―大好きな吾郎くんが、私と結婚してくれたー

数々の苦難の末に、結婚願望のない男・吾郎との結婚に辿りついた英里。

結婚はゴールでないことなど、百も承知。

しかし、そんな二人を待ち受けていたのは、予想を上回る過酷な現実であった。

愛し合っていたはずの夫婦は、どのようにすれ違い、溝ができてしまったのか。

男女の価値観のズレ、見解の相違、そして、家庭外での誘惑...。

二人は “新婚クライシス”を迎え、夫婦のすれ違いは深まる。そんな中、英里は元彼・きんちゃんに偶然再会。理想の父親像へと成長した彼の姿に触発され、ついに「子どもが欲しい」と吾郎に宣言し、これまでの結婚生活への不満も一気に暴露した。




―“この女は”って本気で惚れたら、男は何でもできる生き物なんじゃねーの?―

吾郎は釈然としない思いを抱えながら、パレスホテル東京の『ロイヤル バー』で一人マティーニを煽っていた。つい先ほどの松田の言葉が、やけに耳に残っている。

根本的に情けない男として松田を見下していたが、長年ポンコツ嫁の奴隷として鍛えられただけあり、その精神は思ったよりもずっとタフで、吾郎のまだ知らぬ境地に達しているようだ。

―だが、俺はアイツのようになれるワケでも、なりたいワケでもない...。

結婚式、ハネムーン、新居、そして子作り。

英里の言うことには、この4項目をクリアしないことには“結婚した意味がない”というのだ。

しかしそれは吾郎にとって、両者円満の契約締結後にパワープレイで理不尽な追加条件を押し付けられている状態に等しい。

―お前さ、嫁さんのこと好きじゃねーの?―

面と向かって言わないだけで、英里のことは好きだ。例えるならば、PMI=結婚生活にも非常に満足している。しかし、それと追加条件を受け入れるか否かは全く別の話なのである。

むしろ、リスク分析もなしに一方的な意見に流され、現状の満足度が崩れるのが恐ろしいのだ。

吾郎は悶々としながらも家路につき、自宅に到着したのは深夜0時をだいぶ過ぎていた。

だが、そこに妻の姿はなかった。


そのとき妻は、年下の男と...?!


平成生まれの年下男の、あふれる正義感


「英里さん...それは、絶対にご主人が悪いですよ!!」

「やっぱりそうよね。新一くん、若いのによく分かってくれるね!」

ひょんなことから後輩の新一と二人で飲むことになった英里は、彼の聞き上手な一面にすっかり心開いていた。

二人は東銀座の隠れ家風ビストロ『スモールワンダーランド』のカウンター席で、名物の鹿肉のハンバーガーを仲良く頬張っている。

健康志向の強い吾郎であれば、「夕飯にハンバーガーとフライドポテトなんてアホか」とバッサリ斬り捨てられるに違いないが、これは英里の大好物であり、20代の食欲旺盛な新一とは気兼ねなく食事も楽しめた。




「結婚式やハネムーンはもちろんですけど、僕だったら結納もしたいです。昔ながらのステップを踏むことで形成される夫婦の絆だってあるし、お互いの親も親戚になるんだから、きちんとするべきです!!」

新一とプライベートな話をしたのは初めてだが、英里はまだ26歳の彼の意見や考え方に何度も驚かされる。

平成生まれの男の子と話す機会もこれまでなかったが、同年代のアラサーの男性よりも明るくパワフルで、正義感のある印象だ。

結婚願望も強いそうで、相手さえいればすぐにでも結婚して子どもが欲しいという。

「それに...ご主人だって、当時の恋人から英里さんを奪ってまで結婚したんでしょ?だったら英里さんの希望を叶えて、幸せにする義務があります。英里さんは何も間違ったことは言ってません」

