ネタバレ問題が巻き起こった『スプリット』(公式サイトより)

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 大手メディアでは取り上げられるような事象ではないが、昨年も、音楽、映画、アイドルなどをめぐってさまざまな論争が起き、SNS上での大炎上に広がるという光景が連日繰り返された。
 こうしたトラブルは、どうでもいいような重箱の隅をつつきあうようなものに見えるかもしれないが、議論をつぶさに見ていくと、実は、表現圧力や差別など、現在の日本社会が抱える問題や文化状況をあぶり出すようなものもあったりもするのだ。
 リテラでは年始特別企画として、2017年を代表する7つのサブカル事件を振り返ってみたので、ぜひ読んでいただきたい。

■事件1
映画評論を困難にするほど激化した「ネタバレ忌避」の風潮に町山智浩が激怒!

 映画でも漫画でも小説でも、メディア上での作品紹介が少しでも踏み込んだところに言及すると、すぐに「ネタバレだ!」と鬼の首を取ったかのように炎上を焚き付けられる状況が定着して久しい。
 そんな状況に、怒りを込めた異議申し立てをしたのが映画評論家の町山智浩だ。
 問題は、5月に日本公開されたM・ナイト・シャマラン監督作『スプリット』に関する解説をきっかけに起きる。
『スプリット』という作品はラストで唐突な展開が起きるのだが、その伏線は『スプリット』のなかにはなく、彼の過去作のなかにあるため、町山は〈その作品を特定するとネタバレになるので『シックス・センス』『アンブレイカブル』『サイン』のうちどれか、とまでしか言えないのです〉とツイート。これがネタバレだと炎上した。
 結論を言うと、最後の最後で『スプリット』の物語は、01年日本公開『アンブレイカブル』と同じ世界線の話だったということが明らかになるのだが、『アンブレイカブル』は15年以上前の作品であり、『アンブレイカブル』を見ていない若い観客はなにが起きたのかさっぱりわからないまま劇場を後にすることになる。実際、町山はそういう人が出ないよう、若い観客への配慮として作品紹介をしたと語っている。
『スプリット』と『アンブレイカブル』がひと続きの物語であるということは、シャマラン監督自身もツイッターで明かしていることであり、こんなことまで踏み込めないまま映画紹介や映画評論をしろと言われても、それは無理な話だ。
 こういった事態に町山は〈料理の食材や調理法、隠し味、つまりネタを解くように映画を分析するのが映画評論家の仕事なのでネタバレ警察ははっきり言って営業妨害だから戦うしかないんだよ〉とツイート。怒りを滲ませた。
 町山の言う通り、このような状況が続けば、映画評論家や映画ライターは、出演する俳優のゴシップネタを伝えるだけの職業になってしまうだろう。それは、映画界にとっても、映画ファンにとっても不利益でしかない。

■事件2
『ラストアイドル』の審査をめぐって吉田豪がかつてない規模の大炎上!

