―私、年内に婚約するー

都心で煌びやかな生活を送る麻里・28歳は、ある日突然、こんな決意を固めた。

女の市場価値を冷静に受け止めれば、20代で結婚した方が絶対お得に決まっている。

掲げた目標は“今年中にプロポーズされる”こと。

麻里は本気の婚活を決意するが、恋人となった優樹は結婚に前向きでない。そんな中、KY男・和也に結婚前提の告白を受け、ついに一線を超えそうになる。

寸止めで思い止まった麻里だが、今度は優樹の意地悪な元カノ登場。優樹が結婚を真剣に考えていると知らされた。




「麻里ちゃん...、来てくれてありがとう」

麻里の姿を見ると、優樹はホッとしたように微笑んだ。

麻里が一目惚れした、少し自信なさげな、控えめで優しい笑顔。この数日間さんざん悩んだ結果、麻里は優樹に指定されたリッツカールトン東京内のフレンチレストラン『Azure45』にやってきた。

45階から眺めるクリスマス・イブの夜景は、圧倒的にロマンチックだ。目の前の東京タワーが、まるで温かい火を灯したように優しい光を放っている。

「今日も本当に可愛いね。そんな服が似合う人、麻里ちゃんしかいないよ」

今日はYOKO CHANのバルーンドレスを選んだ。色はもちろんピンク。

そう。麻里はピンクのミニドレスなんて代物を、何の無理も躊躇いもなく着られる20代のうちに結婚すると心に決めたのだ。女盛りのピーク。その最高値に見合う、最適な男と。

「今日は、改めてきちんと麻里ちゃんに話があるんだ」

いつになく真剣な優樹の眼差しを、麻里はしっかりと受け止める。

優樹の元カノの話が真実であるなら、今夜自分はここでプロポーズされる。年内婚約の目標は達成されるのだ。

「うん...」

しかし、しおらしく微笑みながらも、麻里の心には迷いがチラつく。

ここに向かうエレベーターの中で、和也からの連絡があった。頭の中は、彼のことでいっぱいだったのである。


とうとう優樹が念願のプロポーズに踏み切る...?!


予想を大きく裏切ったサプライズ


―麻里のこと、待ってるからなー

パティシエ出身のシェフならではの美しく繊細に盛り付けられた『Azure45』で料理を味わいながらも、麻里の耳からは、先ほど電話越しに聞いた和也の声が消えない。

我儘で強引な男の、切実さと苛立ちが混じったような低い声。

今夜は会えないとはっきり伝えたにも関わらず、彼は頑なに麻里を待つと言い張った。

「...麻里ちゃん、大丈夫?気分でも悪い?」

「あ...ごめんなさい、夜景があまりに綺麗で、見惚れちゃって...」

我に返った麻里は、白ワインに口をつける。アルコールの力を借りでもしないと、とても正気を保てない気がした。

「俺......麻里ちゃんが早く結婚したいって聞いて、自分なりによく考えたんだ」

緊張気味に口を開いた優樹に、麻里は身構える。

「この前レイちゃ...、いや、元カノに会ってたのは、本当に仕事のことで相談があったんだ。でも、嫌な思いをさせて本当にゴメンなさい」

澄んだ瞳で謝罪する彼に、麻里は複雑な思いがした。自分こそ、彼との結婚を切に望みながらも、他の男と一夜を共にしそうだったのに。

「だけど俺、彼女に会ったら、どうして自分がこんなに麻里ちゃんを好きになったのか、改めてよく分かった。麻里ちゃんは、彼女とは正反対だったんだ。優しくて女の子らしくて、俺みたいな男をいつも立ててくれて...」

―それは、違う。

麻里は心の中で思わず叫ぶ。

たしかに優樹といるときの麻里は、彼の言う通りの昭和染みた尽くす女であっただろうが、それは結婚を夢見るあまり麻里自身が作り出してしまった虚像だ。

「......だから俺も、そんな麻里ちゃんとの将来を、真剣に考えないといけないと思ったんだ。麻里ちゃん、僕と......」

―その先は、言わないで...!

