横浜マリノスで黄金期を築き、日本代表でも揃ってW杯に出場した川口能活と中村俊輔【写真:RYUGO SAITO】

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【能活×俊輔vol.1】マリノス黄金期を築いた2人が語る、中高時代に得たもの

「炎の守護神」と呼ばれた希代の名GK川口能活(SC相模原)と日本サッカーを代表する天才ファンタジスタ・中村俊輔(磐田)。横浜マリノス(現・横浜FM)で黄金期を築き、長く支えた日本代表でも揃ってW杯に出場した2人の豪華対談が「THE ANSWER」で初めて実現し、4回にわたって互いのサッカー人生について語り尽くした。

「レジェンド対談」の第1回は、中学・高校と全国有数の強豪校でサッカーをしてきた川口とクラブチームから当時は新興校だった高校のサッカー部を選択した中村、異なる環境下でプレーしてきた2人が中学・高校時代に得たものとは――。

――川口選手は著書「壁を超える」で東海大一中時代を振り返り、「毎日一人だけ居残りで特訓を受け、泣きながら練習していた」と語っていました。クラブチーム出身の中村選手はだいぶ、環境が異なるのでは?

中村「そうですね。日産FC(現横浜F・マリノスジュニアユース)での練習時間は19時〜21時で21時30分にはグラウンドは消灯。自主練をするような時間もありませんでした。練習時間よりも早めに行って、僕らより前に練習をしているジュニアの邪魔にならないようにボールを触ったり、練習後にチームメートとバー当てを競ったりするぐらい」

川口「バー当てかぁ。中学時代は練習が厳しかったので、それをやる余裕はなかったな。クラブチームはそういう遊び心があっていいよね」

中村「練習も面白かったですよ。いわゆるエリート集団だったからチームメートの意識が高くて、練習内容からしてレベルが高かった。でも、何となく物足りなさは感じていましたね」

川口「僕は毎日、立っていられないほどヘトヘトになっていたから、俊とは違う意味で自主練をやろうという気持ちが起きなかった。でも毎日、必死で練習を続けていたら、いつのまにか自信も力もついていましたね。ただ、東海選抜、U-16(日本代表)に選ばれるようになって、ちょっと天狗になってしまった。それで、余計に監督の特訓が厳しくなりました(笑)」

天狗、勘違い…ユースに上がれず「坊主でもなんでもいい!」と思った中村の高校選択

中村「僕も同じです。中1から試合に出ていたのに、監督に言い返したり、不満をぶつけたり、ふてくされていたりしていたら、中3でスタメン落ちやベンチにも入れない選手になってしまった。で、ユースにも上がれなくなり、そこでハッと天狗になっていたことに気づきましたね。クラブチームは勝ち進めば冬まで大会があるのに、僕の学年では早々に負けて、夏で終わってしまったんです。それから高校に入学するまでの約半年間、一人で練習を積むしかなくなってしまった」

――監督からは何も指摘をされなかった?

中村「なかったですね。天狗にでもなれば、監督にガツンと怒られてもおかしくない時代だったのに。後に当時のコーチに聞いてみたら、自分自身で気づいてほしいから、あえて何も言わなかったそうです。ただ、この経験のおかげで、勘違いをしていた自分やサッカーと向き合えたし、挫折しても自分の力で努力して、這い上がる力が身につきましたね。でも、上の(ユース)チームに上がれない、とわかったときは頭が真っ白になりましたよ。プロを目指していたし、『この先、どうなるんだろう』って」

川口「やっぱり、すごいな。僕がその年齢の頃は、プロになろうなんて微塵も考えていなかった」

――川口選手は中学を卒業後、全国でも強豪校だった清水商(現清水桜が丘)に進学されます。

川口「僕は最初、サッカーの強豪であり、進学校でもある清水東を目指して猛勉強をしていたんです。でも、中3の夏にケガをして、一気に勉強のモチベーションも下がってしまった。そんなとき、清商サッカー部の大滝雅良先生から医者を紹介していただき、その縁で清商への進学を決めました。俊が桐光学園(神奈川)に決めた理由は?」

