相乗りをさせてくれる相手が、思いもかけない美女だったら?(写真:miya227/PIXTA)

【キーワード】シェアリング・エコノミー

モノやサービスなどを利用する者が必要なときに必要な量だけを使うことができる仕組みで、通常はインターネットを通じてマッチングが行われるもののみを指す。具体的には自動車、住宅、高価な物品などがシェアされる。そのうちのカープールは一般ドライバーが出発地や目的地が同じ者をガソリン代等の実費を負担させて同乗させる仕組みで、アメリカ西海岸で高速道路にHOV(High-Occupancy Vehiclesの略)レーン、すなわち2人以上乗っている自動車のみが走行できる優先車線が設置されたことなどにより普及した。

【この小説のあらすじ】

各種シェアリング・サービスを利用する百貨店店員のメイ。望みは一刻も早く金持ちの男をつかまえ生活の苦境を脱すること。カツタは悠々自適の資産家で、とあることからカープールを利用し、メイと出会った。カツタは一目でメイに引かれ、なんとしてでも彼女の心をつかもうとする。カツタはメイに結婚を申し込み、メイは承諾しかけたのだが……。

衣類はすべて妹とシェアリング

椎名メイは新宿京勢屋百貨店の紳士服売り場の店員である。年齢は28。何百人といる女性店員のなかでもずば抜けて美しく、客の男たちはみな、採寸のために彼女に身を委ねるとき、彼女の明るい眸(ひとみ)と皓歯(こうし)を見て楊貴妃を思い浮かべ、ふまじめな顔を見られまいと思って目を伏せれば、彼女が柳のごとく細くたおやかな趙飛燕(ちょうひえん)のような腰の持ち主であると知り、強い理性で垂涎をこらえなくてはならないのだった。


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店の中であれ、外であれ、メイの前には男たちが列をなした。が、彼女は決まって冷めた笑顔でそれを受け流す。とはいえ男たちを見ていないわけではない。むしろ、空中を旋回するワシのように眼光鋭く地上を観察しているのだが、急降下して爪にかけるべき獲物が現れないのだ。

メイの年収は300万円に遠く及ばない。京勢屋百貨店は、オンライン・ショッピングの普及により売り上げを大きく落とし、ワーク・シェアリングの導入により苦境を乗り切ることとした。このために彼女の収入は大きく減ったのだ。早くに両親を亡くし、大学に通う妹を養っている彼女は生活費を大幅に切り詰めなければならなくなった。

東京西郊外のシェアハウスに引っ越して住居費を削り、ランチは家で作った弁当を職場に持っていって食費を抑え、衣類はすべて妹と共用、日用品も歯ブラシ以外のすべてを妹と一緒に使っている。

メイの願いはこの生活から一刻も早く脱することだ。二十歳前後の頃ならば決してそんな考え方はしなかったのだが、適齢期の彼女はこの状況から連れ出してくれる男をつかまえたいと真剣に考えている。ダメ男と付き合う時間はない。それは上りと下りの電車を乗り間違うくらいにまったく無駄なことだ、とメイは思っている。

安倍カツタは、オンライン・ショッピング・サイトのナイル社創業メンバーの1人で、上場を機に持ち株のほとんどを売却して多額の資金を得た資産家である。とはいえまだ若く、年齢は34。取締役会の構成メンバーとして名を残してはいるものの、会社に出るのは月に1度の取締役会のときだけだ。

いずれはなにかまたインターネット関連ビジネスを立ち上げたいとも思っているが、いまは仕事らしいことはなにもせず、湘南に住んで暖かい季節は波に乗り、その他の季節は自宅の海の見えるアトリエで画を描いているか、世界のあちらこちらを旅してまわっている。

富を有し、外見も人並み以上なのだが、どういうわけだかいまだ独身で恋人もいない。唯一の悩みといえばそれで、そろそろいい相手に出会わぬものか、とカツタは思っている。

後学のために一度経験しておこう

年末のある夜。カツタは1人には広すぎるリビングルームで考えていた。明日はナイル社の取締役会があって会社のある新宿に朝から行かなくてはならない。いつもなら車で行くのだが、夜には忘年会があって酒を飲まねばならない。混雑した通勤電車に乗ることなどありえないし、さてどうやって新宿まで行こう、ハイヤーで行こうか、今夜のうちに新宿に出てホテルに泊まるべきか。

