ビートたけし、1964年東京五輪の時代を回顧「良い思い出ないなぁ」

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2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催まであと2年。メイン会場となる国立競技場をはじめ、今、数多くのプロジェクトが急ピッチで進められている。そこで、1月4日(木)19時からは『奇跡体験! アンビリバボー2018 新春3時間SP〜東京オリンピック1964を陰で支えたメダルなき日本ヒーローたち〜』(フジテレビ系)が放送される。

今を遡ること半世紀余り。1964年に開催された東京オリンピックを成功させることは、すなわち世界に日本の戦後復興を知らしめることでもあった。アジア初となるオリンピック開幕の2年前、日本人の意地とプライドを賭けた闘いが水面下で繰り広げられていた。華やかなビッグイベントの陰で、渾身の力を振り絞って闘っていた“メダルなきヒーローたち”の姿を、放送20周年を迎えた同番組が、丹念なドキュメント取材、貴重な実際の映像、セリフ一つにまでこだわった再現と、当事者たちのインタビューを含め描き出す。

今回フィーチャーされるのは、出場国の国旗を作る大役を任された、当時二十歳の大学生。オリンピック憲章では“各国旗は同じサイズにすること”との規定があるが、国旗の形はさまざまで、無理にサイズを合わせようとするとバランスが崩れてしまう。また、国旗にはその国の民族の誇りが象徴されているため、細心の注意を払う必要があった。

また、当時の日本は戦後復興と共に街に車があふれ、東京の道路は至るところで渋滞が起きていた。オリンピック開催時、世界から4万人は訪れると見込まれていて、成功させるにはなんとしても高速道路を完成させなければならない。空中作戦、水中作戦など、さまざまな工法を駆使してオリンピック関連道路全線が開通したのは、オリンピック開催のわずか9日前だったという。番組は、この事業に関係した男たちにも注目する。さらに、「自国にいながらオリンピックに参加してもらいたい」という思いから、世界中にリアルタイムで映像を届けるため、衛星中継に奔走した男たちの様子も描く。

今回は、番組のストーリーテラーを務めて20年になるビートたけしから、1964年当時の東京オリンピックの思い出と2年後の東京オリンピックについて語ったコメントも到着した。

――1964年開催の東京オリンピックの思い出は?

「東京オリンピック開催前に環七ができたけど、当時、自宅が環七の近所にあってね。親父が区議会義員にお宅の所に環七が走るからお金が入ると言われて、毎晩酒飲んで宴会騒ぎしていたら、2メートル先に道路が通っちゃってね。ダンプカーが砂利撒いてて埃まみれで、洗濯物も干せなくて、毎日親父とお袋が喧嘩してたんだよ。土地が売れた人はお洒落なレストランとか始めてお金持ちになっちゃって、こっちは酷い目にあったんだよね。やっぱり良い思い出ないなぁ」

――自身にとってオリンピックとは?

「国際的なイベントは、喜劇と悲劇が存在するものなんだよね。オリンピックの悲劇と言えば、水泳の古橋廣之進。1948年ロンドンオリンピックには出られなかったけど、日本水泳連盟が日本選手権をロンドンオリンピックの水泳競技決勝と同じ日に行い、古橋が世界記録を出したけど、いろいろといちゃもんつけられて認められなかった。翌年の全米選手権で圧勝して世界新記録樹立したけど、1952年ヘルシンキオリンピックでは、すっかりピークを過ぎていて負けちゃうし。柔道の山下泰裕も、1980年のロシアオリンピックをボイコットしてなければ、金メダリストとして2連勝できたはずなのになぁ。オリンピックというのは、悲劇と喜劇が繰り広げられるよね」

――2020年東京オリンピックで観たい競技はありますか?

「100メートルとか陸上競技がみたいな。ボルトの後、誰がでてくるのかな? ジャマイカ選手なのか、アメリカの選手なのか。やっぱり注目したいのはフィールド競技とトラック競技だね。オリンピックでゴルフは見たくないよなぁ。マスターズあるし。サッカーもワールドカップがあるからなぁ」

――2020年東京オリンピック演出は、山崎貴氏ら複数の専門家がチームで手掛けるとのことですが。

「俺もずっと噂があったけど、誰も俺にコンタクトを取らないんだよね。宇宙船で入場とか見事な演出だったのになぁ。座頭市の点火式、火薬でドーンなんて、過激な演出を言い過ぎちゃったかな。俺は危険でやらせてくれなかったな。残念な結果だったね。ボロクソに言う準備しておかなきゃ(笑)」