SNS上の論争はなぜ気持ち悪いのか。逆上する、有名人に媚びる…

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 SNSで飛び交う言葉がどことなく気持ち悪いと感じるんだけど、なぜかと言われると上手に説明できない。たとえば、ネトウヨVSパヨクの不毛な論争。ヤフーニュースで多くの共感を集める、どこの誰だか分からない人の“これが答えだ”的なご高説コメント。

 いずれも確かに言葉による表現行為なのだけれども、しかし全面的にそうとは認められないのも事実。これは自分の知っている日本語とは違うぞ、というような。このモヤモヤの正体は一体何なのでしょう……。

◆SNS上の論争はなぜ気持ち悪いのか

 そんな現代社会の病に正面から向き合ったのが、『SNSは権力に忠実なバカだらけ』(コアマガジン刊 著 ロマン優光)。著者は音楽ユニット「ロマンポルシェ。」などの活動で知られるミュージシャンで、近年はサブカル論を中心に文筆業でも活躍しています。

※本書の章立て
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まえがき
第一章 SNSは気持ち悪い
第二章 ゆかいな愛国者たち
第三章 新興宗教との付き合い方
第四章 松本人志という権威
第五章 オザケン人気が謎すぎる
第六章 ミスiDと暴力
あとがき
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 さて親切な優光氏は、本書のまえがきでなぜSNSの言説はキモいのかについてほぼ結論を言ってくれています。著者自身のツイッターでの経験から、次のように分析します。

<なんとなくわかったのが、その人たちの頭の中に「答え」が最初から存在していて、それを基準に反応しているのではないかということです。>
(まえがき p.8)

 つまり、SNSでのやり取りには、批判や反論を受け入れながら物の見方をすり合わせていく過程がないので、すべてが一方通行で終わってしまう。だから言葉が鍛えられる機会がなくなってしまい、語句の立派な見た目だけが不自然に目立ってしまうのですね。

 優光氏は、この一方通行のコミュニケーションに熱中する人たちを「権力に忠実なバカ」と呼んでいるわけです。それは、異なる意見と照らし合わせて物事の本質に近づいていくのとは真逆の姿勢だといいます。

<こういったタイプの人は、結局のところ選民意識が強い人なのだと思います。そういう人が権力を持った人や権威のある人とお近づきになることができたり、意見の合致を見ようものなら、盛大に噴き上がります。

(中略)力のある人と知り合いになれたことで自分が認められた気になったり、意見の合致を見ることで自分の意見が正しかったという実感を得たりするのでしょうね。>
(まえがき p.11)

 つまりツイッターなどで見られるトゲトゲしい攻撃性は、こうした弱者特有のナイーブさと表裏一体なのです。

◆批判される→逆上する→フォロワーがおだてる

 たとえば、あるミュージシャンの作品が批判されると、まず当人が批評そのものを受け付けない態度を取る。すると、彼のフォロワーがそうした姿勢をカッコいいとか言ってヨイショするので、ミュージシャンは勇気づけられる。そうして互いの傷を舐め合う連帯が出来上がる。

 このような“弱者の帝国”=掃き溜めが、SNSの出現によって実体として見えやすくなったのが現代だというわけ。

 優光氏がツイッターをしていて驚いたのが、

<「他者を批判することは良くないことである」という考えが広い範囲に浸透しているということ>(第一章 SNSは気持ち悪い p.14)だったそう。

 自分が傷つきたくないから、まず他者を傷つけないように振る舞う。これも弱者のメンタリティなのでしょう。

 本書ではSNS全盛時代の象徴として、稚拙(ちせつ)なご意見番・松本人志(54)や、デマばかり垂れ流し続ける作家の百田尚樹氏(61)などが論じられているのですが、彼らに共通しているのは、自分だけの価値観とそれを支持する人たちのなかでしか成立しない言説だという点なのだと思います。

 松本人志も百田氏も一見すると威勢がよく強そうに見えますが、でもどこか危なっかしい思いで見ている人もいるんじゃないでしょうか?

 それは彼らが言いたいことを自分ただ一人の責任において述べているからではなく、群れをなす弱者に守られたナルシシズムに甘えて発せられているからだろうと思うのです。

 だから本書のタイトルには「権力に忠実なバカ」との文言が入っているのでしょう。

『暴政:20世紀の歴史に学ぶ20のレッスン』(慶應義塾大学出版会刊 著 ティモシー・スナイダー 訳 池田年穂)とあわせて読みたい一冊です。

<TEXT/石黒隆之>