ケンゴマツモトの『ノクターナル・アニマルズ』評:トム・フォードの美学やパーソナルが詰まった混沌とした世界

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 世界的ファッションデザイナーのトム・フォードが、監督を務めたミステリー映画『ノクターナル・アニマルズ』。彼がメガホンを取ったのは、『シングルマン』以来7年ぶりである。リアルサウンド映画部では今回、THE NOVEMBERSのケンゴマツモトに本作を鑑賞してもらい、その感想をじっくりと語ってもらった。(編集部)

参考:ケンゴマツモトの『リュミエール!』評:最初が全部詰まっていて“ずっと観てられる”映画

■こんな美しいお尻を持った人はなかなかいない

 正直あまり期待してなかったんだけど、観たらすごくよかった。まずね、オープニングで度肝を抜かれました。あれを観た瞬間に、もしかしたらデヴィッド・リンチみたいな映画をやりたいんだなと思って、一気に引き込まれていきましたね。『ブルーベルベット』をもうちょっとハイブロウにしたというか。肥満女性たちが華やかな衣装を着て踊る姿が、なぜだかすごく美しく見える。煌びやかな世界と彼女たちのコントラストがたまらないんですよ。しかも、その映像が冒頭の約2分間流れるんだけど、そこだけですごいものを観てしまったなと圧倒されるんです。ファッションデザイナーらしい彼の色使いや世界観を堪能する事ができます。

 元々は原作を知らなかったんだけど、原作では主人公がお医者さんの妻という設定なんですよね。それをアート界で成功をおさめているギャラリストに変更している点で、さすがトム・フォードだなと。どこまでも、アート。しかも、死体すらも一つの作品として完成させているんですよ。赤いソファーの上に横たわる二体の白い死体。怖いくらい綺麗です。こんな美しいお尻を持った人はなかなかいない。もし、僕があのお尻だったら服着ないですね(笑)。お尻専門の役者さんに差し替えてるんじゃないかなと疑ってしまうほど、完璧です。ここ最近で見た映画の中でもトップクラスに綺麗なシーンでした。

 この赤いソファーはじめ赤色にも、ちゃんと意味を持たせていることを知った時には驚きました。確かに言われてみれば、主人公のスーザン・モロー(エイミー・アダムス)が、元夫と別れる時にも赤いソファーに座ってたし、冒頭のシーンも背景が赤い。重要なシーンでは大体“赤”が使われていた印象です。赤色で視覚的に繋がりを持たせているような。そういう発想もまたトムフォードらしい。

 あと衣装もやっぱり素敵で、ギャラリーで働いてるスタッフが前衛的なファッションしてますよね。あーギャルソンだなと思って。日本のブランドで嬉しくなります。衣装一つひとつにもトム・フォードらしさが詰まっていて、これこそまさに眼福です。衣装だけでなく小物やスーザンのオフィスに飾られている絵画など、視覚情報がとにかく充実しているから、これが、たとえ無音映画だとしても充分楽しめると思うってしまう程です。

 また、原作では“小説の中の小説”というメタ構造が特徴的だったけど、それを映画に落とし込むことで、“映画の中の映画”になっている。現在(L.A.)と過去(N.Y.C.)、そして別れた夫から送られて来た小説(TEXAS)の三つのストーリーが、すべて違う場所、年代、物語なんだけれども、先述した色の効果も含めて綺麗に繋がっているんです。もうね、心動かされないはずがないんですよ。

 また酷くて暴力的なシーンは、ほとんどが小説の中の話なんです。緊張感がとにかくすごい。目を背けたくなる程、しんどい描写もあります。トニー・ヘイスティングス(ジェイク・ギレンホール)たちが、レイ(アーロン・テイラー=ジョンソン)たちに「車を降りろ」と言われて抵抗するシーン、長くないですか? さすがだなと思いました。過激なシーンほど尺が長いから、インパクトが何倍にも増して脳裏に焼きつくんですよ。しかも、ヘイスティングス一家がレイたちに出会ってしまったその瞬間から、悲劇が起こることがわかってしまいます。全編を通して絵画的な抽象さがあるから、すごくいい。

