東欧の強豪相手に力の差を見せ付けられた日本。なお、当時の代表監督はあの川淵三郎氏で、アシスタントコーチは森孝慈氏が務めていた。 (C) SOCCER DIGEST

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 ついにワールドカップイヤーが到来! 6月には世界中の目がロシアに向けられる。果たして日本代表は、6回目となる世界の大舞台でどのような戦いを見せてくれるのだろうか。
 
 まだ欧州リーグが前半戦を終えたばかりではあるが、昨年12月1日にグループステージの組み合わせが決まってからは、人々のW杯に対する関心は日増しに高まっている。対戦相手のポーランド、セネガル、コロンビアはどんなチームか? どんな選手がいるのか? そして日本が勝つ可能性は?……等々。
 
 そして、これら3国と日本が、過去に何度対戦し、どのような戦いぶり、そして結果を残したのかも気になるところ。そこでここでは、シリーズで過去の激闘を振り返っていきたい。
 
 1980年に創刊したサッカーダイジェストの記事で、3か国との全試合を振り返っていくこの不定期連載。第1回目は、1981年の冬に行なわれたポーランドとの国際試合4連戦だ。
 
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◇1981年1月25日・国立競技場
日本 0-2 ポーランド
 
 ポーランドはスタメンの平均年齢20・5歳という、実質U-21のチーム。22・5歳の日本とのヤング対決は、速攻から2ゴールを奪ったポーランドに軍配が上がった。得点者はブダ(9分)とノビツキ(29分)。
 
 1点目は中盤で日本の緩い横パスをカットしてから、2点目は攻撃をしのいだ直後のカウンターアタックなど、ポーランド・サッカー持ち前のスピードを活かしたゴールだった。
 
 素早いチェック苦しんだ日本は、後半、ポーランドの動きが鈍るとようやくペースを掴んだ。68分に前田秀樹の突破から横山正文が強シュートを放ったが、GKの好守に阻まれ、73分のCKからの柱谷幸一のシュートもわずかに右に逸れる。
 
 終了間際にも戸塚哲也の好パスから横山、吉田弘が絶好機を掴んだが、ついに一矢を報いることができず。香港での(1982年スペイン・)ワールドカップ予選で最大の課題とされた最後の詰めの甘さ、そのまま国立競技場に持ち込んだような試合となった。

 
◇1981年1月27日・徳島
日本 2-4 ポーランド
 
 徳島で行なわれた日本対ポーランドの第2戦は、激しい点の取り合いの末、ポーランドに凱歌が上がった。
 
 第1戦では決定力不足で不評を買った日本チームだが、この日は13分に先手を取った。スタメンで出場の柱谷が右サイドからセンタリング、ポーランドDFの裏側で長谷川治久がヘディングシュートを決めた。
 
 その後、18分、30分に個人技を活かしてポーランドが逆転したが、勢いのある日本は33分に戸塚のCKを柱谷が頭でゲットして同点に追い付く反発力を見せる。
 
 後半なかば頃まで日本は優勢に試合を進め、柱谷、吉田らが絶好機を掴むが、勝ち越しゴールを奪うことができない。ポーランドは終了間際、集中を欠いた日本の隙を衝いて、ヤニコフスキ、バランが決めて逃げ切った。
 
「勝つチャンスがあったのに」と川淵三郎監督は悔しがったが、終盤のスタミナが勝敗を分けたようだ。
◇1981年1月30日・名古屋
日本 1-4 ポーランド
 
「50メートルシュート男」小松晃(※)のデビュー&幻のゴールに沸いた瑞穂球技場での第3戦だったが、日本代表はポーランドの正確でスピード溢れるプレーの前に、三たび屈した。
 
 勝負は立ち上がりの4分間で決まったと言える。ポーランドは3分の混戦の後、バルチャックが決めて先制すると、1分後にもオコンスキのシュートのリバウンドをキャプテンのブダがゲットして、2-0と優位に立った。
 
 日本は11分に相手のハンドで得たPKを前田が成功させて1点差に迫ったが、なかなか攻撃の糸口を見出せずじまい。その後もポーランドがペースを握り、44分にバラン、さらに69分にジェプカが直接FKを絶妙に決めて加点し、4-1の勝利。シュート数でポーランドの28に対して日本の5が示すように、ポーランドの圧勝に終わった。