アマゾンがここまで来た裏側には気の遠くなるような作業がある(撮影:尾形 文繁)

『アマゾノミクス データ・サイエンティストはこう考える』(アンドレアス・ワイガンド著、土方奈美訳、文藝春秋)の著者は、米アマゾンの元チーフ・サイエンティスト。アマゾン創業者のジェフ・ベゾスとともにデータ戦略を策定し、顧客にとって使いやすいプラットフォームの構築に尽力してきた人物である。

たとえば、「社内の編集者が書いた製品レビューと、消費者の書いたそれとでは、どちらのほうが商品購入後の顧客の満足度は高くなるのか?」「従来型の人口動態に基づくプロファイリングから導き出した“お薦め商品”と、個人のクリックに基づくそれとでは、どちらのほうが購入に結びつきやすいのか?」などについての“答え”を、数々の実験を通じて導き出していったということだ。

その結果、メーカーがスポンサーとなったプロモーションより、本音のコミュニケーションのほうが有効であることがわかった。われわれがアマゾンで開発したパーソナライゼーション・ツールは、消費者の意思決定のあり方を根本的に変え、eコマースにおける新たなスタンダードとなった。(17ページより)

プラットフォームを構築したからこそ成り立つ感覚だ

2018年を迎えようとしている私たちが上記の数行を読むと、いささか当たり前すぎると感じる部分は少なからずあるかもしれない。黎明期の話題なのだから当然の話だ。しかし、そこに著者らが行ってきたことの価値があるといえる。

いま、それを「当たり前すぎる」と感じるのは、もはやそれがすっかり浸透しているからにほかならない。そしてそれは、彼らがアマゾンのプラットフォームを構築したからこそ成り立つ感覚なのである。試行錯誤を繰り返しながら当時構築されたものが、いまなお生き続け、そして進化しているということ。そう考えただけでも、著者の功績の大きさを推し量ることができるのではないだろうか。

つまり、著者がそのような人物であるからこそ、本書にも『アマゾノミクス』というタイトルがつけられているのだ。だから読者はここに、「アマゾン黎明期のエキサイティングなストーリー」みたいなものを期待する可能性がある。それは私も同じだった。

しかし残念ながら、そのことばかりに意識を集中させていると、多少なりとも肩透かしを食らうことになるかもしれない。なぜならこれは「アマゾン誕生秘話」のたぐいではなく、描かれているのは「アマゾンの礎を築いたビッグデータ専門家が明かす、大手データ企業の戦略」だからだ。

想像もつかないほど地道な作業が行われていた

印象的なのは、2000年代初頭のアマゾンで、さまざまな実験が行われていたことが明らかにされる第1章「データの積み重ねが財産になる」だ。ここを読むと、私たちアマゾン・ユーザーには想像もつかないほど地道で、気の遠くなるような作業が行われていたことがわかる。

私が2002年に入社した当時、アマゾンが掲げていた目標の一つは、郵便番号レベルの分析を超えて、顧客とサイトとのすべての交信を最大限活用することだった。私のチームは一人ひとりのユーザーについて、500項目の個人的属性を明らかにした。出発点となったのは次のような質問群だ。商品の届け先住所から一番近い書店あるいはショッピングセンターとの距離によって、顧客がアマゾンで買い物をする頻度や購入金額は変わるだろうか。顧客が利用するクレジットカードによって、将来の購買パターンについて何か予測できないか。2つ以上の商品カテゴリーで買い物をした顧客は、本しか買わない顧客より1年間の買い物総額が多いだろうか。昼と夜とで同じ顧客でも買うものは違うだろうか。われわれの分析結果が、広告宣伝と値引きのどちらに販促費を投じるべきか、といったアマゾンの意思決定の材料となることもわかった。(36ページより)

このようにクリックと購入のデータを統合して推奨システムを構築し、アマゾン以外の出品者がAmazonサイトで商品を販売するためのプラットフォームもつくり、そうした企業の商品を保管するための倉庫スペースも提供。そこまですることによって、分析に使えるデータの範囲はさらに広がったというのである。

