なぜ中高生こそ本を読むべきなのか? 中野京子さんに聞きました(写真提供:NHK出版)

あなたのお子さんは本を読みますか?「まったく読まない」と嘆いている親御さんも多いのではないでしょうか。
では、なぜ読む必要があるのか、「読書の有用性」をきちんと説明できているでしょうか。親が説明できれば、状況はきっと違ってくるはずです。
ドイツ文学者であり、著書『怖い絵』で新たな絵画の見方を提言した中野京子さんは、中学生や高校生時代に、本を読むことの重要性を説きます。
新著『別冊NHK100分de名著 読書の学校 中野京子 特別授業 シンデレラ』で物語の奥深い世界に切り込んだ中野さんに、読書の味わい方について語っていただきます。

スマホは受け身、読書は能動的

インターネットやスマホ、ゲームなどの影響で、子どもが本を読まなくなって久しいと言われます。しかし、まったく関心がないかと言えばそうではなく、膨大な数の本を前にして、「この中から読みたい本を自分で見つけるのは大変だし、面倒くさいし、まあいいか」というのが実情ではないでしょうか。

ネットやスマホは自分の興味のあるものだけを選ぶことができます。ワンクリックですぐに欲しい情報が手に入るので、余計なことを考えなくていい。でも、その与えられる情報は一方的なので、どうしても受け身になります。

それに対して読書は、自分が咀嚼(そしゃく)して消化するものだから能動的です。甘いもの、おいしいものだけでなく、苦いもの、辛いもの、まずいものなど、さまざまな味を知り、そのうえで自分に合ったもの、好きなものを選びとっていく。「選ぶ」という行為はネットやスマホと同じであっても、自分の頭で「考える」という行為があるのとないのとでは、まったく次元は異なると言ってよいでしょう。

ティーンエージャーである中学生や高校生は、子どもから大人へと至る最も感受性が豊かで、みずみずしい感覚をもっている時期です。吸収力があり、受けた感動は一生ものになる場合も多い。この時期だからこそたくさんの本を読んで、よい本に出合うことが必要だと私は思うのです。

では、中学生・高校生にどうしたら本を読んでもらえるかと問われれば、ふつうに「本を読みなさい」と言っても、先述したように、まず何を読んでいいのかがわからないので難しい。そこで私が薦めたいのは、「本を読みなさい」と言う親御さん自身がまず本を読んでみることです。

ご自身が本を読んでいる姿を子どもに見せて、「この本のここが面白い」と熱っぽく語りかけてみる。思春期・反抗期でもあるので、表面上は素直に聞いてもらえないかもしれませんが、「伝える」という行為が大切です。子どもが中学生になると、よく家庭での会話がなくなると耳にしますが、その予防にもつながるのではないでしょうか。

また、反対意見もあるかもしれませんが、場合によっては「強制的」に本を与えることも大事ではないかと思います。たとえば、私が子どもの頃は家に「児童文学全集」というシリーズがありました。「少年少女文学全集」とか、各版元によって呼び方は違いますが、クラスメートのほとんどの家にもそうした全集があったものです。

この全集がよかったのは、こちらが忘れていようがいまいが、必ず月に1、2冊、それこそ「強制的」に家に届いたこと(笑)。自分だったら絶対に買わない本だけれども、届いた以上はせっかくだから読まなければならない。「面白くなさそうだな」と思ってパラパラめくってみたら、あにはからんや、あっという間にのめり込んだという経験は私だけではないはずです。そのように意外とはまることがある。最近は古書店で、二束三文で売られている全集が、実は読書する環境に適したものだったのですね。

さらに私の例で言うと、小学生のときは児童文学全集の『がんくつ王』が大好きでした。そして中学生になり、元本がアレクサンドル・デュマの『モンテ・クリスト伯』という長篇(岩波文庫で7巻本)であることを知り、その世界にどっぷりと浸かります。すると小学生のときにはわからなかった物語の舞台がフランス革命後の激動期であったこと、皇帝ナポレオンが失脚してエルバ島に流されていたことなどを理解するようになり、今度は歴史へと興味が広がっていったのです。

なぜ「シンデレラ」なのか

私は最近、「別冊NHK100分de名著 読書の学校」というシリーズで『シンデレラ』を取り上げました。世界一有名なヒロインと言えば、シンデレラです。世界に似た話は500以上もあると言われ、日本でも誰もが知っている物語でしょう。

しかし、みなさんがご承知の「かわいい少女の夢物語」の『シンデレラ』は17世紀フランスの宮廷詩人ペローの、あるいはディズニーのアニメのヒロインの姿であって、知恵と勇気で困難を打開するグリム版シンデレラ、ましてや類話のなかで最古の文献とされる中国版の(纏足〈てんそく〉の可能性がある)シンデレラではありません。「物語はひとつではない」。それをみなさんに知ってほしかったのです。

女の子だけでなく、男の子でも『シンデレラ』という物語を知っていると思い込んでいるけれども、それはディズニーのアニメを見てわかったつもりになっていただけで、ごく一部のものでしかない。でも、いろんな『シンデレラ』を読んでいくと、大きく分ければペロー版とグリム版のふたつがあって、内容がずいぶん違うことを知るようになります。

そこで興味を抱けば、原書のペロー版とグリム版に、今度は自分から手を伸ばしていくでしょう。なかには、ペロー版からフランスの宮廷に関心をもつ子が出てくるかもしれないし、グリム版の隠されたシンボル(「灰」や「靴」)の意味を研究しようと思う子が出てくるかもしれません。

「読書の学校 『シンデレラ』」のもとになった筑波大学附属中学の授業でも、事前は「『シンデレラ』なんて単純なおとぎ話だと思っていた」という子が大半でした。でも授業後は、いろんな『シンデレラ』があって、それぞれの物語の背景も初めて知ってとても面白かった、という反応を示してくれました。それは、絵画でも音楽でも同じです。どんなものにも、その背後には歴史や文化といった多層的な世界が広がっているのです。

絵画であれば、表面に描かれたものだけでなく、画家の「意図したもの」が必ずあります。『シンデレラ』で言えば、もともとの物語は、古代から中世――生き延びるための労働に明け暮れていた時代――の民衆の夢だったでしょう。それが宮廷人ペローの手により、ある意味では歪められたとも言えるし、ある意味で小説としてはとても面白いものになった。それを判断するのは読者自身です。読書を深められるようになれば、その分だけ敏感に反応ができ、感性が豊かになっていくのです。

「気づき」が自立した思考をはぐくむ

そうした読み方は、小学生や中学生はもちろん、大人でもなかなか気づけないかもしれません。私が自分の著書を通して伝えたいのは、まさにこの「気づき」にあります。


絵画でも読書でも、「そうか、こういう見方があったんだ」と気づいたら、あとは各人が自分の選び方をしていけばよいのです。それが結局は、自立した思考を育むことにつながります。

何であれ、表面に見えていることだけで判断するのではなく、その背後に隠されたものはないだろうか、とつねに疑ってみることが大切です。現代の日本では、インターネットやスマホ、SNSなどに時間を取られ、視覚文化ばかりが肥大して活字を読む力が弱まり、ひいては想像力が減退してきたと言われます。そんな時代だからこそ読書が必要なのだと私は思います。

『シンデレラ』も、ディズニーアニメから一度離れ、自分だけのシンデレラ世界を構築してはいかがでしょうか。若い中学生や高校生が、読書の楽しさを知ってもらえたならば、それ以上の喜びはありません。