「今回は本気です」と、2013年9月の記者会見にて長編アニメからの引退を宣言した宮崎駿監督(撮影:風間仁一郎)

『君の名は。』の新海誠から『この世界の片隅に』の片渕須直まで、きらめく才能が次々に登場する日本のアニメ。時間に余裕のある年末年始にアニメを見てみようと思っている人も少なくないだろう。そんなときに外せないのが、スタジオジブリの宮崎駿監督作品だ。
アニメ業界に精通し、『大人の教養として知りたい すごすぎる日本のアニメ』の著者である岡田氏に、その読み解き方について語ってもらった。

塗り替え続けた邦画の興行収入記録

アニメスタジオ、スタジオジブリでいま、新作の制作が進められているそうです。長編2本は、それぞれ宮崎駿、宮崎吾朗による長編で、宮崎駿監督の長編については『君たちはどう生きるか』というタイトルの冒険活劇ファンタジーであることが発表されています。また、CG短編作品『毛虫のボロ』も、2018年公開予定とのことです。

ご存じのとおり、宮崎駿は日本の国民的ともいえるアニメ作家で、宮崎アニメは邦画の興行収入記録を塗り替え続けてきました。

『魔女の宅急便』は制作費4億円、興業収入37億円、『紅の豚』は制作費9億円、興行収入54億円、『もののけ姫』は製作費21億円、興行収入193億円。そして『千と千尋の神隠し』は製作費20億円、興行収入304億円。いまだに邦画興行収入ランキングの第1位を維持し続けています。アメージングとしかいいようがありません。

『もののけ姫』を作ったあたりから、宮崎駿監督は「引退する」と繰り返してきました。『風立ちぬ』を公開したあと、2013年9月には記者会見まで開いて「今回は本気です」と長編アニメからの引退を宣言、スタジオジブリの制作部門を解体しましたが、2017年には撤回。新作スタッフも一から集め直しですから、昔アニメのプロデューサーを務めた身として、その大変さは想像に余りあります。

皆さんは、ジブリとか宮崎駿と聞くと、どういうイメージをもつでしょうか?

安心してみられるファミリー映画? エコロジーのすばらしさを説くヒューマニスト?

2016年11月13日に放映されたNHKスペシャル「終わらない人 宮崎駿」ではIT企業の人たちが、人工知能技術を活用した少し気持ち悪い動きをするCG生物を、宮崎監督に対してプレゼンしました。それを観た宮崎駿は、「生命に対する侮辱を感じる」と怒り出しました。その番組を見た視聴者は、「ああ、やっぱり宮崎駿はヒューマニストなんだ」と感心したかもしれませんが、筆者の見方はちょっと違います。

人工知能によるCGを観て、宮崎駿は大きな衝撃を受けた。宮崎駿という機械の内部では歯車が回りだし、その衝撃を「何か」に変換しようとしている。

宮崎駿は不快さとともに「何か」を感じたわけですが、その「何か」は本人にもまだわからなくて、言語化できていない。あの説教は、機械が稼働していることを示す「作動音」のようなもので、その内容を額面どおりに受け取って解釈しようとしても、あまり意味はないと僕は思います。

なぜか。たとえば、かつてiPadについて、「そのゲーム機のようなものと、妙な手つきでさすっている仕草は気色悪いだけで、ぼくには何の感心も感動もありません。嫌悪感ならあります」(スタジオジブリ発行のフリーマガジン『熱風』7号)と言っていたのに、NHKスペシャルの中では楽しそうにタブレットを使って作画していたりするのですから!

では、宮崎駿とはいったい何者で、どんなことを考えているのでしょうか?

