『金曜日の本 (単行本)』吉田 篤弘 中央公論新社

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 「僕は金曜日に生まれた。」という書き出しにしびれるのは、私自身もまた金曜日生まれだからである。マザーグースの詩によれば、「金曜日生まれの子どもは愛情豊か(Friday's child is loving and giving)」だそうだ。個人的にはあまりこういう心理テスト的なものは信じていないが、著者の吉田さんについては当てはまっている気がする。

 本書には、80ページほどのエッセイと「窮鼠、夜を往く」という短編小説が収められている。あと、話のつづきのようなあとがき「あとがきのような話のつづき」も。それによれば、「金曜日の本」というタイトルが生まれた背景には、吉田さんが学校の図書室に通われていたのが金曜日だったことなどが影響しているらしい。本を読むことと同じくらい本を選ぶ時間が大切で、そうして見つけた本を自分のものにする...という愉しみが「金曜日の本」というイメージにつながっているという。「金曜日の本」という表題は本書のみに冠されるものではないそうだ。今後書かれる本の中にふさわしいものがあれば、「金曜日の本」とどこかに添えたいとのこと。すでに2016年に刊行された『おるもすと』(世田谷文学館)にも記されている。そのときに作られたレコード盤に「窮鼠、夜を往く」の朗読が収められているが、テキスト版は本書が初収録。

 「窮鼠、夜を往く」には、「金曜日の本」のイメージが集約されているということも明かされている。主人公・窮鼠は〈十一月文庫〉という名の古本屋に棲みついた鼠。店主の吹雪君はまだ若くて貧しい。窮鼠も吹雪君も、いつか本をつくりたいと願っている。窮鼠には、困ったときにいつも知恵を貸してくれる先生もいる。鰐のノーベンバーだ。静かな夜の中で生きる彼らの未来は...?

 エッセイの方も、自伝的小説風の趣があって素晴らしい。吉田さんは私より5歳ほど年上でいらっしゃるが、書かれているのはどれもこれも懐かしい過去の記憶ばかりだ(「〈リボンシトロン〉のマークのついたコップ」のことなど何年ぶりに思い出しただろう)。おうちがお友だちの家のように裕福ではないということも、おとうさんが吸われていたたばこがハイライトだったということも、道徳の時間には教育テレビ(昔はNHK Eテレはこういう名称だった)の『明るいなかま』を観ていたことも(私、実はいまでもオープニングの歌を歌える)。そして、いつも本を読んでいたことも。

 「金曜日の本」とはどういうものなのか、本書がそのイメージ通りのものかどうか、できれば『おるもすと』もあわせてお読みになってみてください。

(松井ゆかり)