サエキけんぞうの『最後のジェダイ』評:新しい『スター・ウォーズ』は女性登場人物たちと連動している

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 『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』が物議を醸し出している。好きと嫌いがハッキリと別れ、まっぷたつなのである。流行に敏感な批評家のウケは良いが、『スター・ウォーズ』の伝統を愛する観客からの反応は悪いという現象が起きているようなのだ。

参考:賛否両論の新作『スター・ウォーズ』、海外の反応は? ライアン・ジョンソン監督本人のコメントも

 サエキは大変面白く観覧した。そしてこの甲論乙駁の原因について、この数年の映画制作の潮流でバッチリ思い当たるものがあったのである。それはズバリ「女性」である。

 どうやら、米国やこの日本、そして世界中で、消費の主役は女性になりつつあるようだ。そんな中、ハリウッドを中心とする映画は「女性をどう描くか?」「女性の新しい魅力の発見」「女性登場人物の描写手法の開発」に、ヒットの運命を賭けてきたといえるかもしれない。そんなことがこの作品の制作とヒットに関係していると思う。

 例えば昨年、予想をはるかに超え成功した『ラ・ラ・ランド』(2017)である。この作品は女性主人公TVドラマ『セックス・アンド・ザ・シティ』(1998〜2004)を下敷きにしたかのように、主人公女性エマ・ストーンをはじめはつらつと俳優を目指す仲の良い女性友人たちが登場し、踊りまくる。女性客は彼女たちに喝采を送る。主人公男性役ライアン・ゴズリングをはじめ、男性の役割は「英雄」ではなく「サポートの誠実さ」であった(涙)。監督は、ライアンに野獣のようなギラギラした瞳を求めなかった。どちらかといえば魚の目のよう。エマ演じるミアは、ひたすら自分の道を追求し、可愛い舞台に映え、果たせぬ夢をパノラマ現象させる結末までを進んだ。徹頭徹尾、男主人公は引き立て役なのであった。

 注目はミアのキャラだ。けして男性の気を引くフェロモン発散型ではない。「女性にも愛されるスター」。だから「ヘン顔」ギリギリの表情もありだったりする。「カエルみたいな顔だ……」と思えたシーンも多い。必死な懸命さがポイントなのだ。この映画の大ヒットをもって、男先導型で作られてきた映画史の重大な曲がり角となったのではないか?とさえ思えた。

 こうした現象は、シリーズもの映画の展開にも大きな影響を与えている。『エイリアン』シリーズは第二作で、シガニー・ウィーバーを怖い物しらずのマッチョ役に大フィーチャーした女性英雄キャラ映画の大先輩にあたるが、昨年の新作『エイリアン:コヴェナント』(2017)ではさらに進んだ。キャサリン・ウォーターストンの役柄は、事故で亡くなってしまう船長の妻。エイリアンをあやつるウォルターという「人間離れした男アンドロイド」に対して、熱い血の通った英雄的反抗を示すのだ。その奮闘ぶりは「母ちゃん的」といえた。「ぬかみその匂い」を大戦物に導入したのだ。いわゆるスマートな女性戦士の枠を超えていた。こうしたオバキャラにセクシュアリティを感じるフケセン男も出てくるかもしれないとも思ったりして。

 他にも、女性主人公の新しい型を示し世界的評価を得た『ワンダーウーマン』(2017)など、SFに冒険にロマンスに、直近の映画群は、女性ヒーローをどう新しく描写するか?の実験場になっている。

 そうした目で見れば昨年公開の『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』が、激しくカーブを曲がったことに気づくはずだ。この主人公は女性。フェリシティ・ジョーンズ演じるジン・アーソである。このキャラには女性らしい生活実感がある。育ての親、ソウ・ゲレラに「銀河に帝国軍の旗が輝くのを、お前は我慢できるのか?」と尋ねられ、ジンはなんと「見なければいい」と答える。女性ならではの生きる場を固める感覚が描かれている。ひたすら戦に駆り立てられる男とは違う感覚である。この切り返しをどう見るか?で評価も分かれたかもしれない。

 そんな視点で今作『最後のジェダイ』をめぐる批判を検証していこう。「ローズ・ティコを演じるケリー・マリー・トランが全然美人じゃない! 体型もぽっちゃり!」という大きな声がある。これは制作筋からは当然炎上ポイントとして織り込み済みだろう。アジア系キャラは『チャーリーズ・エンジェル』(2000、2003)におけるルーシー・リューの、范文雀やルパン三世の峰不二子的なカッコいい長髪東洋女性キャラが定番だった。しかし『最後のジェダイ』ではオカメ顔が爆発する肝っ玉母さん的役柄のケリーだ。『エイリアン:コヴェナント』のキャサリン・ウォーターストンを遙かに超えた新しい母性系の女子英雄像を打ち立てた。僕は汗をかいてるところなど、ええ?意外にこのキャラで萌える部分もあるな?と感心させられたが、慣れない人が出てきても当然の冒険ではある。しかし女性客には大きな共感と支持を得るのではないか?