 秋元康プロデュースのアイドルグループのメンバーの座をかけたオーディション番組『ラストアイドル』(テレビ朝日)。
 伊集院光が司会を担当し、審査員にも大槻ケンヂ、中森明夫、宇野常寛、蜷川実花、西寺郷太、大森靖子、マーティ・フリードマン、ピエール中野といった豪華な面々が名を連ねる番組である。そんな錚々たるメンツのなかで、一躍脚光を浴びたのが吉田豪である。
 この番組のオーディションは少し変わって形式で行われる。その時点での暫定メンバー7人のうち、「この人なら勝てそうだ」というメンバー1名を挑戦者が指名し、その2人の間で審査が行われる。
 また、その審査の過程も特殊である。審査員の合議制はとらず、番組側から指名された審査員1名の評価のみで審査が行われる。つまり、誰かが他の審査員と1人だけ違う評価をくだしたとしても、その結果が優先されるのである。
 このシステムが吉田豪の大炎上を引き起こした。
 10月22日放送回において吉田豪は、当時の暫定メンバーのなかでも人気メンバーだった長月翠を落とし、挑戦者の蒲原令奈に軍配を上げた。一方、そのとき審査に加わっていた倉田真由美、マーティ・フリードマン、日笠麗奈は3人とも長月を選んでおり、吉田豪だけが挑戦者を選ぶ結果に。しかし、前述したルールがあるので、吉田豪の審査が優先される。
 番組の最後で、マーティと倉田が吉田豪の審査への不満を述べるくだりが放送されたこともあり、番組終了直後より吉田豪のツイッターは大炎上。
 後日、吉田豪はネット番組『タブーなワイドショー』のなかで、「完成度より伸びしろと可能性で選んだ」と明かし、怒っている人は坂道ファンが多いと指摘した。その理由について「坂道はかわいい子を集めて、波乱の起きないグループを作っている」ため坂道ファンは「かわいい子を選んで当たり前」「波乱みたいなものを求めていない」とし、同じ秋元康プロデュースでも、48ファンは波乱に慣れているからさほど怒っていないなどと分析。一方で、ハロプロファンからは「豪さん間違ってないです」「あの子、最高じゃないですか」と吉田の選択を支持する声が多かったとも語った。
 ようするに、この炎上はアイドルに何を求めるか、アイドル観のちがいがぶつかり合った結果だったといえよう。
 ちなみに、蒲原は途中でグループとしての活動を辞退。繰り上げ戦で勝利した長月は暫定メンバーに復帰し、そのまま確定メンバーまで勝ち残り続けた。
 炎上騒動以降、番組内では吉田豪のジャッジや炎上をイジるネタがすっかり定着。『ラストアイドル』はシーズン2の放送が決定しており、2018年も一波乱起こることが期待されている。吉田豪は今年も『ラストアイドル』で議論を巻き起こすのであろうか。

■ 事件3
自民党新潟県支部〈政治って意外とHIPHOP〉が炎上。Kダブシャインが大激怒

〈政治って意外とHIPHOP。ただいま勉強中。〉
 自民党新潟県支部連合会青年局による「LDP新潟政治学校」2期生募集のポスターに書かれたこのキャッチコピーは多くの人々の怒りを買った。
 そのなかでもとりわけ、自民党新潟県支部によって書かれた惹句に違和感を表明したのが、ラッパーのKダブシャインである。
 彼はツイッターに〈持たざる者、声なき者に寄り添うことでヒップホップはここまで世界的に発展して来たのに、今の与党はそれに反して消費税、基地建設、原発推進、はぐらかし答弁、レイプもみ消しに強行採決と、弱者切り捨て政策ばかり推し進めておいて、そこに若者を集めることのどこがヒップホップなのか解説して欲しい〉と投稿。怒りを滲ませた。
 チャック・D(パブリック・エネミー)による「ラップミュージックは黒人社会におけるCNNである」という言葉が端的に示す通り、そもそもヒップホップは社会にはびこる問題を告発する音楽である。
 告発する社会問題は、時代によって変わる。1970年代にニューヨークの貧民街で産声をあげたときには、都市再開発で置き去りにされたスラム街における悲惨な現状の告発であり、現在においては、「ブラック・ライブス・マター」運動が象徴するように、トランプ政権化でますます苛烈になる差別問題であったりする。
 つまり、ヒップホップは〈意外〉でもなんでもなく、政治的であり社会的なものなのである。
 また、そもそも、現在の自由民主党にヒップホップという言葉を使う資格はない。
 言うまでもなく、現在の自民党と、その総裁である安倍晋三は、陰に陽にレイシズムを煽り、新自由主義的な価値観のもと「強きを助け、弱きをくじく」政治をしている人たちである。
 そんな彼らの進める国づくりは、「持たざる者たち」がその苦しみを外の世界の人々に伝えるための武器として機能してきたヒップホップとは180度真逆にある。先に挙げたKダブシャインのツイートはそこに怒りを向けている。
 彼らは『フリースタイルダンジョン』(テレビ朝日)に端を発するフリースタイルブーム、ラップブームに軽く乗るつもりで〈政治って意外とHIPHOP〉なる惹句を使ったのだろうが、端的に言って不愉快極まりない騒動であった。

■事件4
菊地成孔『ラ・ラ・ランド』を猛批判! vs町山『セッション』論争再び?

