

 そんなカーリドの望みは、途中、混乱状態のハンガリー国境で生き別れになった妹を探し出すこと。しかし、当局はカーリドのトルコへの送還を決めてしまう。

 妹がリトアニアにいる、との一報をマズダックから受けたカーリドは・・・。

 アキ・カウリスマキ作品らしい独特のユーモアを交えた淡々としたタッチで欧州の難民の今を描く12月公開の『希望の彼方』(2017)では、他国ほど移民・難民があふれていないフィンランドとて、彼らにとっては苦難の地、差別主義者にも執拗につきまとわれる様が描かれる。

 一方、『君を想って海をゆく』(2009)の主人公は、1930年代でも、鉄道なら楽に移動できるイラクからカレーまでの道のりを、3か月かけやって来た17歳の青年ビラル。

 英国に渡ろうとする者たちが港に集まるカレー。

 ビラルは、先に家族とともに移住した恋人に会うため、英国を目指している。夢は、英国でマンチェスター・ユナイテッドの選手になること。

 しかし、英仏国境を越えるのは困難を極める。トラックでの潜入も失敗した。

ドーバー海峡を泳いで渡る

 ビラルには、ドーバー海峡を泳いで渡る計画があった。不法入国者を助けるのは不法と知りながら、元金メダリストのシモンは、ビラルに泳ぎを教え、時に、家にも泊めた。ビラルは計画を実行に移した・・・。

 いまや、ユーロトンネルもあり、簡単に行けるはずの英国は、シェンゲン協定に加盟しておらず、EU離脱をしなくとも、入国審査は必須。不法移民、難民にとっては難関なのだ。

 ビラルの故郷は、イラク北部のクルディスタン。「自分の国をもたない最大の民族」クルド難民のビラルは、カレーまでやって来る途中、トルコで捕まり、つらい目にもあった。

 そんなクルディスタンでは、ISとの戦いで存在感を示し、民族意識高まるなか、9月25日、棚上げになっていた独立の是非を問う住民投票が行われた。キルクークなどクルディスタン外でも投票が行われ、その結果は、賛成票が9割超。

 しかし、イラク中央政府のハイダル・アバディ首相は、住民投票は違憲だと非難。トルコもイランも反発。

 イラク政府部隊と中央政府を支持する民兵組織がキルクーク侵攻、油田施設、さらには、クルド人がその歴史的領土と主張し近年実効支配していた地域をも押さえ、クルド人民兵組織「ペシュメルガ」はほとんど戦わずして、自治区領域へと退いた。

 11月1日には、クルディスタン自治政府トップ、クルディスタン民主党(KDP)を率いるマスウード・バルザーニ議長が退任。

 それに先立ち10月3日には、同じクルド民族運動の雄、クルディスタン愛国連盟(PUK)の創立者で、イラク戦争後、イラク大統領ともなったもう1人の民族運動の雄ジャラール・タラバーニが長期闘病の末、死去している。

 超大国の思惑に翻弄され、見捨てられた苛酷な歴史を、またも繰り返すのだろうか・・・。

 時をほぼ同じくして、10月1日、戦禍など無縁な西欧でも、「独立」を問う住民投票が行われ、「独立支持」派が勝利。しかし、その地でも、自治政府トップが、中央政府首相に痛烈な非難を浴びせられた。

 その地とはスペイン北東部に位置するカタルーニャ自治州。

 27日には自治州議会が独立宣言可決。しかし、住民投票を「強行した」カルラス・プッテダモン州政府首相は中央政府から国家反逆罪、扇動罪などで起訴され、ベルギーに脱出した。

歴史が色濃く表れるサッカーの試合

 投票日当日、警察と住民が衝突し多数負傷者が出る混乱のさなか、最大都市バルセロナのスタジアム「カンプ・ノウ(カタルーニャ語ではカム・ノウ)」では、人気のサッカークラブ「FCバルセロナ(バルサ)」が、UDラス・パルマスとの一戦を、無観客で行った。