そしてふと思いついたのが、カープール、すなわち個人所有の乗用車に燃料代と有料道路代の一部を負担して乗せてもらう方法だ。カツタはこれまでにカープールを利用したことはないが、後学のために一度経験しておこうと思ったのだ。カープール利用者のマッチングサイトをのぞいてみたところ、相乗りをさせてくれる相手は意外にも簡単に見つかった。

メイは通勤時にはシェア自転車で最寄りのバス停まで行き、そこからバスに乗って郊外のターミナル駅へ行く。そして電車で新宿に出る。通勤ラッシュの時間帯に職場まで約2時間の行程である。通勤は苦痛だった。雨の続く日や寒さの厳しい季節は特につらく、そのような日だけは車で通勤することにしている。車は持っていないが、幸い家のすぐ前に大手のタイックス社が経営する駐車場があって、そこにカーシェアリング用の車がある。

タイックス社経営の駐車場ならどこでも乗り捨てることができるので、会社で仕事をしているあいだの駐車料金は必要ない。カツタがカープールのマッチングサイトをのぞく少し前、メイはシェアハウスの自室の窓から木枯らしの吹きすさぶ街路を見て、明日は車で通勤しようと決めた。ウェブサイトで車の予約をし、そして、燃料代と高速道路代を節約するために、カープールのマッチングサイトに登録をした。

待ち合わせた場所で小型車が目の前に止まったとき、カツタはそれが自分の待つ車だとは思わなかった。マッチングサイトには車を提供する人物の小さな顔写真が掲載されているのだが、それとはまったくの別人が運転席に座っている。性別からして違うのだ。写真は五十前後の目に力のない黄ばんだ肌の冴えない男だった。ところが目の前に現れたのは、引き込まれそうな丸い瞳と波頭のように真っ白なほおの美女なのだ。

カツタは一瞬気後れしたが、助手席側のドアを開けるときには、早くもこの美を自分のものにしてみせる、と心に決めていた。ほおにほてりを感じながら、新宿までの道のりは真剣勝負だ、と意気込んだ。

数分前まで顔を合わせたこともなかった相手との話題は幸いにしてすでに用意されている。

「写真とまったく違う人なんで、驚きましたよ」

「親戚のおじさんの写真なんです。女の写真を載せるというのもなんだか物騒じゃないですか。どんな写真でも構わないので、ちょっと前までルームメイトの猫の写真を載せていたんですけど、猫の写真というのもいかにも若い女ですっていっているみたいかなと思って、最近差し替えたんです」

「ああ、なるほど」

と頷きつつ、カツタは話をつなぐためにメイのことばの一部を拾って、

「ルームメイト? ご両親と住んでいるわけでも一人暮らしでもないんですね」

メイは、はにかんだ笑みを浮かべ、

「シェアハウスに住んでいるんです。寝室が4つの家に5人で住んでいるんです」

「寝室が4つで5人?」

「私と妹とで1室で、あとルームメイトが3人。会社の事情でお給料が減っちゃって、それで会社まで2時間もかかるシェアハウスに引っ越したんです」

「2時間ですか。じゃあ普段は電車で?」

「そう。でもどうしても通勤がしんどい日はカーシェアして車で。ただ、それだとおカネがかかりすぎるから、なるべく節約するためカープールするんです」

メイは、給料が減らされて大変だという話を、決して悲壮感なく、むしろ楽しそうに話した。とはいえ貧困のなかに埋没したくないと強く思っているようで、生活を向上させたいという願いを会話の端々に差しこんできた。

さらにメイは妹のこと、仕事のこと、旅行が好きなのに節約のために行けないこと、夜は早くに眠くなるのに朝も弱いこと等々、よくしゃべった。カツタがうれしそうに頷きながら聞くので、メイの唇は滑らかに動き続けた。

自分に身を任せてくれさえすれば…!

どちらかといえば口数は多くないカツタだが、この日は負けじとよくしゃべった。逆境のなかでも明るく向上をあきらめないメイを見ているうちに彼女に対する気持ちは一層高まり、自分を売り込むために口を動かし続けたのだ。メイは陽の射さない森林のなかで太陽を求めて上へ上へと伸びようとする草花で、自分に身を任せてくれさえすれば全身に陽の光を浴びさせてあげられるのに、とカツタは思った。

自分はカネを持っているということを知らせるのがメイの心をつかむ近道だろう。そこで会話のなかに、航空会社のマイレージ・プログラムの最上級会員であることや、家のそばのフレンチ・レストランに週に1度は行ってグラン・クリュ・ワインを開けることなどを、見栄や自慢と思われぬようにと気をつけながら散りばめた。