 今年公開された映画のなかでも話題作となったのが、第89回アカデミー賞で監督賞や主演女優賞など最多6部門でオスカー像を獲得することとなったデイミアン・チャゼル監督作品『ラ・ラ・ランド』だろう。
 売れないジャズピアニストのセバスチャン・ワイルダー(ライアン・ゴズリング)と、女優を夢見ながらもオーディションには落ち続けるミア・ドーラン(エマ・ストーン)のラブストーリーを描くミュージカル映画の本作は日本でも大ヒットを記録した。
 しかし、商業的な成功の一方で、評論家、特に音楽に関わる人たちからは、作品内におけるジャズの取り扱い方などをめぐって酷評の声が多く起きた。その急先鋒が、ジャズミュージシャンで映画評論家の菊地成孔である。
 彼はウェブサイト『リアルサウンド映画部』の映画評論連載に〈世界中を敵に回す覚悟で平然と言うが、こんなもん全然大したことないね〉と題したコラムを掲載し、『ラ・ラ・ランド』を手厳しく批判。
 そして、このテキストが公開されるや否や、サブカル界隈に関心をもつ野次馬たちは色めきだつことになる。というのも、菊地成孔がこのような評価をくだしたことで、「町山智浩VS菊地成孔」の論争が再び巻き起こるかと思われたからだ。
 この2人は、2015年、デイミアン・チャゼル監督の前作『セッション』をめぐって大論争を起こしている。
 町山は『ラ・ラ・ランド』におけるデイミアン・チャゼル監督の手腕を高く評価しており、状況は『セッション』論争時とまったく同じだったからだ。
 ちなみに、結論から言うと、今回は『セッション』論争のようなことは起きなかったが、『ラ・ラ・ランド』はSNSにおいて他の映画とは比較にならないほど賛否をめぐる議論が巻き起こされた。
 しかし、それにしてもなぜ、「デイミアン・チャゼル監督がジャズを題材に撮った映画」というものに限って、これほどにも日本の映画ファンの「論争スイッチ」が刺激されるのだろうか?

■事件5
作家かライターか? はあちゅう「肩書き論争」にサブカル論客が次々参戦

 はあちゅうといえば、電通在籍時の先輩クリエイター・岸勇希氏によるセクハラ被害を告発したことが記憶に新しいが、「サブカル」という文脈では、また別の話題を巻き起こしている。
「作家」か「ライター」か、という「肩書き」論争である。
 きっかけは、はあちゅうが自身のツイッターに「影響力絶大!人気のある有名な「読モライター」まとめ!」と題された「NAVERまとめ」のURLを張り付けながら、〈読モライターのまとめを見て見たらまさかの私がいた。私、ライターではない...〉とつぶやいたことだった。
 続けて彼女は、自分の認識では、〈作家→自分の意見を書く〉〈ライター→誰かの意見(自分以外に取材)を書く〉という分類であり、そういった意味で自分は作家であり、ライターではないとした。
 これに対し、吉田豪が反応。彼は〈ボクは作家=小説が本業の人だと解釈してるので、はあちゅうさんのこともライター枠の人だと思ってます〉とつぶやき、彼女の肩書きに関する考え方に疑問を呈した。
 これを端緒として、春日太一、津田大介、及川眠子、深町秋生、掟ポルシェなど、いわゆる「文筆」を生業とする様々な人が、ツイッターを通じ続々と肩書きに対する思い入れを投稿する状況に。
 そもそも、英語の「writer」は、作家も記者もコラムニストもエッセイストもすべて含んだ言葉であり、部外者からしてみれば「どっちでもよくないか?」と思ってしまうかもしれないが、日本の出版業界ではどんな肩書きを名乗るかによって仕事の場が如実に変わってしまったりもするので、確かにこれは重要な要素をはらんだ問題なのかもしれない。

■事件6
真木よう子のコミケ参加が大炎上! 理由は本当にクラウドファンディングか?