 バルサは試合延期を決めたものの、スペインプロリーグ機構(LFP)が、そうすれば不戦敗などの扱いとする、との通達に、無観客での開催になったのだという。

 そこには、バルサが「クラブ以上のクラブ(Més que un club)」と言われる存在であることが大きく関係している。人気と実力を兼ね備えたチームだが、1899年創設のその歴史はバルセロナという地と切り離すことができないのだ。

 1936年、スペイン内戦が起きると、共和国側についたカタルーニャを象徴するバルサは苦境に立たされた。当時の会長もフランコ軍に殺害されている。

 フランコ独裁時代、カタルーニャ語など文化的アイデンティティは厳しく弾圧され、政権の力を背景とするレアル・マドリードとの戦いは、サッカーのライバル以上のものとなった。直接対決「エル・クラシコ」が意味するものは大きい。

 「カタルーニャを象徴するバルサと、政権寄りのレアル。対抗意識はスポーツを超えたもので、それは外国人でも因縁を感じた」と、英国人ゲーリー・リネカーが語る。

 「バルサ対リアルはカタルーニャ対スペインの戦い、戦いの場にいるとそれが分かる」と、カタルーニャ人カルロス・レシャックは語る。

 バルサの歴史は、カタルーニャの歴史と重なり合う彼らのアイデンティティであることを、ドキュメンタリー映画「Barça Dreams FCバルセロナの真実』(2015/日本劇場未公開)は教えてくれる。

 年も押し詰まった12月21日、カタルーニャの自治権を停止し、直接統治を開始していたスペイン中央政府主導で行われたカタルーニャ州議会選挙でも独立派が過半数を維持した。

 そして23日、州議会選後初の「エル・クラシコ」も0-3で敵地サンティアゴ・ベルナベウ(マドリード)で快勝したバルサは、無敗で首位を快走している。

 米国トランプ政権は、気候変動抑制に関する国際的枠組み「パリ協定」離脱を表明。

 途上国の温暖化対策を支援する基金拠出を取りやめる方針を示し、ドイツで開かれた国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP23)は、先進国による資金支援が十分行われるのかとの不安に覆われた。

 温暖化が進み、海面が上昇すれば、米国とてニューヨークなどの低地は浸水することになる。しかし、広大な国土を有し、経済的に豊かな大陸国家米国とは違い、海面上昇が文字通り「存続の危機」となるのが島嶼国家。

大国の思惑で危機に直面する島嶼国家

 ツバル、キリバス、マーシャル諸島といった島国の、どの方角を眺めてみても丘一つない島に降り立てば、ちょっとした高波が来れば沈んでしまうのでは、と誰もが恐怖にかられるだろう。

 土のない「裸の島」では、大きな島から土を運び裸の地面を畑にし、ためた雨水で作物を育てていく。

 ポリネシアの小さな珊瑚島で生まれ育った青年タナイは手製の船で独り土を求め大海へと船出した・・・。

 『遙かなる青い海』(1971)のタナイの物語は、無数の島々へと散っていったオセアニアの人々の長い移民の歴史をたどる。

 そして、近い未来、タナイのように、土を求めてさすらうオセアニアの人々の苦難は、温暖化による環境難民として、現実のものとなっていくのであろう。

 タナイは、イースター島で土をつめ、帰路についた。しかし、難破。たどり着いた島の人々の助けもあり、再び船を得て、ようやく故郷の島に戻った。

 しかし、その地は、もぬけの殻。

 閃光。キノコ雲。続いて、「ラ・マルセイエーズ」流れるなか、核実験による強制移住したポリネシア人たちの歓迎を受ける軍人たちを映し出す・・・。

 タナイの物語は、オセアニアの人々の大国に翻弄され続ける現代史でもある。マーシャル諸島、クリスマス島、フレンチ・ポリネシア。かつて、オセアニアの海では、米英仏が核実験を繰り返し行った。

