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シボレー・コルヴェア・モンツァ(1961年)

1959年、後期の目線に晒されつつデビューしたコルヴェアは、フォルクスワーゲン・ビートルのような小型欧州車に対する、シボレーの予期せぬ反応を代表する一台だ。やがてそのラインナップは拡大され、クーペボディをベースにモンツァと銘打たれた派生車種が登場した。

4段のフロアシフトMTやバケットタイプのフロントシートなどを装備し、よりスポーティに仕立てられたそれは、RRレイアウトという特殊な設計ながら、カテゴリー的には後のポニーカーにつながるもの。当初はうまくいきっこないという声もあったが、それに反して速いクルマを求める若いユーザーに幅広く支持される。好感触を得たシボレーは、152psのフラット6ターボを積むコンバーティブルのモンツァ・スパイダーも追加設定した。

シボレー・スーパーノヴァ・コンセプト(1964年)

自動車業界では、秘密というものはそう長く隠しておけるものではない。フォードが極秘裏に開発を進めていたマスタングの情報もまた、シボレー首脳陣の耳にそれとなく届いた。そこで、ニューヨークオートショーで公開された対抗策が、スーパーノヴァと銘打ったコンセプトカーだ。その数日後、同じニューヨークで開催された万国博覧会で、ディアボーンの野生馬はデビューを飾るのだが。

スーパーノヴァは、当時としてはかなり未来的なデザインだが、ロングノーズ・ショートデッキのプロポーションは典型的なスポーティクーペのそれ。しかし、メカニズムは既存のシェビー兇ら拝借したものだった。そのライバルであるファルコンのコンポーネンツをマスタングがベースとしているのと同様、現実的な造り方だ。だが、販売中のシェベルとポジションが被るとの判断で、商品化は見送られた。

フォード・マスタング(初代・1964年)

コルヴェア・モンツァの好評ぶりを横目に、これを上回る成功を目指した初代マスタング。小型車に位置づけられるファルコンをベースにした古典的なFRレイアウトで、コルヴェアのような新奇さはないが、ポルシェは高すぎて手が出ないプライベートレーサーに向けたマッスルカーという役目も担わされた。

この手のクルマに需要はないだろうという声も少なくなかったが、フォードは単一モデルとしては最大級の宣伝キャンペーンを展開。発表から24時間で2万2000台を受注するという、空前絶後のヒット作となる。現代のアメリカで、これほど熱狂的に受け入れられる商品といえば、アップルの新製品くらいしか思いつかない。

シボレー・カマロ(初代・1966年)

GMは、マスタングの人気をまったく予想できず、不意打ちを喰らうかたちとなった。そこでシボレー・ディビジョンは、可及的速やかにフォードの悍馬をしとめるモデルを開発する任務が課せられる。そうして1966年秋、67年モデルとしてショールームを飾ったのが初代カマロ。そう、およそたった2年の間に、立案から生産までを急ピッチでこなしたのである。

シボレー・カマロ(初代・1966年)

初代カマロの価格は2466ドルから。現在の貨幣価値でいえば、200万円そこそこからの価格設定だ。エンジンは142psの3.8ℓ直6から、上は300psの5.7ℓV8まで揃えた。つまり、性能的にいえばコルヴェアより上のクラスということになる。全車とも後輪駆動で、標準仕様はMT、オプションでATが設定された。

初年度の販売台数はおよそ22万台。とてつもない数字ではあるが、それでもマスタングには及ばなかった。生産はもちろんアメリカ国内が大半だが、1967年から68年にかけて、欧州向けに854台がスイス・ベルンで製造されたという記録も残っている。

シボレー・カマロ・コンバーティブル(1967年)

アメリカでのオープンカー人気は根強い。絶対的な販売台数はクーペより少なく、価格の上乗せはわずかでも、イメージアップに寄与する看板モデルとなる。マスタングへの対抗措置としても、カマロのオープン化は急務だった。1967年登場のそれは、その年のインディ500でペースカーに供され、シボレーはその最新モデルを多数のクルマ好きに披露する絶好の機会を得た。

ポンティアック・ファイアーバード(初代・1967年)

GMグループにおいて、パフォーマンスを売りにするディヴィジョンだったポンティアックは、1964年に発表したバンシー・コンセプトの量産化を自信満々に提案するが、デトロイト上層部はコルベットの領域を侵犯するとして却下。カマロの自ブランド版を設定する、という代案で妥協せざるを得なかった。そうして、67年に誕生したのがファイアーバードである。

カマロの多彩なグレード

初代カマロのオプションリストは、トールキンの『指輪物語』もかくやという長さ。そんな中で、知名度の高いパッケージオプションが、ラリー・スポーツ(RS)、スーパー・スポーツ(SS)、そしてZ/28だ。

