AC/DCブライアン・ジョンソンが語るマルコム・ヤング

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「マルコムが今、皆の悲しみや哀悼の想いを知ったら、すごく感動してくれるはずだ。」ブライアン・ジョンソンが2年ぶりのインタビューで希代のギタリストについて語った。

「最低の週末だったよ」ブライアン・ジョンソンはフロリダにある彼の自宅で話を始めた。1980年からAC/DCのリードシンガーであるジョンソンは、共に35年間活動し、2017年11月18日に痴呆症による合併症によって享年64歳でこの世を去ってしまった、バンドの創始者の一人でもあるギタリスト・マルコム・ヤングついて語ってくれた。

現在70歳になったブライアンは、マルコムとスクールボーイのファッションに身を包みんだ、リードギターのアンガス・ヤングと、ハードロック史上に残るハンマーのように強烈な曲を作り続けてきた。聴力障害を理由にツアーから引退したブライアンは、9回に渡る内耳への手術の後遺症を今でも引きずっている。「俺も男だからあまり言いたくないんだけど、耳が痛むのは事実なんだ。これで終わりだって事さ。」と彼は語る。「でもマルコムの状況はもっとひどかったんだ。目に見える事もなく、触れる事もできない不治の病だったんだよ。」ジョンソンはマルコム・ヤングとの思い出をローリングストーン誌へ話してくれた。

マルコムはバンドのキーパーソンだったんだ。あのアンガスを捕まえて「ただクレイジーにギターを弾くんだ」って言った事もある。マルコムはみんなにバンドをやるって事がどういう事なのかを教えたんだ。彼は優しい人間でもあった。熱狂的なファンが俺達のライブを観にドイツまで来た時、セキュリティーが彼の入場を断った。そのファンがヒッチハイクをしてまでドイツまで来たのを知ったマルコムは、500ポンドをそのファンに渡して「会場に入れる事ができなくて申し訳ない。でもこのお金でせめて飛行機を使って帰ってくれないか」って言った事もあるんだ。

80年にAC/DCのオーディションを受けたのも忘れられない出来事だ。オーディションを受けたシンガーはバンドのメンバーが待つ部屋に入って2曲歌うっていう流れだった。俺が部屋に入ると、メンバーの中で一番背が小さな男が俺に向かって来て、”ニューキャッスル・ブラウン・エール”のビールを俺に勧めてくるんだ。ニューキャッスル出身の俺が驚いていると「ほら、これ飲んだら地元にいる時みたいにリラックスできるだろ。」ってさ。それがマルコムだったんだ。

「マルコムはミスを犯したことがない。彼は全てに注意を払ってるんだ」

そうやってオーディションを受けたんだけどまさか無名の存在だった俺が受かる訳がないって思ってた。会場でも「今から2曲歌った後、自分の国に帰るんだ」って言ったんだ。それでも、友達にはAC/DCと歌ったんだぜって自慢できたから、それでよかったと思っていたんだ。その1ヶ月後マル(マルコム)が電話を掛けて来て「こっちに来ないか?」って言ったんだ。

「何しに行くんだ?」って聞いたら、

「わかってるだろ。アルバムを作るんだよ。」

俺は続けて「ってことは俺をバンドに入れてくれるのか?」って訊くと彼は「ああ、もちろんだぜ。」ってな感じだ。そして俺はAC/DCに加入する為にオーストラリアに向かったんだ。マルコムは彼の両親を俺に紹介してくれた。その後マルコムはニューキャッスルまで俺の両親に会いに来てくれて「僕がマルコムでこういうバンドをやってます」って挨拶をしに来てくれたんだよ。彼はそういう風に凄く優しい男でもあったんだ。

その後すぐバハマに行って『バック・イン・ブラック』のアルバムのレコーディングをしたんだけど、バンドに加入してすぐアルバムを作るっていう緊張もあって、俺はかなりイライラしていたんだ。レコーディングの初日にマルコムは俺にカセットテープとノートを渡して「これから一発目のラフなレコーディングをするんだけど、お前がどんな歌詞を書くのか知りたいから、何か書いてくれ。」って言ったんだ。俺は「タイトルは決まってるのか?」って聞いたんだ。「あるよ。『ユー・ショック・ミー・オール・ナイト・ロング』がタイトルだ。」俺は「何でそんなに長いタイトルなんだよ。」って言ってしまった。そんな状態の俺に「いいか。お前はゆっくり時間かけていいんだ。時間は一日中あるんだからな。」って言ってくれたんだ。マルコムは「明日までに詞を書け。」なんて言う事はなかった。「椅子に座って、落ち着いてアイデアが浮かぶのを待てばいいんだよ。」とも言ってくれた。マルコムはそういう男だった。その時は幸運な事に1曲分の歌詞を書く事ができた。こんな俺を選んでくれたマルコムをがっかりさせたくなかったからね。