あまりに親身に話を聞いてくれる新一に、英里は元彼のきんちゃんの話、そして彼との偶然の再会で、さらに今の結婚生活に疑問を持ち始めたことまで打ち明けていた。

「英里さんみたいな素敵な女性と結婚して、夫婦らしいことを一つもしないなんて、僕には考えられないです!」

まだ若い彼は、清々しいほど熱血擁護をしてくれ、英里は久しぶりに自分の味方ができたような安堵を覚える。

普段から恋愛や結婚に卑屈な考え方ばかりする吾郎が夫であるから、自分に共感を示してくれる年下の彼の存在が新鮮でならなかった。

「ありがとう、新一くん...。何だか、少しスッキリしちゃった。私の愚痴ばっかり聞かせちゃってごめんね。今日は奢るから」

「嫌だな、やめてくださいよ!女性に奢られるなんて、恥ずかしいです」

二人はお会計を取り合ったが、結局は強引に新一が支払いを済ませてしまった。

会社の先輩としてさすがに悪いと思った英里は2軒目で一杯ご馳走する提案をしたが、酔いも余って会話はさらに盛り上がり、気づけば時間は深夜1時近くになっていた。


深夜の帰宅を吾郎にキレられ、親友にもキツく咎められた英里だが...?!


キレる夫と、限界が近づく妻


慌てて帰宅した英里は、玄関のドアを静かに開けた。

「ご、吾郎くん...!」

すると真っ暗な廊下の奥で、吾郎が怒りのオーラを発してこちらを思い切り睨んでいる。

「ごめん...会社の友だちと飲んでたら、つい盛り上がって遅くなっちゃって...」

「......お前は、一体何を考えてるんだ?こんな時間まで飲んでる人妻なんて聞いたことないぞ」

非があるのは自分であるのは認めるが、酔いが残っているせいか、英里は吾郎への反抗心も湧く。夫の方こそ、連絡もせずに遅くまで帰らないことは多々あるのだ。

「で、でも...。吾郎くんだって、2時3時までよく飲んでるじゃない...。たまに遅くなったくらいで......」

「お前と俺は違う。いい加減にしろ!もう寝る」

吾郎は英里の言葉を強く遮ると、冷たく言い捨ててベッドルームに戻ってしまった。

―吾郎くんと私の、一体何が違うのよ...。

夫の背中を見ながら、英里はまたしても悲観に暮れた。

顔を合わせれば気まずい空気が流れ、口を開けばケンカになり、夜は同じベッドで背を向け合って眠る。

そんな夫婦生活は、そろそろ限界だった。






「それは......さすがに英里が悪いんじゃない?だって、男と飲んでて午前様ってことでしょ?」

翌日、オフィスで顔を合わせた咲子に一連の報告をすると、彼女はおもむろに不快な表情を見せた。

「誤解するようなこと言わないで。後輩と飲んでただけなんだから...」

実際、新一は何年も同じ部署で働く後輩だ。愚痴を聞いてもらっただけで、やましいことなど何一つない。

「じゃあ、吾郎先生に年下の男と二人で夜中まで飲んでたって正直に言えるの?それに、新一くんだって、勘違いしかねないわよ。あの子はもともと、特に英里に懐いてるんだから...」

「それは...」

「英里。いくら吾郎先生とうまく行ってないからって、あなたは新婚の人妻なのよ?他の男とデートなんてするヒマがあったら、旦那ときちんと向き合いなさいよ」

―咲子には、分からないのよ...!

いつになく厳しい口調の親友の説教に、英里の気持ちは卑屈になっていく。

総合職でバリバリ働き、物分かりの良い同業の夫がいて、すんなりと子宝まで授かった優秀な咲子には、そもそも英里の置かれた状況など分かるはずないのだ。

無駄にロジカルな吾郎との話し合いがいかに難しく、世間の常識というものをことごとく批判され、パワーバランスにおいて妻が決定的に不利である苦悩を。

薄々分かってはいたが、吾郎との結婚は、やはり“格差婚”に違いない。

男女や夫婦関係よりも前に、英里は夫に“人として”見下されている。それは昨晩の吾郎が言った「お前と俺は違う」という一言で証明されたのだ。

「もういい...」

咲子が引き留めるのも無視して、英里は逃げるようにその場を後にした。

やり場のない絶望感が、全身を包んでいた。

▶NEXT:1月6日 土曜日更新予定
行き場を失くした英里は、新一との仲が深まる...?!そして、さらなるライバル登場。