30歳で箱根に挑む東京国際大の渡邊和也(写真・田村翔/アフロスポーツ)

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 全国高校駅伝の3区で8人抜きの区間2位の快走を演じ、報徳学園の5位入賞に貢献したのが酉年の2005年。再び巡ってきた酉年で何と大学1年生になり、新春の風物詩となって久しい箱根駅伝への出陣に備える自分の姿は、おそらく想像できなかったはずだ。

 来月2日の往路の号砲が迫ってきた第94回大会の注目選手の一人が、東京国際大学の一員としてエントリーされた30歳のオールドルーキー、渡邊和也(人間社会学部1年)である。

 埼玉県川越市にキャンパスを置く同大学が10位に食い込み、2年ぶり2度目の箱根駅伝出場を決めた10月の予選会を境に、渡邊は「人生で最高というくらいの取材を受けました」と苦笑いする。

「まず聞かれるのが、やっぱり年齢のことですけど」

 1992年大会を最後に27歳以下という年齢制限が撤廃された箱根駅伝の歴史上でも、四国電力に所属していた2011年に世界陸上大邱大会の5000mに出場している渡邊は異彩を放つ。

 指導者になる夢を描いていた渡邊は教員免許を取得するために、高校卒業後の進路として大学進学を一時は考えていた。しかし、なかなか上手くいかず、最終的には「ならば実業団でもっと速くなろう」と、学校側から勧められた山陽特殊製鋼(本社・兵庫県姫路市)に社員として入社した。

 そして、青写真通りに1年目の2006年から頭角を現す。全日本実業団ジュニアの5000mを制し、関西実業団駅伝の2区では区間賞を獲得。年が明けた元旦のニューイヤー駅伝でも、19歳にして外国人選手がひしめく3区を任された。

 北京五輪出場をかけた2008年の日本選手権1500mでは、残り200mを切ってから猛スパート。他の選手を引き離すも直線に入って足が痙攣してゴール直前で転倒し、ほぼ手中に収めていた五輪切符を失う悪夢に見舞われる。
 もっとも、本当の意味での悪夢は2009年から始まる。長引く平成不況の影響もあったのか、山陽特殊製鋼は社長の交代を機に、それまで手厚いサポート体制を敷いていた陸上部の規模を縮小させた。

「どんなにいいタイムで走っても、まったく評価されない状況になって。たとえば練習も業務の一環と見なされて、すべてを午後5時までに終わらせなければいけなくなった。夏場になると、その時間帯の練習だと本当にきつかった」

 こう振り返る渡邊は移籍を申し出るも、会社側から慰留されて思い留まった。しかし、1年がすぎても状況は変わらず、2010年9月に四国電力(本社・香川県高松市)へ移籍した。自分の可能性を試したいと考えていた渡邊にとって、契約社員制度を導入していた四国電力は理想的な環境でもあった。

 実際、2011年には5000mと1万mで自己ベスト記録を更新。日本選手権の5000mを制し、前述した世界陸上大邱大会代表権も獲得した。本大会こそ他の選手と接触・転倒するアクシデントもあって予選落ちしたものの、新天地で順風満帆な再スタートを切った。

 しかし、この時点で予期せぬ事態が進行していた。福島第一原発事故の影響もあり、2012年1月から伊方原発が全面停止となった四国電力は業績が急激に悪化。経営合理化策を打ち出さざるを得ない状況に陥り、必然的にしわ寄せは陸上部に及んだ。

 廃部が電撃的に発表されてから約1ヶ月後の2013年2月に、渡邊は日清食品グループ(本社・東京都新宿区)へ移籍した。同郷の先輩を介して移籍を打診し、契約社員としての入部にはOKが出たが、同時に契約更新のための目標が設定された。

「2016年のリオデジャネイロ五輪までに、5000mで日本選手権への参加標準記録を切ろう、ということになったんです」

 一度はクリアしたとガッツポーズを作りかけたものの、日本人選手全体のレベルが上がっていたこともあり、ほぼ同じ時期に参加標準記録も5秒上がっていた。その分だけ届かずに涙を飲み、リオ五輪イヤーを迎えると、四国電力時代から抱えていたアキレス腱痛も再発した。

 結局、日本選手権への参加資格すら得られず、2017年度以降の契約更新が見送られることも決まった。3度目の移籍を含めた将来を考え始めたときに頭をもたげてきたのが、指導者になりたいという高校時代に思い描いた夢だった。

 社会人入試制度を採用していた、東京国際大学に合格したのは2016年11月。現役で入ってくる同期の1年生とは11歳違うが、渡邊自身は抵抗を感じることはなかった。

「実業団時代も高卒の選手が入ってきていたので、そういう子が大勢いるんだろうな、というイメージはできていました。ただ、逆の立場で考えたら、30歳になる1年生がいたらビビりますよね」

 埼玉県坂戸市内の坂戸キャンパス内にある駅伝部合宿所で、生活を始めてまもなく1年。周囲が気を使うような気まずい雰囲気も、いまではすっかりなくなった。

実業団時代に貯めた貯金には手をつけず、奨学金でやり繰りしながら手にした箱根路への切符。高校や実業団時代はほとんど無縁と思っていたレースの先に、渡邊は新たな夢を描き始めた。大学4年生で迎える2020年の東京五輪へ向けられる熱き思いは、日に日に膨らんでいる。

「ずっと五輪を目指してきたし、ましてや次回は自国開催という特別な大会でもあるので」

 全10区間が20km以上の箱根駅伝は未知の世界となるだけに、アキレス腱と相談しながら慎重に走り込む量を増やし、課題だったスタミナをつけてきた。29日には区間エントリーが発表されるが、集団での駆け引きに長けた渡邊は1区での起用が濃厚だ。

「この年齢まで結婚を考えた相手がいなかったのも、よかったのかどうか。もし結婚していたら、大学という選択肢はなかったと思うので」

 さまざまな困難に直面しても下を向かず、大好きな陸上を続けてきたからこそ、新たな挑戦へのスタートラインに立てる。当日には「お前がやりたいのなら」と背中を押してくれた兵庫県在住の両親も、晴れ姿を見届けようと応援に駆けつける予定だ。

(文責・藤江直人/スポーツライター)