3人の「世界的スニーカー好き」が熱く語り合いました。水色のシューズはナイキの代表的なビンテージスニーカー「ワッフルトレーナー」(撮影:尾形文繁)

発売たちまち15万部を突破、「2017年最高の書」との高い評価が飛び出したナイキ創業者フィル・ナイトによる自伝『SHOE DOG(シュードッグ)』。日本のスニーカー界におけるカリスマ達は、本書をどう読んだのか?
スニーカー専門誌『シューズ・マスター』編集長の榎本一生氏によるモデレートで、海外のスニーカーヘッズからも注目される「ミタスニーカーズ」クリエイティブ・ディレクターの国井栄之氏、クラシック・ナイキの世界的コレクターでThunderbird Design代表のアクタガワ タカトシ氏が「TSUTAYA TOKYO ROPPONGI」に集まり、ナイキのモノづくりについて語り合った。

「世界的スニーカー好き」が熱く語る


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榎本一生氏(以下、榎本):こんにちは。榎本です。『シューズ・マスター』という雑誌の編集長をしています。ナイキは、好き嫌いを抜きにして、スニーカー界では特別な存在でしょう。僕自身、中学3年生のとき初めてエアジョーダンを履いて、衝撃を受けました。そしてのめり込み、気がついたらシューズ雑誌を作っていた。僕の人生を変えたのがナイキでもあるわけです。

今日はこれから、ミタスニーカーズの国井栄之さんと、ナイキ・シューズのコレクターとして非常に有名なアクタガワ タカトシさんを迎えて、ナイキのシューズや、『シュードッグ』について話していきたいと思います。

お2人は『シュードッグ』を読んでいかがでしたか? まずは国井さんから。国井さんは、ナイキをはじめとする各メーカーと組んでコラボレートスニーカーを作り、世界のコレクターの注目を集めていますね。

国井栄之氏(以下、国井):ナイキやフィル・ナイトについて、これまで語られていたことの答え合わせをしながら読んでいる最中です。僕が生まれる前のナイキの話もいろいろ耳にしていましたが、この本を読んで、「おお、今まで言われていたことは本当だったんだ」と。たとえば、オニツカタイガーや、その創業者である鬼塚喜八郎さんとの関係性だったり、日本企業との関係性を赤裸々に記されていたのは正直、驚きました。

榎本:アクタガワさん、どうでしょうか。

アクタガワ タカトシ氏(以下、アクタガワ):僕はもの書きでもあるのですが、まず和訳のうまさ、読みやすさに感心しました。この本は、どんなことがあったのかという概要だけでなく、各々の場面でフィル・ナイトがどう思っていたのかという内面が語られるのが面白いですね。

創業当初、1962年に飛行機で日本に降り立ったフィル・ナイトが、戦争によって傷ついた東京の姿を見ていたという描写は印象深かったです。1960年代の東京にはまだ戦争の爪痕が残っていたのかと。

榎本:この本は、ビジネス書としてだけでなく、ノンフィクションの文芸書として楽しめますね。ナイキ創業時の様子に加えて、当時の時代背景まで知ることができる貴重な本ではないでしょうか。

ナイキにはストーリーがある

榎本:アクタガワさんは、ご自身のナイキ・ビンテージスニーカーのコレクションを撮影して1冊にまとめた『BlueRIBBONS』という本を書かれていますね。

アクタガワ:全部、自分のスニーカーではなく、一部、借りたものもありますが。当時、出版社には「ナイキだけに絞って本を作る意味ってあるのですか」と聞かれました。そのとき僕は「ナイキでなければ書けません」と答えました。

1970年代のナイキの靴って、一つひとつにキラメキや情熱を感じるんです。なぜこのデザインがそのときに生まれたのか、物語が見える。これが他社メーカーだと、とにかく品番をたくさん作って売ろうという意図が見えたりする。たとえば、色しか違いがないのに、名前を変えて別のスニーカーとして売ろうとしたりね。

ナイキだけを愛しているわけではないのですが、ナイキは、それぞれの靴に、その靴が生まれた理由や時代背景の物語がある。だから、ナイキでないと本が作れない。

榎本:今日は、コレクションの中から代表的な1足をお持ちいただきました。

アクタガワ:ここにあるのは、ワッフルトレーナーという靴です。『シュードッグ』にも、この靴への言及があります。共同経営者のビル・バウワーマンが朝食中、奥さんが使っていたワッフルメーカーを見て、この形を靴のソールに使えるのではないかと思いつく場面です。僕の見立てでは、1970年代にナイキが大成功した理由の50%はこの靴です。


台所にある「ワッフルメーカー」を見て考案された「ワッフルトレーナー」のソール(撮影:尾形文繁)

もともと、ぬかるんだ地面でもスパイク代わりになる靴として作られたのですが、実際に履いてみたら、堅い路面でもソールがクッションの役割を果たして、よかった。そして乾いた地面にも、雨に濡れたアスファルトにも適するオールラウンドの靴になった。最初は赤とか紺の単調な色合いでリリースされたのですが、途中でUCLAカラーにしたら大ヒットした。

1990年代、僕は日本でもアメリカでもビンテージスニーカーを探し歩きました。アメリカのフリーマーケットに行くと、とにかくこの靴ばかり並んでいる。それだけ圧倒的に売れたということです。当時のナイキのジャンプアップを支えた、象徴的な靴だと思います。

榎本:ワッフルトレーナーは何度も復刻されていますね。40年も前に作られた靴なのに、今の僕たちが見てもめちゃくちゃかっこいい。不思議ですね。こんな名作が生まれたのはどうしてでしょう?

