未知のキーワードが気になると、関連書を数珠つなぎに読みあさることもあるという。

写真拡大

「何気なく手に取った一冊で、人生が変わった」。そんな経験のある人は多いのではないでしょうか。雑誌「プレジデント ウーマン」(2018年1月号)の特集「いま読み直したい感動の名著218」では、稲垣吾郎さんや西野亮廣さんなど11人に「私が一生読み続けたい傑作」を聞きました。今回はその中から為末大さんのインタビューを紹介します――。

■精神的に追い込まれたときに読んだ「愛」の本

2012年に現役を引退するまで、僕の仕事はアスリートとして、ひたむきに走り、ハードルを跳び越えていくことでした。個人競技においては記録がすべてで、向き合う相手は常に自分。自分の肉体と心を扱わなければならない、とてもセンシティブな戦いです。勝ってもそこでおしまいではなく、いつのどのトレーニングがよくて、メンタル状態がどうよかったのかを分析する必要がある。だからこそ、己を知ることがとても大事なんだと日々感じていました。

▼禅の世界に魅せられて、「愛」の本にたどり着く

そんな僕が、精神的にもっとも追い込まれていた06年くらいのことです。競技で結果が出せず、悶々(もんもん)としながら海外で合宿していた僕は、英語が苦手なこともあって、ホテルにこもって本を読みあさっていたんです。その中に、忘れられない1冊があった。

精神分析家で哲学者でもあるエーリッヒ・フロムの『愛するということ』。この本を手にするきっかけが、仏教哲学者の鈴木大拙です。戦略的に技を磨いて、いかに戦わずして勝つか。そんな禅問答のようなことを常々考えていた僕は、禅への興味から大拙の本に目を通していたのですが、その彼と親交が深かったのがフロム。一体、どんな考えが学べるのだろうと期待しながら本を開きました。

「愛は技術である」。これが本書の重要なキーワードです。一般的に、愛の問題は“誰かに愛される”といった対象の問題と捉えられています。どうすれば相手に気に入られるかを考えたり、愛する対象を追い求めて、運命の出会いを探すこともあるでしょう。でも、それは“愛”というより“欲”なんですよ。

■伸び悩んでいた僕の“心の失敗”を救った1冊

僕は陸上競技の世界で、“欲しがると勝ちが逃げる”ことを痛感していたので、与えてもらうことを欲するのではなく、己をコントロールする技術を身につけるという考え方に共感しました。

フロムはまず、自分が人を愛する準備をすることが大切だと説いています。自らが努力し続けて、鍛錬を積みながら愛する準備をする。他人の気持ちをコントロールするのではなく、自分の気持ちを変える。伸び悩んでいた僕の“心の失敗”を救ってくれた1冊です。

▼「無意識」の可能性を知り、日常がガラリと変わった

記録を伸ばすために、いかにゾーン(超集中力状態)に持っていくことができるか。そこに“意識”が深く関与していると考えはじめたときに読んだのが、『サブリミナル・マインド―潜在的人間観のゆくえ』です。私たちが把握していると思っている世界は、私たち自身のほんの一部でしかなく、無意識で行われていることや、無意識の世界で起きていることが想像以上に私たちを支配している――。といった内容が、さまざまな実験や学説とともに紹介されています。自分の中に潜在的なもうひとりの自分がいて、想像できないほどの可能性が秘められていると思い至ったとき、これまでの日常が違って見えてきました。考えすぎた結果、失敗に終わるという経験は多くの人が持っていると思います。考えることはもちろん悪いことではない。けれど、想像以上の力や発想が湧くときは無意識で行っていることが多い。その無限ともいえる可能性に自分の成長に対する期待が芽生えたのがこの本です。

■客観的に自分を見つめるために本を読む

ほとんどのアスリートがコーチをつけて意思決定までを任せていますが、僕はそれが嫌でコーチをつけませんでした。だからこそ、日ごろから客観的に自分を見つめたいと思い、本を大いに活用してきたんです。

もともと知りたがりな性格というのも大きいのでしょう。最近では、東京都知事の小池百合子さんが記者会見で使っていた「アウフヘーベン」という言葉が気になってしょうがない(笑)。周りにいる人に、「アウフヘーベンを知るにはどんな本を読めばいいと思う?」と聞いてみたら、方々からいろんな書名が出てくるんです。自分に知識がなくても、本好きで物知りの友達が多いおかげで、僕は「本」との出合いに恵まれています。未知の世界観に触れ、知識がどんどん広がっていくのが読書の魅力。気に入った本は、巻末の参考文献にも目を通して次々とリストに入れてしまうので、すでに一生かかっても読みきれないほどの数になっています(笑)。

----------

▼Recommended MOVIE
『十二人の怒れる男』
監督:シドニー・ルメット

1957年・アメリカ

殺人事件の審議を巡り、陪審員が議論を戦わせていく法廷サスペンス。密室劇の金字塔として知られる。「室内でひたすら議論するだけの話なのに、個々の役者の表情、話し方など見応え十分。人間の心理が、行動にどう表れるかも見どころです」

----------

----------

DEPORTARE PARTNERS 代表 為末 大
スプリント種目の世界大会で日本人初のメダルを獲得。男子400mハードルの日本記録保持者。現在はSports×technologyに関するプロジェクトを行うDEPORTARE PARTNERSの代表を務める。著書に『諦める力』(プレジデント社)、『走る哲学』(扶桑社)など。
 

----------

(DEPORTARE PARTNERS 代表 為末 大 構成=堀 朋子 撮影=羽田 誠)