もちろんeコマースにおいて、データを保存することそれ自体は革命的でもなんでもない。至極当然のことである。ただ、アマゾンと他の小売業との決定的な違いは、顧客が自らの興味、好み、そのときの状況に応じて「何を買うべきか」判断するのに役立つようにデータを生成することへのこだわりだと著者は強調する。たしかにそれこそが、プラットフォームとしての価値なのだろう。

もうひとつ、「なるほど」と感じずにはいられなかったのは、第2章 「『いいね!』はあなたを映す鏡」におけるプライバシーについての考え方だ。まず、ここでスタートラインと位置づけられるのは、私たちの祖先の時代だ。当時、人々は大勢で炉を囲み、村のゴシップに花を咲かせた。そこにはプライバシーなど皆無であり、そもそもプライバシーを誰も期待していなかった、あけっぴろげな時代だったというのである。

そののち都市への人口流入が始まり、社会的匿名性とプライバシーが誕生する。プライバシーは「権利」と考えられるようになり、それは法的保護の対象にもなっていく。

おもしろいのは、こうした変遷を経たのちのこと。すなわち現代におけるプライバシーのあり方だ。インターネットが社会生活を送るうえで欠かすことのできないツールとなるなか、プライバシーに関する考え方も大きく変化していったということである。

われわれは無料かつ迅速に家族、親友、見知らぬ他人と交流できる見返りに、進んで人生を「公開」するようになった。プライバシーという概念を構築し、それを解体するというプロセスが、すべてほんの二世紀ほどのあいだに起きた。人類史のなかでは瞬きするほどの時間である。過去100年にわたり、われわれはプライバシーを大切にしてきたが、そろそろそれが幻想にすぎないことを認めるべきだ。われわれは自らの関心、帰属意識、コミュニケーションを管理するためのツールを望んでいる。(78ページより)

「匿名性は、民主主義の前提条件などではない」

いまや時代は変わったのだと著者はいう。そして、「匿名性は、民主主義の前提条件などではない」とも。これまで私たちを縛りつけてきた「プライバシーの幻想」に浸り、過去のルールが未来もわれわれを守ってくれると期待するのではなく、「今日の状況と未来の可能性を見すえた新たなルール」をつくるほうがいいという考え方だ。

何が公開情報で、何がプライベートな情報かといった線引きをしたり、データを囲い込む(あるいは遮断する)ための壁を作ったりするのに多大な労力を費やすより、われわれが自分らしくあるには何が必要か、という点に目を向けよう。そうすることでデータ会社を最大限に生かすとともに、データを共有することの潜在的なメリットとデメリットのバランスを考えられるようになる。(79ページより)


正直なところ、この主張を目にしたときには、硬い頭をガツンと叩かれたような気がした。たしかにそのとおりで、変化し続ける時代には、自分自身もまたバージョン・アップを繰り返していく必要があるはずだからだ。

さて、前半においてこのようにデータのあり方と私たちの姿勢を提示したうえで、後半は話題が経済から医療にまで広がっていく。400ページにも及ぼうという大作なので読むには時間がかかるかもしれないが、読みごたえは充分だ。

最後に、第7章2節のラストを飾るフレーズを引用しておこう。ここでのテーマ自体は「医療・公平さ」だが、この一文は、本書全体を締めるという意味においても重要だと感じるからだ。

われわれはいま、難しい判断にともなうトレードオフを定量化する能力、自らの価値観を明確に示す能力、結果を測定する能力を手に入れた。そうなった以上は、何が公正か、公正ではないか、選択しなければならない。もはや無視を決め込むことはできない。また成り行き任せにする必要もない、透明性と主体性の権利を行使しながら、この世のありとあらゆるデータを生成していくなかで、われわれの、われわれによるデータは、われわれのためのデータになる。(338ページより)

データやそこに派生するコミュニケーションのあり方を探るためにも、ぜひ読んでおきたい一冊である。