アクタガワ:『シュードッグ』の最後のほうにヒントがあると思います。フィル・ナイトが、ビジネスはカネじゃないとはっきり言っている。僕は、その言葉を見て「待ってました!」と思いました。

創業当時のフィル・ナイトは、アディダスという巨大な帝国をどう打ち負かすか考えていた。ベンチマークはアディダス。手にした武器はオニツカタイガー。アディダスを超えるにはどうすればいいか? 性能、見た目、カラーリング……どこで勝負しようか。

そこでナイキは、「どう売ろうか」ではなく、あの手この手で「アディダスをギャフンと言わせよう」と考えたと思うんです。在庫なんか多少残ってもいいから「びっくりさせてやる」って。そこが、名作シューズにつながっていく要因だったと思います。

榎本:いろんな起業家がいますが、フィル・ナイトほどスーパーエリートで、育ちがよくて、なおかつハングリー精神のある人というのは、なかなかいませんね。

泥臭くて、熱くて、ストイック


榎本 一生(えのもと いっせい)/1976年千葉県生まれ。フリーランスのエディター、ライター。『シューズ・マスター』編集長、『ランナーズパルス』副編集長、フイナム ランニング クラブ♡部長。高校生のとき、クイズ番組「カルトQ」のスニーカーの回に出演。スニーカー博士として、スニーカー関連の数多くの雑誌の編集・執筆にかかわる。ランナーでもあり、フルマラソンの自己ベストは3時間18分16秒(大阪マラソン2016)(撮影:尾形文繁)

国井:僕は、「ナイキの強みはマーケティング、アディダスの強みはモノづくり」というイメージをずっと植え付けられていました。でも『シュードッグ』を読んで、ナイキのイメージが変わりました。ここまでストイックにモノづくりに挑戦しているとは思わなかった。スマートな印象だったのに、泥臭くて熱い部分がある。

アクタガワ:スマートというのは、現在のナイキのイメージだと思うんですよ。ナイキは、株式を公開する前と後とでは大きく変化している、今はとてもクールな部分もあり、手弁当でやっていた初期の頃とは印象が違う。フィル・ナイト本人にとっても『シュードッグ』に描かれている時期はものすごく熱くて、トラブルに見舞われつつ、頑張った印象が強いんじゃないかな。

榎本:僕らにとってのナイキは、マーク・パーカーという秀でたCEOがいて、エアマックスを生み出したティンカー・ハットフィールドのような優れたデザイナーがいて、洗練された広告をつくるエージェンシーがいて……といったイメージです。でも『シュードッグ』を通じて、ナイキの礎になったのは、フィル・ナイトの強烈な信念と情熱、ケタ外れに熱い魂なんだと感じますね。

アクタガワ:今は、追いかける存在から、追いかけられる存在になったナイキだけど、社風として、ほかの会社のやることにあまり影響されないですね。「アディダスはこうしているから、うちはこうしよう」というのがいっさいない。自分たちのやりたいことをやる。その独立自尊の精神は、ずっと継承されて脈々と流れている気がします。


国井 栄之(くにい しげゆき)/1976年生まれ。ミタスニーカーズのクリエイティブ・ディレクター。1996年にミタスニーカーズ入社。ナイキ、アディダス、ニューバランスなど、国内外のさまざまなブランドと組んで、数多くのコラボレートスニーカーを企画。世界のコレクターが注目するスニーカーを数多く発表している。小学生のとき初めて買ったスニーカーはナイキのコルテッツ(撮影:尾形文繁)

国井:僕が、別注や共同企画という形で最初に仕事をさせてもらったのがナイキでした。彼らは、「チャレンジしよう」という感覚がとても強い。たとえ失敗に終わっても、「だめだった」ではなく「いいチャレンジだった」という報告書で終わらせる。つねに前向きでしたね。

彼らには、このテクノロジーに追従しよう、という考え方はまったくない。他社のスニーカーを見ていたとしても、そこに自分たちの持つイノベーションやアイデンティティを駆使して、つねにゲームチェンジを図りますよね。

榎本:実際にシューズの販売をされていて、ナイキ好きは多いと感じますか?