目前に西新宿のビル群が見えてきた。

カツタは確かな手応えを感じつつも、メイの心をつかむには至っていない、と感じていた。延長戦に入る必要があると思った彼は、意を決して言った。

「もしよろしければ今度夕食でもいかがですか。恵比寿にいい店を知っているんです」

誘いが唐突すぎて、メイはまゆのあいだに小さくシワを寄せた。

カツタは心臓の鼓動を感じながら、

「あなたと話していると楽しくて。ぜひもう一度お会いして、もっといろいろな話を聞かせてください」

と、慌てて言った。

メイはカツタの目をのぞき込んでから、微かなほほ笑みとともに、言った。

「私、ほんとうは知らない男の人と食事に行ったりしないんですけど、いいですよ。私も楽しかったし、もう少しあなたのお話を聞きたいし」

カツタはメイから見えないところで拳を握り、頭のなかで「よし」と叫んだ。

お金持ちがカープールなんて使うはずがない

メイの1日は、シェアハウスの共有のリビングルームで妹のルルとコンビニエンスストアで買った780円のワインを傾けながらその日にあった出来事をグチを交えて報告し合うことで終わる。

その日の夜、ルルはメイの報告を小さな目を見開き大きな鼻を膨らませて聞いた。

「お姉ちゃん。やったわね、すてきな人を射止めたんじゃない」

メイは白けた顔で、言った。

「そんなんじゃないわよ」

「食事に誘われたんでしょ。きっと高級フレンチね。いいなあ」

「やめてよ。フレンチだなんて言ってなかったわ。恵比寿で待ち合わせるというのは微妙よね。まあテーブルのうえに店員を呼ぶ押しボタンが置いてあるような店ではないでしょうけれども。きっと湘南までの直通電車の停車駅だから帰るのに便利だと思って恵比寿にしたのよ」

ルルはテーブルの上のワイングラスを持ち上げて、

「その人、こんな安ワインじゃなくて高級ワインを毎日のように飲んでいるんでしょ。会社の出張とかじゃなくて自分のおカネで旅行して航空会社の最上級会員になっているっていうのもすごいし。いつもファースト・クラスに乗っているんじゃない。お金持ちよ、きっと」

「そんなのうそよ。見栄を張っているのよ。仕事もしていないみたいなのよ。失業中で新宿には会社の面接かなんかで行ったんじゃないの。そもそもお金持ちがカープールなんて使うはずがないじゃない。そうでしょ」

「じゃあなんで食事の誘いをOKしたの。いつも回り道はしないって言っているじゃない。その人の言っていることは本当かもしれないと少しは思っているんでしょ」

メイはツンと口を尖らせて、言った。

「確認するだけよ。お金持ちでないという証拠をつかんだらすぐにさよならするわ。デザートのお皿の前でもテーブルを立って店を出てやるわ」

しかし、メイは証拠をつかむことができずに2週間が過ぎた。

夜。カツタとメイは並んで横浜港に面した公園に入っていった。

海を向いて間隔を開けて並べられたベンチは、夏の夜ならば若い男女で埋め尽くされてしまうが、気温が零下にまで下がった今夜は空いているもののほうが多い。2人はそのうちの1つに寄り添って腰を下ろした。そして、黙って、イルミネーションが施された古い客船や、遠くの観覧車の七色の光が群青色の海面にきらきらと反射するさまを眺めた。

