日本から遠く離れたイースター島は、実は日本とも縁が深い(写真:siei/PIXTA)

モアイ像で知られるチリのイースター島。一番近い有人の島との距離が2000kmもあるという絶海の孤島には、その神秘に魅せられて多くの観光客が訪れる。しかしその島で独立運動が起こっていることはあまり知られていない。

筆者が最初に独立運動の存在を知ったのは、2016年3月にモアイ像を見るべく島の国立公園内をドライブしていたときのことだ。島のあちらこちらで赤い小舟のようなシンボルがプリントされた布切れがはためくのを目にした。

地元の人に聞いてみると、その小舟のシンボルはこの島に住む先住民ラパヌイの人たちの伝統的な木彫りの胸飾りをモチーフにしたもの(舟ではなく月を形取ったものだそうだ)で、ラパヌイの一部の人々が自治権とチリからの独立を求めて立ち上げた非公式団体「ラパヌイ議会」の旗にも用いられているという。

今やチリ人のほうが多く住んでいる

国立公園内を横断する道路が島の真ん中あたりに差し掛かったところにキャンプを見つけた。小屋が立ち「ラパヌイに自治を、チリからの独立を!」と書かれた横断幕が強い海風を受けてはためいていた。小屋の中を覗くと、その午後の当番だという初老の女性が出てきた。彼女によれば独立運動の背景には、チリ人に土地、仕事、経済、そして文化までも乗っ取られていると感じている島の原住民ラパヌイ人たちの懸念や怒りがあるという。

イースター島には、温かい気候や島暮らし、治安の良さなどに惹かれて多くのチリ人が移住してきた。1990年代初期には2500人程度だった島の人口は2002年には4000人に膨れ上がり、2020年には6000人に達すると言われている。今やイースター島にはラパヌイ人よりも多くのチリ人が暮らしており、本土からの移住者によってラパヌイの文化や伝統が飲み込まれてしまい、島が元々の島民たちの望まない方向に変化していくことを懸念している人は多い。

たとえば、土地を持つことを許されているのは、ラパヌイの人々(もしくはラパヌイ人と結婚している配偶者)にかぎられているが、2010年にはチリとアメリカの資本が入った高級ホテルの建設計画が持ち上がり、反対するラパヌイ人の人々によって構成されたデモ隊が軍警察と衝突する事態が起きている。

また島の43%を占める国立公園はチリのCONAF(国営森林団体)によって管理されているが、森林管理を主としているこの機関は、島内にフルタイムの考古学者をひとりも雇っておらず、歴史文化財の研究・保護の観点から問題視されている。

同時に観光客が払う国立公園への60ドルの入園料はチリ政府の収入となるため、ラパヌイの人々の生活の向上に還元されていないと感じるラパヌイ人も多い。2015年3月には「ラパヌイ議会」が国立公園の入り口を封鎖し、CONAFに代わって観光客から国立公園の入園料を徴収していた時期もあった。

人権や自治権を求める長い闘い

ラパヌイには、自分たちの人権や自治権を求めて戦ってきた長い歴史がある。1722年にオランダ船によって「発見」されたイースター島は、1888年にチリの統治下に置かれた。1953年までスコットランドの企業が羊を放牧するための土地として貸し出されており、羊たちが草を食べている間、島人たちの生活は島の一角(現在、島唯一の集落であるハンガロア)に制限されていた。

ラパヌイ人たちがチリの市民権と自分たちの市長を選ぶ権利を勝ち取ったのは1964年のことである。1888年の条約では、チリ政府はイースター島に主権を認め、島の保護と発展、土地の権利を約束しているが、その約束が果たされていないまま、100年以上の時が経っていることになる。

こうした状況にあるイースター島にとって、他地域の独立運動は刺激になる。数カ月前に、スペインのカタルーニャで独立騒動が起きた際に、チリの地元紙にはイースター島の住民たちがカタルーニャのケースを好意的に受け止めているとする記事が出た。

ラパヌイ人の独立感情が高まるのはわかるが、その実現性は低いとみられている。南米大陸から約3200厠イ譴燭海慮錨腓砲蓮観光とわずかな漁業以外の産業はなく、自給自足も難しい。ガスや食料、生活品のほとんどすべてを本土からの輸送に頼っている状態だ。物資やガスの供給が途絶えたら、この島は牧草地に戻ってしまうと懸念する声もある。

