幼児教育無償化政策には、多くの課題がある(写真:VESPIDER / PIXTA)

政府が掲げる幼児教育無償化に対し、保育に悩む親たちから異論が噴出している。なぜ、異論が出るのか。「保育園を考える親の会」を主宰する普光院亜紀代表が解説する。

3〜5歳児全員を対象とした無償化が閣議決定

政府は2017年12月8日、「人づくり革命」「生産性革命」を柱とする2兆円規模の政策パッケージを閣議決定しました。その中に幼児教育無償化が盛り込まれ、約8000億円が確保されました。

幼児教育無償化は、幼稚園、保育所(認可保育園)、認定こども園に通う3〜5歳児全員を対象とし、0〜2歳児については住民税非課税世帯を対象とするという内容です。自治体に認可されていない保育施設については、2018年の夏までに範囲を検討するとしました。

しかし、2017年10月の衆議院選挙で自民党の政権公約に掲げられてからここまでの間、保育に悩む当事者からは異論が噴出しています。

ツイッターで「#子育て政策おかしくないですか」と反対の声があふれ、「無償化よりも待機児童対策を優先して」という約3万人のネット署名が与党に提出されました。「保育園を考える親の会」も、無償化よりも保育の量と質の確保を優先して行うことを求める意見書を政府に提出しました。

各メディアがとったアンケートなどもすべて、無償化に反対する声の方が多くなっていましたが、そのまま閣議決定に至りました。

この政策パッケージでは、3400億円分の待機児童対策も盛り込まれ、「子育て安心プラン」を実施し、2020年度末までに32万人分の保育の受け皿を整備するとされました。一見「待機児童対策を先行させてほしい」という当事者たちの願いがくみ取られているように見えます。

しかし、ここには2つの大きな落とし穴があります。

1つ目は、「リンゴをくださいと言ったのにミカンを渡される」という落とし穴です。

「子育て安心プラン」を詳細に見ると、受け皿の確保内容に企業主導型保育事業や認証保育所などの認可外保育施設も含まれています。

もちろん、これらも重要な保育資源ですが、そもそも待機児童数とは、認可の保育施設(保育所、認定こども園、小規模保育、家庭的保育など)を希望して入れなかった子どもの数だったはずです。ところが今は、認可の保育施設に入れなかった子どもの数から、企業主導型保育や認証保育所などの利用者、その他の数を差し引いて、待機児童数が算出されています。

そのため、認可の保育施設に申し込んで入れなかった子どもが何百人もいる自治体で、「待機児童ゼロ」が宣言されるという不思議な現象が起こっているのです。これをある母親は「リンゴをくださいと言ったのにミカンを渡されて、それでいいことにされる」と表現しました。このように算出された32万人という数値や、その内容には疑問の声が上がっています。

保護者が認可の保育施設にこだわるのには理由があります。認可外保育施設で質の格差が大きくなっていますが、実は今、認可の保育施設でも同じことが起きています。それでも保育士や保育室面積に関する基準が認可外よりも高く、自治体の事業として実施されているため、責任の所在が明確である安心感があります。

何よりも世帯所得や子どもの数に応じて保育料が大幅に軽減されるしくみの恩恵は大きく、ほとんどの保護者が認可の保育施設を第一希望にしているのです。

保育士の待遇が低すぎる

2つ目は、「施設はつくったけれど、保育士がいない」という落とし穴です。

現在、深刻な保育士不足が全国的に広がり、定員どおりの園児募集ができない保育施設も現れています。その第一の原因は、保育士の待遇の低さにあります。

厚生労働省「平成28年賃金構造基本統計調査」でみても、全国の保育士の平均年収は約327万円で、全産業平均の約490万円(女性平均376万円)よりも大幅に低くなっています。保育士は小学生女子の「将来なりたい職業」ランキングで1位になるほど人気の仕事ですが、このような実情を見て保育士になる夢をあきらめる志望者もいます。

保育士不足は保育の質にも悪影響を与えます。乳幼児の発達は、養育者のかかわり方に左右される部分が大きいことが各種研究でも明らかになっていますが、労働市場の原理からしても、その資質を備えた人材が集まらなくなる恐れがあるからです。

国が費用を負担する民間保育所の常勤保育士は約21万人。厚生労働省子ども家庭局保育課によれば、「子育て安心プラン」による約32万人の受け皿整備のためには、保育士を7.7万人増やす必要があると見込まれているとのことです。