『風の谷のナウシカ』は何を描いたのか

1984年公開の映画『風の谷のナウシカ』(映画制作時の会社はトップクラフト)は、地上波のテレビでも頻繁に放映される人気作品ですからご覧になった方も多いでしょう。映画のラストシーンに感動した人も多いと思いますが、宮崎駿本人は、いまだにあのような終わり方にしていることを後悔しているそうです。

映画に先行して、宮崎駿は原作コミック版『風の谷のナウシカ』を『アニメージュ』に連載しており、映画版はコミック版の2巻くらいまでのストーリーをベースに制作されました。

産業文明が崩壊した未来の地球では、高度な技術は失われ、猛毒の菌類がはびこる「腐海」が地表を覆っている。人類はほそぼそと生きているわけですが、主人公のナウシカは腐海という仕組みが地球を再生させようとしていることを知り、それをみんなに伝えようとする……というのが劇場版ですが、コミック版ではずいぶん違う方向へと進んでいきます。

劇場版の公開後、原作版の連載が再開されますが、憎しみ、差別、戦争の連鎖が続きます。面白いのですが、読んでいてとてもつらくなります。

1985年になると、宮崎駿は『ナウシカ』の連載をまた中断して、『天空の城ラピュタ』を作りはじめました。

血湧き肉躍るエンターテインメントを目指した『ラピュタ』は、地上波で放映されるたびにツイッターで「バルス」と唱えられる大人気作品ですが、公開当時はあまりヒットしませんでした。1988年の『となりのトトロ』も、興行成績はそれほどでもありません。宮崎駿が感性のままに作品を作っていた時期のスタジオジブリは案外、ヒット作品を出していないんですね。

しかし1989年には、ファミリー層を取り込むことに成功した『魔女の宅急便』、1992年の『紅の豚』と立て続けにヒットを飛ばし、スタジオジブリと宮崎駿はヒットメーカーとして認知されるようになっていきます。

一方、映画制作のために何度か中断していた原作コミック版『風の谷のナウシカ』も1993年に連載を再開し、ついに完結します。最終刊を読んで、僕はひっくり返るくらい驚きました。

「腐海が役割を終えたあとにやってくる平和な時代」を宮崎駿は否定しているのです。

原作版『風の谷のナウシカ』を読むと、その衝撃は伝わってくるでしょう。ラストで描かれたのは、散々に迷い、試行錯誤した末にたどり着いた、宮崎駿の結論だと筆者は思います。

すべてをさらけ出した最高傑作『風立ちぬ』


原作版『風の谷のナウシカ』を完結させたあとに宮崎駿が手掛けた長編作品が、1997年公開の『もののけ姫』。物語の構造的には、『風の谷のナウシカ』の続編、というかリメイクになっています。原作版『風の谷のナウシカ』を描ききったからこそ、『もののけ姫』をエンターテインメントに昇華して、強いメッセージを生み出せたのでしょう。

その後、最大のヒット作『千と千尋の神隠し』(2001年)、『ハウルの動く城』(2004年)、『崖の上のポニョ』(2008年)を経て、2013年には『風立ちぬ』を世に送り出しました。

僕は、この『風立ちぬ』が宮崎駿の最高傑作長編だと考えています。堀越二郎をモデルにした戦闘機開発物語であり、二郎とヒロイン菜穂子の悲恋の物語です。美しいものにしか興味がない二郎と、そういう非人間的な二郎を愛してしまう菜穂子。2人の歪な恋愛模様が、登場人物の「演技」によって見事に表現されました。

『風立ちぬ』では貧富のピラミッドが歴然とした世界を描いていますが、二郎はピラミッドの上層で自分の夢を追求しつづけます。そのすばらしさと残酷さ、そして夢を追った二郎が最後に得る「赦し」。これは、アニメ作家として作品をつくり続けてきた宮崎駿の内面そのものでしょう。宮崎は、『風立ちぬ』で自分のすべてをさらけ出したのです。

けれどまた、新しい世代や技術の刺激を受けて、宮崎駿のなかでは新たに何かが動き出しました。長い思索と表現の道を歩み続けてきた宮崎は、僕たちにどんな物語を見せてくれるのでしょうか。