 小林幸子や叶姉妹など、近年コミケに参加し大きな話題を集める芸能人が増えてきた。そのなかにあって、理不尽な大炎上をさせられてしまったのが真木よう子だ。
 真木はコミケで出品するフォトマガジンの製作のため、クラウドファンディングでの資金調達をしようとしたのだが、これが問題視された。
 コミケは自費出版物を販売するためのイベントであり、そのための制作費をクラウドファンディングで集める行為はイベント趣旨に反するというのが、彼女を批判する人たちの論拠であった。
 これを受けて真木はコミケの参加を取りやめ、謝罪のコメントを出すことになるが、この炎上が引き起こされた原因が本当にクラウドファンディングだったのかは正直疑問が残る。
 炎上に乗じてSNSに放たれたものには、「真木よう子にはアニメやコスプレへの愛がない。ドラマの宣伝、金儲けのための参加」といった言及が少なくない数見られたが、真木は漫画について造詣が深いことでも知られており、少なくとも小林幸子や叶姉妹よりはよほどオタクカルチャーを愛してのものと思われる。
 にもかかわらず、なぜ真木は大炎上して、小林幸子や叶姉妹は歓迎されたのか。
 その真相は、オタク層の人たちにとって真木の認識は「モテ」で「リア充」サイドの人間であり、彼らにとって敵だと認識されたからではないかと思われる。
 この件が起因するものかどうかはわからないが、彼女はその後体調不良から映画『SUNNY 強い気持ち・強い愛』の降板を強いられる事態ともなっている。
 どうも後味の悪い炎上騒動であった。

■事件7
キングコング西野が「お金の奴隷解放宣言」と謳い、絵本を無料公開し大炎上!

「絵本を無料で公開します。金を払わない人には見せないとか糞ダサい。お金の奴隷解放宣言です」
 こんな言葉とともに、キングコングの西野亮廣は2016年10月の発売以来20万部も売り上げていた『えんとつ町のプペル』を全ページ、昨年1月ネットで無料公開した。
 すると、ネット上で西野に対する批判が巻き起こった。いわく「すでに買った人が損」「ほかのクリエイターがもらえる対価まで安くなってしまう」「子どもがお金のありがたみがわからなくなる」「出版社や書店にお金が入らず迷惑」なかには「西野は、生理的に無理」というものまで......。
 しかしそうした批判の声は、どれもこれもいちゃもんのレベルにすぎなかった。たとえば、「出版社や書店にお金が入らず迷惑」というが、無料公開前の時点で20万部を超えており、すでに大きな利益が出ていし、騒動後もその余波でさらに売り上げを伸ばし増刷もした。そもそも無料公開というのは、プロモーション・販売戦略としては、目新しい方法などではない。
「ほかのクリエイターにしわ寄せがくる」という批判も、たしかに多くのクリエイターが劣悪な環境に置かれているのは事実で、改善されるべきだ。
 現在の出版界では、一部の売れっこ作家や芸能人だけが知名度をバックに大々的にプロモーションを展開してもらい、「有名人の本だから」「売れているから」というだけの理由で買われていく。一握りのベストセラーとそれ以外の売れないたくさんの本という、一強多弱の傾向がどんどん進んでいる。そして西野もまた強者に属するひとりだ。
 しかし、この西野の言動は、逆にそういった状況に風穴を開けようとするもの。一握りの売れた者が得た利益を独占するのでなく、社会に還元する流れをつくりだすきっかけにもなり得るものだった。
 西野は宣言のなかで「お金を持っている人は見ることができて、お金を持っていない人は見ることができない」ことに「猛烈な気持ち悪さ」を感じると書いていたが、親の所得格差がそのまま教育格差に直結している現在の日本においてこの西野の指摘は非常に真っ当な感覚だろう。
 むしろ、この西野の炎上で痛感させられたのは、日本人が表現や創作さえ、「お金」という尺度でしか見られなくなっているという現実だ。西野の言う「お金の奴隷」状態を、まさに証明した炎上騒動だったと言っていいだろう。


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 2017年サブカル事件簿、いかがだっただろうか。これはサブカル界隈の論争に顕著な傾向だが、最初はひとつのテーマで2人が論争していただけなのに、どんどん話が広がっていろんな人を巻き込んでいったり、また、サブカル界隈の動向に関心をもつ野次馬からの「空気入れ」がさらに話をややこしくしたり、といったことが往々にして起こる。
 しかし、こういう面倒くさいところも含めて、サブカルというジャンルは状況がダイナミックに変わり、面白い。今年も様々な論争が起こるだろうが、当サイトでは逐一その動向を追いかけていくつもりなので、サブカル関係者はどうか冷たい目で見守っていただきたい。
(編集部)