いまニューヨーク・タイムズ(The New York Times:以下、NYT)は、大きな変化を迎えようとしている。

先日、NYTのCEO、マーク・トンプソン氏に、NYTの消費者重視の強化、プラットフォーム大手への対応、デジタル広告の混乱は片付くと信じている理由などについて論じてもらった。

内容は若干編集し、凝縮してある。

――NYTはコンシューマー企業になろうと考え方を変化させている。その背景にある考えとは?



つまりは、インターネットの初期、すなわち最初の15年や20年は間違っていたという認識だ。無料で無限に配信することでジャーナリズムに関するビジネスの問題はすべて解消するし、ニュースのユーザーへのマッチングには完璧な方法が存在するというコンゼプトそのものが間違っていることが判明した。お金を払う顧客に対する質の高いニュースの市場が明確に存在している。これは大きな変化だ。

――その変化を起こすうえで難しいのは?



プロダクトの考え方と、進めていく内容と、ユーザーに提供していく価値について難しさがある。出版業界の弱い部分は、オーディエンスへのサービスをどうするのかについて、オーディエンス戦略も十分な考えもない点だ。オーディエンスがどんな人たちなのかについては、非常に憶測にはまりやすい。従来のメディアは、地理的な制約によってジャーナリズムの枠組みが決まっていた。それが(スマートフォンで)すべてが変わった。スマートフォンを念頭にジャーナリズムを根底から作り直し、そのうえで、ラップトップや紙の新聞で何をするのかを考えるようにする必要がある。

――個人情報や時間ベースの広告で人々に払ってもらうものなど、別の価値交換モデルへの関心は?



私は懐疑的だ。人々の関心を盗もうとするのは、ソリューションというよりも問題にあたるのではないだろうか。ますます、人々の内発的な興味、価値であるコマーシャルコンテンツになっていくだろう。うちでは、読者の関心が高いコマーシャルパートナーたちとの連携も順調だ。たとえばサムスン。NYTの視覚的なVRジャーナリズムに参加している。複雑なビジネスモデルに対し、ある意味、不本意ながらデータを提供するのは、大半のユーザーはよい気分がしないだろう。それはぬかるみの側だと私は思う。

――読者主導にすることでGoogleやFacebookとの関係はどのようになる?



オーディエンス獲得の試みでは非常に強力なパートナーたちだ。課題は、エンゲージメントの高いオーディエンスを集めるうえで、Google、Facebook、その他の配信プラットフォームから協力を得るのを我々がどこまで促進できるか、そして、行っていることに関するブランドの信用を漏らさず獲得していくかだ。そうしたエンゲージメントを定期的な収益源に変え、収益を薄めるのではなく収益率を高めることを、もっと簡単にやれるようにしていきたい。たとえば、サブスクリプションとファーストクリックフリーの扱い方に関するGoogleの最近の発表は。大きく変えるものではないがとても助かる。

――パブリッシャーがGoogleやFacebookをただ回避するのは現実的なのか?



そうは思わない。どちらもユーザーにとって重要であり、ニュースへの関心が高いユーザーもそれは同じだ。2018年以降、コネクテッドインテリジェンス環境にシリコンバレー大手たちの関心がさらに集まると見ている。Google HomeとAlexaはその具体例だ。たとえばGoogleが、朝起きたときから夜眠るときまで行動をともにするという考え方だ。複数のデバイスが利用でき、たくさんの形で力になる。そこにニュースがどのようにかかわっていくのかについて解明を進めることが、2018年(2019年、2020年)のテーマのひとつになるだろう。そうなると必ずや、FacebookやGoogleやAmazonのような大手や、サムスンやAppleのようなデバイスメーカーと協力することになる。

――NYTはFacebookの大きな取り組みのうち、インスタント記事とサブスクリプション販売テストのふたつに参加していない。NYTは十分な力があるため協力しなくても大丈夫だということなのか?



すべての機会にゴーサインを出すわけではないが、NYTは十分に大きく力があるから自分たちだけでやれるのだとは私は考えない。一定の原則はある。エンドユーザーと交流したいので、エンドユーザーの行動に関してたくさんのデータが欲しい。ブランドについて非常に気を配っており、ニューヨーク・タイムズが読まれる際には、それがどこから来たものなのかを読者が気づくようにしたい。また、支払いを求める前に一定期間に読める記事数の調整など、ビジネスモデルには柔軟性が欲しい。とはいえ、深い話し合いがされていないプラットフォームというのは思いつかない。

――Facebookとは、単なるプラットフォームでもメディア企業でもないとすると、何なのか?



どこまで責任を持つのかをもっと明らかにしてもらう必要があると考えている。純粋なプラットフォームならば、プラットフォームを行き交うコンテンツはプラットフォームの責任ではないとの主張が可能だ。電話網で交わされる会話の内容について電話会社は直接、責任を持たされない。しかし、それは規制された透明な環境だ。Facebookは透明ではない。Facebookのアルゴリズムの働きは、我々にはわからないし、Facebookにそれを公開させる必要はない。Facebookはコンテンツに対しある程度の責任があるとほとんどの人が考えている。プラットフォームで何が進展するのかが選択されていると考えると、明らかに悪用の余地がある。こうしたプラットフォームはおそらく、単なるプラットフォームよりは責任が伴うが、NYTのような責任がすべてあるわけではない、中間的な位置付けになるだろう。

――デジタル広告は2018年に改められるのか?



行いを改めるように業界にはプレッシャーがかかっている。だから、時間をかけて改善していくはずだ。この1年間、あるいは1年半は警告が続いていると私は考えている。これは大手プラットフォームを中心とした問題に帰着する。配信されているそもそものコンテンツを考慮せず、機械が完全に実施する広告の売買は悪用につながる運命にある。我々はそれを目にしてきた。そうしたシステムを手に入れ、悪用したい困りものたちは、単なる理論的な脅威ではない。現実なのだ。そうした悪党たちを阻止する保護が、デジタル広告のエコロジーではほとんどなされていない。

――機械によるバイイングの力が過信されてきたと?



インターネットは本来、道徳的であり、選択と普遍的な配信が必ずよい結果につながるだろうという考え方への過信だ。万人への無料配信は、良いこととばかりでなく悪いことにとっても好都合なのだ。シリコンバレーの水源の奥深くには、良いが悪いを上回っているという考えがある。どちらとも言えないと私は考えている。

Lucia Moses (原文 / 訳:ガリレオ)