本能的に彼の言葉を遮りたいような衝動に駆られながら、麻里はぎゅっと身を固くした。




「......今日を最後の思い出に、別れよう」

「............え............?」

優樹の声は、ほとんど泣き声だった。

予想とあまりにかけ離れた彼のセリフに、麻里は全身の力が抜け、頭が真っ白になる。

「麻里ちゃんのことが本当に大好きなのは変わらないんだ。結婚も本気で考えたよ。でも......、麻里ちゃんみたいな可愛い人といる自分は、やっぱりどこか無理してる気がして......」

彼が必死に説明するのを、麻里はぼんやりと眺めていた。優樹だって馬鹿じゃない。麻里が元カノと対峙して気づいてしまった違和感を、彼自身も感じ取ったのだろう。

「中途半端な覚悟で一緒にいるのは、一番良くないって思ったんだ...」

超エリートにも関わらず、優柔不断で弱気な優樹。そんな彼には、あの強く美しく、そして情深いレイコが合っているのだ。

「......ま、麻里ちゃん?」

クリスマス・イブにフラれるなんて最低最悪には違いないのに、なぜだか笑いが込み上げる。

年内婚約という目標に散々執着していたにも関わらず、最愛の恋人であるはずの男から別れを告げられ、内心ホッとしている自分が滑稽でならないのだ。

そんな麻里を優樹は不思議そうに覗き込んだが、自分の本心が明らかになった今、気分はもはや爽快だった。

「何だか私、すごくスッキリしちゃった。優樹くん、本当にありがとう」

そうして麻里は、久しぶりに清々しい気分で席を立った。


優樹にフラれた麻里の本心とは?ハッピーエンドは訪れるのか...?


待ちわびた、聖夜の再会


優樹と別れた麻里は、和也の家の前までやってきた。

「待ってる」と言ってくれた彼の言葉を、そのまま信じていいのだろうか。それとも、他の男にフラれてノコノコと和也を訪ねるなんて、やはり都合が良すぎるだろうか。

麻里はインターホンと睨めっこするように思案に暮れる。

これまでは麻里は、優樹との婚約に執着し、完全に盲目状態であった。外銀勤めの超エリートで、しかも温厚で優しく爽やかな彼。そんな男を夫にできれば、自分の人生に最高の錦を飾れると信じていた。

そのためには、多少無理をしても、彼に合わせるべく自分を押し殺しても構わないとも思っていたのだ。よくよく考えれば、なんて情けない女だろう。

しかし和也といるときの麻里は、それとは正反対に、何偽ることなく素のままだった。

彼は婚活に四苦八苦する自分を「可愛い」とまで言ってくれ、優樹と付き合いながらも和也を頼るズルくて醜い麻里を、決して否定せずに受け入れてくれたからだ。

優樹にフラれ、妙な執着や思い込みから解放されたことで、麻里はまるで憑き物が落ちたようだった。そして改めて、和也の優しさや包容力が身に染みる思いがした。

―ピンポーン

麻里は迷いを振り切るように、「えいっ」と思い切ってマンションのインターホンを押す。

様々な葛藤や懸念はあれど、とにかく和也に会いたい気持ちが昂っていた。




「お前...クリスマスだからって、その服、気合い入り過ぎ。化粧もケバいよ」

しかし、玄関のドアを開けた彼の顔は、いつもと全く変わらない仏頂面をしていた。

イブの夜の待ちわびた再会だというのに、ロマンチックのカケラもない。和也は初めて会ったときから変わらない、KYで失礼な嫌味を麻里にぶつけた。

「何よ。待ってるって言うから、可哀想だと思って急いで来てあげたのに......!」

つられて憎まれ口を叩きつつも、胸の中にはどうしようもない安堵が広がる。和也は本当に、麻里を待っていてくれたのだ。

「お望み通り、年内破局になったわよ。その報告に来ただけだから...」

「ふぅん」

「......」

玄関先に立ち尽くしたまま、二人はしばしの無言に包まれた。だが、和也は強い視線でじっと麻里を見つめている。

その真意は分からぬが、彼はこれまで何度も素直な気持ちをぶつけてくれた。そして今度は、麻里の番なのかも知れない。

「...ねぇ、結婚を前提に付き合ってって言ったセリフ、まだ活きてる?」

「......」

勇気を振り絞った一言だったが、和也は麻里の目を見つめて沈黙したままだ。

やはり、事はそんなにうまく運ばないのだろうか。これほど短時間で男を切り替えようとする自分に、和也は引いているかも知れない。

あるいは、人の女だからこそ燃えていた闘争心が、一気に消沈した可能性だってある。

だが、それでも別にいいような気もした。和也には散々助けてもらったし、感謝の気持ちは変わらない。

ここ数ヵ月の婚活は、決して上品とは言えない壮絶なものだったが、とにかく全力をぶつけたことに後悔はない。ダメなら、また一から和也にきちんと気持ちが伝わるように頑張ればいい。

婚活を通じて自分のダメな部分とも散々向き合った麻里は、見栄やプライドを優先させることなく、自分の気持ちに素直に向き合えるようになっていた。

そんな爽やかな諦めが胸に広がり始めたとき、麻里の耳に、いつものぶっきらぼうな和也の声が優しく響いた。

「…当たり前だろ。俺がどんなに不安で待っていたと思ってんだよ」

そして彼は、麻里の唇を乱暴に引き寄せた。

―Fin