より現実的な選択肢としてラパヌイ人が求めているのは自治権だ。彼らは観光収入の使い道を自分たちで決める権利、そして島への移住者と観光客の流入を管理する権利を求めている。

2014年には市長とそのチームが国連の常任理事会に対してイースター島の「非植民地化」を提案、2017年にはイースター島の自治権を訴えるラパヌイの女性が初めてチリの国政議会選挙に出馬するなど、デモ以外の動きも起きている。

また、11月には、ようやくチリ政府とラパヌイの間で国立公園を今後50年間は共同運営することが合意された。今後50年ではなく、永久にラパヌイに移譲すべきという意見も報道されているが、いずれにせよ、ラパヌイの人々が自分たちの文化遺産への権利をようやく手にすることができた大きな一歩ではある。

「観光の島」となったイースター島で、もう1つラパヌイの人が、怒りを感じていることがある。それは、観光客のモアイに対する扱いだ。

モアイを「立たせた」日本の会社

高さ1〜10m、重さは最大で80tを超す巨大な石像、モアイ。島には実に1000に近いモアイ像がある。世界的に有名な遺跡だが、誰がどのようにして、そして何のために作られたのかいまだ謎に包まれている。作られた目的も諸説あるが、墓碑だとも島内に点在した部落の守り神だとも言われ、正確なことはわからない。

モアイは島の海に面したアフと呼ばれる祭壇に、多くの場合、海に背を向けて建てられているが、これだけの重量があるモアイを島内の石切場からどのようにして運ばれたのかも研究者が追い求める謎のひとつだ。モアイの建設は10世紀頃から始まり17世紀まで続いたと考えられているが、19世紀半ばには部族間の争いからすべてのモアイ像が倒されていた。

現在、見ることができる立ったモアイ像は考古学者や地元住民によって復元されたものだそうだ。その中でも朝日の昇るモアイとして観光客にも人気の高い島東部のアフ・トンガリキにあるモアイ像は、1960年のチリ沖大地震により倒壊したが、香川県高松市にある建機会社、タダノの協力により1996年に修復されている。その後も東日本大震災で被災した宮城県南三陸町にモアイ像がイースター島から贈られるなど、日本とイースター島との関係は深い。

「don't step on the moai」(モアイを踏まないで)。
観光の目玉であるモアイ像の前には決まってこう書かれている。


モアイを触らないように促す注意書きも(写真:yozo/PIXTA)

イースター島を訪れる観光客の多くは、このモアイ像を見に来る。しかしモアイたちとのトリックアート的な写真を撮ることに夢中な観光客の行き過ぎた遊びが、地元の人たちの神経を逆なでしているのも事実だ。

夕日スポットとして知られるモアイの像がハンガロアの集落内にある。穏やかな海を背に立つモアイ像の基盤、アフに立とうとする観光客たちを見つけては、地元の子どもたちが「ノー!」と走って怒りにくる場面に何度か出くわした。

観光客数は2年後3倍に膨らむとの予想も

チリ政府による2012年の統計ではイースター島を訪れる観光客は年間4万人で、圧倒的に多いのはチリ人だが、日本人の観光客も年間1442人と、外国勢の中ではアメリカ、フランス、ペルー、ブラジル、ドイツに次いで6番目に多かった。

2009年の8月にはラパヌイの人々が観光客の滞在日数の制限を求めて島唯一の空港を2日間にわたってブロックした。反対しているのは世界遺産にも登録されている島の繊細なエコシステムを破壊しかねないマスツーリズムだ。島を訪れる観光客は増え続けており最近では年間10万人と言われている。そしてチリ政府はこの数字が2020年には3倍に膨れ上がりかねないと予想している。

先述のテントの女性がこう話していた。「観光客に来るなと言っているわけじゃない。島の経済の8割は観光業で成り立っているし、われわれはその収入を必要としている。でも、モアイはわれわれの先祖の墓なの。あなたたちは自分の国で何も知らない観光客が先祖の墓を踏んづけていたら、あるいは大仏を馬鹿にした写真を撮っていたら、どういう気分になるね?」

島の経済の8割は観光業で成り立っているからこそ。独立が現実かどうかはさておき、島人たちが侮辱されていると感じる行為は慎みたいものだ。