 小説の中の最後のシーンもすごく曖昧に描かれています。トニーは事故死と言われているけど、自殺のような含みもある。混沌としています。現在のシーンで言うと、最初はリアリティがあってハッキリとした描写なんだけど、過去と小説のシーンが進んでいくにつれ、徐々に現実味が薄れていき輪郭もぼやける。現在、過去、小説の境界線が曖昧になって、わからなくなっていくような、その感じがいいですよね。

 そういう意味で言うと、色合いのバランスもすごく緻密に計算されて作られています。三つのシーンそれぞれ、色のトーンが若干変わっている。それも意識に訴えかけてくるほどハッキリとはしていない、絶妙な違いで、無意識で分別できるくらいなんですよ。その三つの色調が最後に溶け合う。小説では絶対にできない、映画だからこそできる技法じゃないですか。その使い方がさすがすぎて……もう面白かったという一言に尽きます。

■映画としてパワーがあるしエネルギッシュ

 ジェイク・ギレンホールが演じている小説の中のトニーと、スーザンの別れた夫・エドワード・シェフィールド。全く違うキャラクターなんだけど、一人二役演じているだけあって、僕が一つ思ったのは、彼らの世界をちょっとずつ被らせてるなと。違う時系列で違う世界を描いてるけど、何か一つ内包してるというか、世界が共通である部分をちゃんと作っている。たとえば、小説の中でレイたちが乗っていた緑のボンティアックGTOは、過去にスーザンがエドワードと別れるシーンで乗っていた車と同じです。そういう点でも現在・過去・小説の三つの世界の境界線を曖昧にしている気がしました。だから違うはずなのに繋がって見える。

 あと、トニーもエドワードもどっちも凛々しくないんですよね。内向的で弱々しくて虚勢をはるタイプ。僕と一緒です。だから、余計に感情移入してしまう。小説家を志して、うじうじしてる姿なんて、僕も女の人の前ではああいう感じだと思うので(笑)。

 そもそもエドワードはなんで別れたスーザンに小説を送ったのか。結局はそこも曖昧なのでわからないのですが、おそらく未練なんでしょうね。ただ小説を包みから開けて出す時に、スーザンが紙で指を切るシーンがあるんだけど、あれで心を鷲掴みにされました。そこで改めてもう一度この作品に引き込まれていくんですよ。あの赤い血は印象的だったな。ほかにも全裸のレイが外で電話しながらトイレしてるシーン。あれ、かっこいいね。非常にいいです。あとは、最後にスーザンが着ていたドレスは綺麗だったな。

 僕は自分がものを作る立場として、一つの世界を作っている映画には、勇気をもらっているんですよ。映画以外でもそうだけど、こんな世界を作れるやつがいるんだな、ここまでできるやつがいるんだなっていうことに感動するんです。あとは単純にパーソナルなものや混沌としてるものが好きなので。映画はそういう世界のわからなさを教えてくれるんですよ。僕は何かを見て何かがわかるっていう感覚はあんまりなくて。むしろよりわからなくなります。一つの作品を鑑賞し終わっても、世界は依然複雑なままで何も変わらないですし。ただ、確実に自分がより豊かになってることは発見できる。まだまだ、わからないことがあるって、本当に幸せなことだなと改めて実感できます。

 そういう意味でも、トム・フォードが自分の美学やパーソナルな部分を詰め込んで、混沌とした世界を作ったこの作品は、本当に面白いんですよね。色々話してきましたが結局は、ストーリーや心理描写が巧妙という以前に、映画としてパワーがあるしエネルギッシュなんですよ。あまり深く考えずに観ても、楽しめる。しかし見てしまうと考えさせられずにはいられない。素晴らしい作品だと思いました。(取材・構成=戸塚安友奈/写真=石井達也)