中村「中3の頃、タイミング良くクラブチームでプレーしていた選手も高校の推薦枠に入れる流れがあって、桐光や神奈川の他校から声を掛けてもらったんです。東京の強豪校からも誘われたけど、雨でセレクションが中止になったので、神奈川県内の高校から選ぶことに。最終的な決め手は尊敬する先輩が2人いたので桐光に決めました。当時の僕は、本当にゼロの状態。どこでもいいからサッカーを続けたいし、新たに一個一個、積み上げていこうという気持ちだった。もし、東京の強豪校に入学したら1年生の間は坊主だとわかっていたけど(笑)、サッカーができて、高校にも進学できるなら『坊主でもなんでもいい!』って気持ちでしたね」

クラブチームの先輩「君付け」に川口びっくり「ええ!こんなこと許される!?」

川口「静岡県の高校は有無をいわさず1年生は全員坊主だったけどね(笑)。U-16に初めて呼ばれたとき、クラブチームの選手たちはみんなカッコよく髪の毛を伸ばしているのを見て、ちょっと憧れた。しかも1つ上の選手に対して『〇〇君』と呼んでて『ええ! こんなこと許される!?』ってビックリした(笑)。きっと高校はクラブチームとだいぶ、勝手が違ったでしょ?」

中村「うん、違った(笑)。まず、1年生はボール磨きとボール拾いばかりで、早々に物足りなくなってしまった。『このままでは日産時代と同じことをくり返してしまう』と思って、いかに練習以外の時間を自分のために使うかを考えましたね。その後は始業前と部活後に自分でメニューを考えて自主練。中学での反省があったから、自分からやらなきゃという気持ちになりましたね」

川口「自主性と大切さは僕も高校時代に痛感した。『自分でしっかりやらないと試合に出られない』という厳しさを教えられました。清商ではとにかくチーム内の競争が激しかった。僕は1年生からレギュラーで使ってもらえたけど、ポジションを争う相手は常に先輩。しかも、キーパーのレギュラーポジションが一つ。レギュラー争いに勝ち続けるには、先輩以上に練習をするしかないけれど、僕がやっているようなことは、当然、先輩たちもやっているんです。だからひたすら、ものすごい量の練習をこなしていましたね。特に中学から高校にかけての年代は疲れ知らずだったし」

中村「清商は選手権の常勝チームですからね。僕の学校とは競争の厳しさのレベルがまったく違う」

川口「成長する上で、ライバルの存在は貴重だし、大きい。ライバルが頑張る姿を見ると、自分もさらに練習に身が入る。そして、その積み重ねが上達につながるんだよね」

(第2回に続く)

<川口能活、初著作「壁を超える」を刊行>

 川口は初著作「壁を超える」をこのほど上梓した。

 42歳現役選手を支え続けるものとは何か――。順風満帆に見えて、実際は今ほど整っていない環境での海外移籍や度重なる怪我など辛い時期を幾度も乗り越えてきた。メンタルが問われるゴールキーパーという特殊なポジションで自分自身を支え続けるものは何なのか。

第1章 苦境のおしえ
第2章 人を育てるということ、組織(チーム)を率いるということ
第3章 リーダーの肖像 ――指揮官たちに教わったこと
第4章 厳しかった日々と家族の存在
第5章 「現役」であること、「引退」に思うこと

「あの時」、川口は何を思っていたのか――。
定価:本体800円+税 ISBN:978-4-04-082166-5(長島恭子 / Kyoko Nagashima)

長島恭子
編集・ライター。サッカー専門誌、フリーランスを経て編集ユニット、Lush!を設立。インタビューや健康・ダイエット・トレーニング記事を軸に雑誌、書籍、会員誌、WEBなどで編集・執筆を行う。担当書籍に『世界一やせる走り方』『世界一伸びるストレッチ』(共に中野ジェームズ修一著、サンマーク出版)、『つけたいところに最速で筋肉をつける技術』(岡田隆著、サンマーク出版)、『肩こりには脇もみが効く』(藤本靖著、マガシンハウス)、『カチコチ体が10秒でみるみるやわらかくなるストレッチ』(永井峻著、高橋書店)など。