28.7万人の賃金を年収で48万円(月額4万円)上げて全産業女子平均に近づけるとすれば、追加で約1378億円の財源が必要となります(賃上げ部分のみ)。

2兆円パッケージでは、保育士の待遇改善として当面1%(月額3000円)程度の賃上げが予定されていますが、その財源を計算すると100億円程度にしかなりません。もっとインパクトのある待遇改善が必要であることは言うまでもありません。

かつての教員不足も看護師不足も、思い切った財源確保による賃上げによって解決されてきたのです。次は保育士の番です。

このままで行くと、幼児教育の無償化のために待機児童対策が滞るばかりか、無償化アナウンスがさらなる保育ニーズを呼び、待機児童解消はますます遠のくように見えます。

優先順位の問題だけではなく、政策としての効果にもたくさんの疑問が投げかけられています。

幼児教育無償化政策の本来のねらいは、次のような点にあると考えられます。

(1)貧困など不利な立場にいる子どもが質の高い幼児教育を受けられるようにすることで、子どもにとっての機会の平等を実現できる。

(2)米国で行われたペリー・プリスクールの社会実験などで、質の高い幼児教育は次世代の健やかな成長を促し、将来の税収を増加させ、福祉や治安のためのコストを低減できると分析されており、国家にとって費用対効果の大きい政策となりうる。

教育支出の格差が広がる可能性も

しかし、慶應義塾大学経済学部の赤林英夫教授は、「ペリー・プリスクールの社会実験は、1960年代の米国の貧困地域で行われたもので、現在の日本の状況に当てはまるとは限らない」といいます。

「日本では、すでに4〜5歳の幼児の就園率は高く(5歳児で96%)、その部分を無償化しても、保護者が自発的に行ってきた私的支出を税金で肩代わりするだけです。つまり、幼児教育無償化のための公的支出は社会にとっては追加的投資とはならず、その分の社会のリターンはゼロに近いと考えられます」

さらに赤林教授は、所得に応じて負担するしくみをもつ保育所も、保育料の一部が減免される就園奨励費補助が出る幼稚園も、貧困世帯の保育料負担はすでに免除されているため、幼児教育無償化による恩恵はないと指摘します。

その一方で、一律の無償化で恩恵を受ける中高所得層は、その余剰を別の教育支出に振り向けると予測され、教育支出の格差が広がる可能性もあるというのです。

保育所利用の効果について分析した東京大学大学院経済学研究科の山口慎太郎准教授も疑問を投げかけます。

「国の大規模調査を使った分析で、社会経済的に恵まれない家庭の子どものうち、2歳時点で保育所を利用していた子どもの多動性・攻撃性が、利用していなかった子どもよりも改善していることがわかりました。保育所の利用が、恵まれない家庭の子どもの発達によい影響を与えていると考えられるのです。しかし、待機児童が多い地域では、恵まれない家庭であっても保育所の利用が保障されていません。優先すべきは、恵まれない家庭が保育所を利用できるように十分に供給することであり、優先措置の拡大も検討すべきです」

つまり、3〜5歳を対象とした一律の幼児教育の無償化政策は、日本の現状に対してプラスの効果をもたらさないと予測されているのです。

先行した韓国で起こっていること

韓国では2013年から幼児教育の無償化が実施されましたが、東洋大学客員研究員の朴志允さんは、韓国の経験から一律の無償化に警鐘を鳴らします。


2015年1月、相次ぐ保育士による暴行事件を受けて仁川(インチョン)の保育園を訪問した朴槿恵大統領(当時)。無償化のために保育の質が下がれば、被害を受けるのは子どもだ(写真:Yonhap/アフロ)

「2015年ごろから保育園での園児虐待事件が相次いで起こり、保育の質の低下が社会問題になっています。その背景には、保育士の賃金の低さがあるといわれていますが、改善するための財源がありません。完全無償化を中止して、高所得層に負担を求めるべきという議論もあります。無償化のために保育の質が下がれば、子どもが被害を受けます」

制度が異なるため、韓国で起こっていることをそのまま当てはめることはできませんが、日本でも現在、保育士の待遇が低く全体的な資質の低下が問題となっていること、財源は決して無限ではないことなどを考えれば、懸念が膨らみます。

これだけ多方面の指摘がある中でこのまま進めてよいのか、今一度、現状に即した議論を行うべきだと思います。

私の周囲の子育て中の親たちは「みんなが保育園に入れるようになるためだったら、払えるおカネは払う」と言っています。

子どものために大きな財源が確保されることはよいことですが、それをムダに使ってしまったら、そのツケを払うのは、子どもの世代なのです。