RSにはカバー付きヘッドライトが装着されるなど専用装備が多数用意されたが、メカニズム的にはほぼベースモデルのまま。SSは300psユニットやアップグレード版のサスペンション、専用のデカールとバッジを備える。Z/28は競技ベース車輛となることを想定し、295psユニットと4段MT、大径ホイールとレーシングストライプが与えられた。

初のマイナーチェンジ(1969年)

1960年代のアメリカ車は、今よりずっと頻繁に、ボディパネルのレベルからの改修を行っていた。カマロは1969年式で、小規模ながらスタイリングを変更。V字型に突き出したグリルやボディに追加されたプレスラインにより、初期モデルよりスポーティに仕立てられている。RSとSS、Z/28は引き続き設定された。

COPO ZL-1(1969年)

トランザムやカンナムといったレースで、カマロは急速にその名を上げていった。そうしたレースカー用に開発された最強のエンジンが、オールアルミV8のZL-1だ。イリノイのシボレーディーラーであるフレッド・ギブスは、少量生産オフィス(COPO)に、このZL-1を積む公道仕様の製作をオーダーする。その結果、価格は標準モデルの2倍となり、ギブスは注文した50台を売り捌くのに苦戦。販売できたのは13台で、アメリカ全土のディーラーに働きかけて取引できたのも数台だった。残りは、シボレーに返品することになる。

シボレーが生産したCOPO ZL-1は69台で、それだけにこのアルミユニットを積んだモデルは、歴代カマロの中でも最も入手が困難なモデルといえる。現在、程度のいい物件で整備履歴などの書類が揃っていれば、50万ドルを超える高額で取り引きされる。

シボレー・カマロ(2代目・1970年)

第2世代のカマロは、1970年2月に登場。初代より長く広いボディはデザインをガラリと変え、ヘッドライトと分断されたグリルは幅が狭くなり、高さは増している。フロントバンパーは左右2分割で、テールライトは丸型レンズを左右2個ずつ配置した、コルベットやシェベルとの共通点を感じさせるデザインだ。折からの安全規制強化を受けて、この世代にコンバーティブルは用意されなかった。

存続の危機

1970年代初頭は、GMにとって動乱の時期だった。オハイオのノーウッド工場の従業員は、72年に174日間のストを行い、1000台以上のカマロが生産ライン上で足止めを食っう羽目に。コストの問題から、73年の安全基準に適合させることができなかったそれらは、スクラップとなる運命をたどった。

73年にはガソリン代が高騰し、アメリカにおけるハイパフォーマンスカーの需要が激減。加えて、エミッション規制をクリアするため触媒の装着を余儀なくされ、前年比100psダウンなどという状況さえ生まれた。カマロとファイアーバードも例外ではなく、GM上層部がモデル廃止を真剣に検討したほど販売が低迷した。

物議を醸したデザイン変更(1974年)

1974年には、アメリカの新たな衝突安全規定に適合させるべく、デザインを大幅に変更。フロントには、農機具を思わせる斜めに傾いだグリルと、あまりにも長大なバンパーが設置された。翌年には、サイドへ回り込んだリヤウインドウを採用するとともに、Z/28廃止という残念なニュースが。新たなエミッション規制は、大出力V8ではクリアできないものとなっていた。

予期せぬ追い風

それでもカマロは生き残った。その要因はいくつかあるが、第一に挙げられるのはフォード・マスタングの路線変更。アメリカではコンパクトカークラスに当たるピントのプラットフォームを用いた、小型で高効率なクルマを標榜したのである。名称もマスタング兇箸気譟△發呂筌マロのライバルとは呼べないものになっていた。自ら築いた『ポニーカー』戦線から、その名の由来となったモデルが撤退したのである。

加えて、マスタングをベースとしていたマーキュリー・クーガーは高級路線へ移行。AMCジャベリンやプリマス・バラクーダは石油危機の犠牲となり、1974年に生産を終えた。このカテゴリーは、生き残ったカマロとファイアーバードの独壇場となったのである。

新たなオープンエアのカタチ(1978年)

肥大しながらも非力になったカマロは、もはやアメリカで最もエキサイティングなクルマと呼ぶには程遠いものとなっていた。テコ入れには、要望の多いコンバーティブルの投入が一番だということは、シボレーも重々承知していたのだが、なにしろモデルライフが末期に近い。今さら2代目カマロのソフトトップ版を開発したところで、その多大なコストを回収できる見込みは薄かった。

そこで浮上した妥協案が、コルベットに採用されているTトップ、すなわちTバールーフの追加だった。左右2分割の脱着式グラスルーフを備え、外したパネルは容易にトランクスペースへ収納できる。同様の解決策は、もちろんファイアーバードでも採用された。