渡邊和也選手

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 第94回目を迎える、2018年1月2日、3日開催の箱根駅伝。その予選会で、箱根への最後の切符を手にしたのは東京国際大だ。2年ぶり2度目の出場という若いチームに、異彩を放つオールドルーキーがいる。渡邊和也選手(1年)、30歳だ。世界陸上テグ大会(’11年)の5000m代表として日の丸も背負った選手が、なぜ今、箱根路に挑むのか?

【写真】10月に行われた予選会ではチーム9位でゴール。出場権獲得に貢献した

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 社会人入試を受け、29歳で大学へ。

「将来、指導者になりたいので。幅を広げるために教員免許を取得しよう、と。そして、大学に行くからには、箱根は必須だと思ってました」

 高校時代は駅伝の名門・報徳学園高(兵庫)で活躍。卒業後は、実業団の山陽特殊製鋼へ進んだ。

「大学と実業団とでそうとう迷いました。希望する大学は周囲の反対にあったので、やめました。何より、ランナーとして速くなるなら実業団だろう、と決めました」

 しかし入社4年ほどで方針が変わり、陸上部は縮小。走りがいを求めて四国電力に移籍した。だが、3年で廃部という憂き目にあってしまう。

 渡邊選手の不運は続く。

「日本選手権(’08年)では、ゴール直前で足がけいれんして転倒。そのままトップだったら、北京五輪(’08年)だったんですが……。世界陸上では予選でほかの選手と接触して、またも転倒しました」

 その後、『ニューイヤー駅伝』で優勝したこともある、日清食品グループに移籍する。

「リオ五輪を目指し、日本選手権(’15年)でギリギリ切った派遣標準記録が、翌年に5秒上がってしまって。その後は故障もあり、派遣標準記録を切ることができず、契約切れになりました」

 勝負に“たられば”はないが、“もしも”を考えずにはいられない苦労人だ。

「今、振り返ってみると、そうかもしれないですね(笑)。でも、引退はまったく考えませんでした。幸い、ひとり身なので、まだまだ挑戦できる立場。年齢的な躊躇(ちゅうちょ)はなかったです」

 むしろ、気にしたのは金銭面。奨学金を借りていると笑う。

「自己ベストは1万m27分47秒。でも、それは6年前の記録。今は30分30秒の選手です。ただ、身体は絞れてますし、走るたびに感覚が戻っています」

 大学ではどんな勉強を?

「1年なので基礎的なことが多いんですが、スポーツ心理学やスポーツ栄養学などです。新鮮です。人間社会学部は男子学生の割合が多いので、思い描いていたキャンパスライフではないかもしれませんが(笑)」

 駅伝部内でジェネレーションギャップを感じることも……。

「多々あります(笑)。周りは乃木坂46とかが好きなんですが、僕はあまり興味なくて。上下関係ですか? ウチはそんなに厳しくないほうだと思います。掃除や洗濯なども全員で分担してやりますし。先輩はみんな年下ですが、敬語を使ってくれますね。時々、ナベカズって呼ばれてイジられたり(笑)」

 チームメートからは、走りだけでなく、プライベートの相談も持ちかけられる頼れる兄貴分のよう。

「予選会最下位通過なので、胸を借りるつもりで。チームの調子は上がっているので、ひとつでも上の順位を狙いたいです」

 目標は8位。シード権獲得を目指す。渡邊選手が4年になる’21年、もし箱根を走れば大会史上最高齢選手となるが、まずは箱根デビューから。

「できれば1〜3区で勝負したい。ラストスパートが得意なので、追い上げるところを見てください!」

<プロフィール>
渡邊和也選手◎東京国際大人間社会学部人間スポーツ学科1年。駅伝部所属。’87年7月7日生まれ。172cm、57kg。兵庫県出身。昨シーズンまで日清食品グループに所属。’08年には1500mで日本歴代2位のタイムを樹立。