国井:絶対的に多いです。全員とは言わないけど、スニーカーが好きという人のなかで、ナイキを履いたことがない人はいないと思います。人を惹きつけるブランドですよね。ナイキが次にどんなイノベーションで革命を起こし物事を覆すのか、つねに楽しみなんです。

アクタガワ:ほかのメーカーは堅実ですよね。突拍子のないことはしない。でも、ナイキはやる。それがエアだったり、フライニットだったり。スニーカーは、ソールにEVAという素材を使うようになってから人気が爆発しました。このEVAは当初、ブルックスの独占契約だった。もちろんブルックスは伸びました。でも、ナイキがその素材を使ったら、ちょっと飛躍の角度が違う。みんなをびっくりさせるようなものを出してくる。

スニーカー文化は日本発だった!

榎本:アクタガワさんは、ビンテージスニーカーのコレクター第1世代ですよね。ビンテージものに価値を見いだしたのは日本が最初と言われていますが。

アクタガワ:そうです。世界中の誰と話しても、そう言われます。日本は、ストリートファッションについては本当にリスペクトされていますよ。「ビンテージのものを身に着けることがクールだ」という文化は、完全に日本発のものです。

国井:今で言うコラボレーション文化も日本が先駆けですよね。僕らのようなスニーカーショップとメーカーがコラボレートして、あるモデルをカスタマイズしていくという文化。昔の日本人は、ゼロをイチにする作業に優れていたと思いますが、僕たちの世代は、1を2、2を3にしていくことを求められています。サンプリングやハイブリッド、そこにストーリーを織り交ぜて、それをどんどんアップデートしていく段階に入っている。

榎本:スニーカー文化は、いまではグローバルな価値観になったと思いますが、僕が編集長を務める『シューズ・マスター』も、日本だから生まれたと言えるかもしれません。『シュードッグ』にも日本の企業が登場しますし、日本で生産を行っていたという話が描かれていますね。これは偶然かな?

アクタガワ:僕は個人的に、初期のナイキが日本で作られていたということに思い入れがあるんです。僕がはじめて知ったナイキは、日本製でした。アメリカの靴が日本で作られているって、面白いですよね。ビンテージの靴でも、アメリカ製のものに比べて、日本製は縫製ひとつとっても圧倒的にクオリティが高い。

ナイキのシューズを作っていた福岡の工場を訪ねて、当時を知る人に施設を見せていただいたことがあります。当時その工場が卸していた靴は、1足500円。それに対して、ナイキへの卸値は7ドル50セント(約2700円)だったそうです。「えっ、そんなに高く買ってくれるんですか?」ということになって、とにかくいちばん良い材料を選んで、ひたすらしっかり作ったと聞きました。フィル・ナイトはそんな日本の技術の高さに着目していたんですね。

榎本:『シュードッグ』はアメリカでベストセラーになって、ついに日本でも翻訳版が出版されました。日本とナイキって、こんなに関係が深いんだとよくわかりますし、日本人が読んでエキサイティングな本だなと改めて思います。

ナイキの進化は、僕らの想像を超える


アクタガワ タカトシ/1972年生まれ。Thunderbird Design代表。エディター、コピーライター、プロダクトデザイナーと多彩な顔を持つ。スニーカー収集家、また野営道具研究家としても知られている。2005年、自身のナイキ・シューズのコレクションを紹介した『BlueRIBBONS』(ディー・ディー・ウェーブ)を刊行。スニーカーファン、クリエイターの間で話題となる(撮影:尾形文繁)

国井:ナイキとアディダスはつねに比べられます。一言で表せば、アディダスは「変化のブランド」。それに対してナイキは「進化のブランド」です。たとえばエアマックスは、1、2、3、4……と進化していく。ギア的な進化こそ、スポーツブランドとしての真骨頂です。エアマックス誕生30周年といったような大掛かりなプロモーションイベントができるなんて、ほかにはありません。

アクタガワ:ほんとそう! そのとおり。

国井:エアマックス360が出たとき、僕たちは「想像しうるスニーカーの終着地点に行き着いたんじゃないか」と思ったけど、ナイキはまだまだ行き着いていなかった。そのあとでヴェイパーマックスが出てきたときは、ケージやアウトソール、そしてミッドソールまでもがなくなっていて本当にびっくりしました。

ワッフルソールにしても、最新作のエアマックスにその意匠が残っていたりする。この進化こそが、ナイキなんです。僕たちの想像を超えた、もっと先を見せてくれる。靴の概念さえ変えるものを、ナイキならつねに出してくれると思います。

アクタガワ:そこだよね。エアだって、少しずつ積み上げて進化していく。そして進化を止めない。すごいものができる秘訣って、そこだと思う。

榎本:最近も、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に出てきた靴のモデルを現実化させて、自動靴ひも調整機能のついたハイパーアダプトが出て驚きましたが、あれがまた進化するかもしれませんよね。

国井:今は電気を使って靴ひもが締まる仕組みだけど、電気を使わずにそれができるようになるかもしれない。僕らが考えるアップデートとはレベルの違うモノやコトを、ナイキはきっと描いています。

榎本:本日はありがとうございました。