 そして、2017年、北朝鮮がミサイルを「ミクロネシアの米国」グアムに射ち込む、太平洋で水爆実験を行う、と米国を、世界を、挑発し続けるなか、「実質的被害者」になりかねないのもオセアニアの島嶼国家。

 それでも、エルサレム首都認定無効決議では、グアムに近いミクロネシア諸国は反対に回った。

 COP23議長国フィジーなど、南太平洋諸国は棄権もしくは欠席した。経済的弱者たるオセアニア島嶼国家は、「援助」を持ち出されると、あまりに立場が弱い。

 そんな国から溢れ出る「環境難民」を、将来、米国は「援助」する気はあるのだろうか・・・。

(本文おわり、次ページ以降は本文で紹介した映画についての紹介。映画の番号は第1回からの通し番号)

(1350)オリエント急行殺人事件 (1351)希望のかなた (1352)君を想って海をゆく (1353)FCバルセロナの真実 (218)(再)遙かなる青い海  

オリエント急行殺人事件


1350.オリエント急行殺人事件 Murder on the Orient Express 2017年米国映画

(監督・出演)ケネス・ブラナー
(出演)ミシェル・ファイファー、ウィレム・デフォー、ジュディ・デンチ、ジョニー・デップ、ジョシュ・ギャッド、レスリー・オドム・ジュニア

 ユーゴスラビア山中で雪崩に遭い行く手を遮られたオリエント急行車内で起きた殺人事件の犯人を推理する名探偵エルキュール・ポワロと意外な結末を『ヘンリー五世』(1989)『フランケンシュタイン』(1994)などの演技派ケネス・ブラナーが自らポワロに扮し監督したオールスターキャストによるアガサ・クリスティーのミステリーの傑作の映画化。

希望のかなた


1351.希望のかなた Toivon Tuolla Puolen 2017年フィンランド映画

(監督)アキ・カウリスマキ
(出演)シェルワン・ハジ、サカリ・クオスマネン

 ヘルシンキにたどり着いたシリア難民が、人生の転機を迎えた初老の男性とイラク難民の助けを得て、途中生き別れとなった妹を探し出そうとする姿を、『レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ』(1989)『過去のない男』(2002)など独特の作風をもつフィンランドの巨匠アキ・カウリスマキが『ル・アーヴルの靴磨き』(2011)に続き移民難民問題を描くベルリン国際映画祭銀熊賞受賞作。

君を想って海をゆく


1352.君を想って海をゆく Welcome 2009年フランス映画

(監督)フィリップ・リオレ
(出演)ヴァンサン・ランドン、フィラ・エヴェルディ、オドレイ・ダナ

 恋人に会おうと、フランスの港町カレーからドーバー海峡を介した英国を目指すクルド人難民と元金メダリストの水泳コーチの心のふれあいを『パリ空港の人々』(1993)などのフィリップ・リオレ監督が描くフランスの不法移民の現実。

FCバルセロナの真実


1353.Barça Dreams FCバルセロナの真実 2015年スペイン映画(日本劇場未公開

(監督)ジョルディ・ヨンパルト

 カタルーニャの地に根づく「クラブ以上のクラブ」「バルサ」(FCバルセロナ)の歴史を、名場面と、クライフ、リネカー、メッシ、イニエスタ、ピケなどのインタビューを交え追ったドキュメンタリー。

遙かなる青い海


(再)218.遙かなる青い海 Oceano 1971年イタリア映画

(監督)フォルコ・クイリチ
(音楽)エンニオ・モリコーネ

 珊瑚島で生まれ育ったポリネシアの青年が、島での生活の大切な糧を得るための土を求め、大海に繰り出す姿を、フォルコ・クイリチ監督がドキュメンタリータッチで描く『最後の楽園』(1957)『チコと鮫』(1962)に続くポリネシア3部作最終作。

 センチメンタルなテーマ曲も印象的。

筆者:竹野 敏貴