「君の知らない景色を見せてあげる」

カツタは腕をメイの背中の後ろにゆっくりとのばし、羽毛の毛先のようなやわらかさでメイの向こう側の肩の上に置いた。

メイがゆっくりと首を傾げて、カツタの肩の上に頭を載せた。

「もうちょっと早くこうなりたかったのに」

と、メイが白い息とともに、言った。

「君の心が僕のほうを向いているのかどうか、確信が持てなかったんだ」

と、カツタはメイの髪の香りを感じながら、言った。

「じゃあ、いまは確信が持てたということ?」

「違うのかい?」

メイはあごを少し上げてカツタのほうへ首をまわし、にこりと笑った。

「メイ。ここに来るまでに2週間かかったけれども、ここからはスピードアップする」

「スピードアップって?」

カツタはつばを飲みこんでから、言った。

「僕と結婚してくれないか」

メイが体を起こし、カツタの顔を真っ直ぐに見た。

「メイ。僕は君を幸せにする自信がある。君が置かれている状況がつらいものであるのなら、僕は君をそこから連れ出してあげる」

メイは大きな瞳をさらに大きく見開いた。みるみるうちに瞳が濡れてきた。

「新婚旅行では何日もかけて世界じゅうを見て回ろう。まずはアメリカだ。自由の女神が出迎えてくれるニューヨークを見て、ワシントンのホワイトハウスにも行こう。その次は大西洋を越えてアフリカだ。ピラミッドやスフィンクスを見て、アブシンベル神殿も見せてあげる。アフリカに飽きたらヨーロッパ。エッフェル塔やサグラダファミリア。イタリアではローマの休日のシーンのまねをしよう。最後はアジアだ。万里の長城に行って故宮も見て、タージマハルも見ようじゃないか。世界にはすばらしい景色がいっぱいある。君の知らない景色を見せてあげる」

「私も知っているわ」メイが目を細めて言った。「日本も見るんでしょ。スカイツリーとか国会議事堂とか」

「もちろん君が望むなら日本の見どころも見て回ろう」

「あまり混んでいるところは好きじゃないの」

「大丈夫さ。混んでいない時期を選べばいい。それから――」

カツタは空を見上げて夢を語るように続けた。

「新婚旅行から帰ったら都心に引っ越そう。もう通勤で苦労するようなことはさせないよ。職場に自転車で気軽に行けるところに住むんだ。家族が増えるときのことも考えて寝室が4つや5つはある家に住まなくちゃね。週末は別荘だ。暖炉のある別荘がいいな」

「別荘は1つだけじゃないのでしょ。山にも海にもあるのでしょ」

と言ったメイの瞳は乾いている。

「いいね。そうしよう。そのときの気分によってどちらにいくかを決めようじゃないか。とにかく君にはぜいたくをしてもらう。服やアクセサリーは、高価なものを次から次へと身に付けさせてあげる」

「私は妹と暮らしているの。妹を1人にすることはできないわ」

「家に部屋はいっぱいある。妹さんも一緒に暮らせばいいさ。ねえ、メイ。僕は君の望みならなんでもかなえることができる。僕と結婚すればきみは幸せになる。保証するよ。僕と結婚しよう」

カツタはメイが彼の首に両腕を回してきて、「OK」というのを待った。しかしメイは表情乏しく

「もう遅いわ。家に帰らなくちゃ」

と言って立ち上がった。

カツタはメイのことばに拍子抜けしたが、落胆はしなかった。カツタには自信があった。幸せな暮らしを目の前に突き付けられて、断ることができるはずなどない。メイの態度は、幸せの光があまりにまばゆくて視界に霧がかかってしまったせいだろう。明日になれば大きな声で「OK」と叫ぶに違いない。そのときには「1日経ったらこっちの気が変わった」と冗談を言ってやろうか、などと考えた。

メイはカツタの言葉をこう解釈した

メイがシェアハウスに帰宅するとルルが待ち構えていた。

「すてきな彼とはどうなった? 告白されたんじゃないの」

ルルは目を輝かせて聞いたが、対照的にメイは冷めた表情で言った。

「結婚してほしいって言われたわ」

「プロポーズ? よかったじゃない」

「ちっともよくないわ。あの男が新婚旅行にどこに行こうといったと思う?『君の知らない景色を見せてあげる』なんて言っていたけど、私たちも行ったことのある場所よ」

「どこだろう。ハワイ? グアム? 沖縄?」

「日光のそばにあるテーマパークよ。世界の建物や世界遺産のミニチュアが見られるところ。新婚旅行に何日もかけるとかいってたけど、日帰りで行けるじゃない」

「ハネムーン・ベイビーは無理ね」

「それだけじゃないわ。おカネもないくせに都心に住むって言っていたから、家は買わずに永遠に借家住まいをするつもりね。寝室が4つや5つなんて言ってたからシェアハウスに住むつもりなのよ。ありえないわ。家から職場へはシェア自転車で通えですって。週末は別荘って言ってたけど、それもシェアリング。タイムシェアってやつよ。気分によって山と海のどちらを借りるか決めるんだって。服やアクセサリーも買うつもりは全然ないの。シェアリング・サービスを使うっていってたわ」

「ずいぶんとしっかりした人ね」

「あのシェアエコ男、最後に何を言ったと思う? あなたも一緒に住んで夫を2人でシェアしろですって! 冗談じゃないわ、シェアリング・ハズバンドなんて」

――本作はO. Henry作『A Lickpenny Lover』 のオマージュです