 僕自身が注目したのは、挙動不審な表情を見せ、紫色の横分け髪をしたオバサン、ローラ・ダーン演じるアミリン・ホルド提督である。銀行や市役所などで、ヒマそうな案内応対係にいそうな優柔不断な微笑み。頼りないオバサンのキャラ設定というのが驚きであった。「ファースト・オーダーの攻撃でレイアが意識不明となった後、彼女がレジスタンスの指揮を執る」という重要な役柄なのに?だ。こういうところに『最後のジェダイ』では徹底的に女性キャラの新味を探っている様子がわかる。

 彼女は途中まで「こんな奴が上司にいたら、組織は最悪になるぞ」と思わせるが、ラストで突如として逆噴射したかのようにメガ・デストロイヤーに向かってハイパードライブを行い、レジスタンスを救うという離れ技?を行う。というより、反則技に近い無茶な攻撃なのである……。優柔不断な態度に実はとんでもない乱暴さが混じっている、万国共通の現実のオバさんをモデルにした巧妙なキャラ設定だ。だが常連客には「何かヘンなオバサンが『スター・ウォーズ』の伝統を壊してないか?」と映るかもしれない。そしてそれも狙い通りかもしれない。

 このローラ・ダーン、聞いたことあるな?と思ったらデヴィッド・リンチの不朽の名作『ワイルド・アット・ハート』(1990)でニコラス・ケイジと楽しく狂った恋人同士を演じた女性ではないか? その後も『ジュラシック・パーク』(1993)で個性的な女性研究者を演じるなど、ハリウッドの個性俳優の可能性を切り開いてきたパイオニア。そんな人が『スター・ウォーズ』シリーズの妖しい境界線を拡げる。

 実は「続三部作」企画立ち上げ時に、ジョージ・ルーカス自らが監督するかどうか話し合われ、それが頓挫したのだという。ルーカスによるエピソード7〜9のオリジナル構想は採用されず、制作から事実上排除されたというのだ! これは大事件。その時点で、昔かたぎの『スター・ウォーズ』ファンの願いは断たれた?ともいえるのかもしれない。

 ルーカスは進歩的な思想の持ち主と思うが、西洋騎士物的構造を持つ、『スター・ウォーズ』の物語自体に、伝統的な男性史観の基盤があるだろう。もし、ルーカスがやっていたら『スター・ウォーズ』はどうなっていただろう? この急流のような現在の女性主導映画界に合わなくなっていた?と思えてならない。『エイリアン』のリドリー・スコットでさえもが女性キャラの旋回を求められる時代だ。

 女性に視点を合わせた映画作りは、女性が元来、精神に秘めている「脱構築」「既成事実を壊して進む」「本質的なアバンギャルド性」といった特色を持つのかもしれない。男性的な「スジ」や「タテ構造」や「脈絡」といったものがそこでは破壊される。

 ディズニーはビジネス展開として、より多くの観客を得る「単純明快な『スター・ウォーズ』」を作る方針を選んだ、ともいわれるが、今回の物語はただの「単純明快」ともいいきれない。ローラ・ダーンの不審なキャラに代表される「ファジーな側面」を併せ持つのだ。女性を念頭に置いた新しいビジネス感覚は、旧来のフォーマットでは語れない方向性を持つ。

 ライアン・ジョンソン監督は、スタジオを納得させ、脚本を単独で書き上げたというが、変化する社会ニーズに対しては、確固たる想いがあったのではないか? 脚本歴のあるキャリー・フィッシャー(レイア・オーガナ役)にも助力を頼んだというが、そんなこんなでますます女性を念頭においた方向性に拍車がかかったりして。

 前作でカイロ・レン(アダム・ドライバー)がダース・ベイダーのマスクを捨て、少年性を残した素顔が現れたときは印象的だった。「この決闘ものにしては生々しさを含んだキャラはなんなんだ?」と。今回、それが女性登場人物たちと連動した新しい『スター・ウォーズ』の始まりだったのだ、と悟った。

 エピソード10からの新たな三部作も、ライアン・ジョンソン監督に任せることを発表されているようだ。それは炎上を含んだイバラの道であると同時に、ファジーな明るい色彩を満載した栄光の花道でもあることを確信して止まない。 (サエキけんぞう)