中後悠平。一度は日本プロ野球界で「戦力外」となりながらアメリカで奇跡の復活を果たした(撮影:風間 仁一郎)

18.44mを隔てた戦いは、なぜここまで人の心を揺さぶるのか――。
華やかなプロ野球の世界。活躍した選手には名誉と莫大な報酬がもたらされる。一方で、競争に敗れ、表舞台から去りゆく選手がいる。そんな「戦力外通告」を受けた選手をドキュメンタリーで描いてきたのが、TBSテレビ「プロ野球戦力外通告〜クビを宣告された男たち」が、12月30日(土)10時から通算14回目の放送を迎える
今年の放送を控え番組にかかわるサイドストーリーの第2回は、2016年のトライアウトを経て、アメリカ球界へ渡った中後悠平投手のその後をお届けしよう。
今年の第1回はこちら⇒37歳「松坂世代」が見たプロ野球と松坂大輔

クリスマス一色に彩られた師走のある日。来季へ向けてトレーニングを続ける中後悠平(28歳)と都内で会った。

投手として渡米2シーズン目を終えた帰国後、10月に食事をしてから2カ月ぶりのことだ。

「年末の戦力外通告の番組、もうすぐ放送ですよね。今年は誰を取り上げるんですか? 僕がクビになって番組に出てからもう2年かぁ。早いなあ…」。笑顔で懐かしそうに振り返る。

「間違いなく運命が変わった」

「ホンマあれが全てですよ。野球を辞めなあかん状況から、ダイヤモンドバックス、フィリーズ、レンジャーズがホンマに僕のことを獲りに来て。間違いなく運命が変わった。ほんで自分の考え方も変われたっていうのは大きいですし、ちょっと自信持って野球できるようになりましたからね」

そして話題は、来季から海を渡り同じアメリカの地で戦う彼の話題になった。

「大谷翔平くん、エンゼルスに決まりましたね。ピッチングだけじゃなくバッティングもホンマ、えげつないっすよね。あれはバケモンっすよ(笑)」。そしてこう続ける。「日本人投手のメジャーデビュー記録が22年連続で途絶えたとか、どうでもいいじゃないですか。それはもう来年の大谷くんから、再スタートでいいんですよ。僕なんか放っといてくれていいんです」


中後悠平は海を渡り、アメリカで戦う

いつもの憎まれ口を叩いて笑う。中後は元気そうだった。

2017年シーズン当初。実は中後悠平には、日本のメディアから大きな期待が寄せられていた。それは、1995年の野茂英雄から22年間続く日本人選手のメジャーデビュー記録が続くか、途絶えるかということ。今シーズンはビッグネームのメジャー移籍がなく、その記録は必然的に、アリゾナ・ダイヤモンドバックス傘下でマイナー暮らしをする中後に委ねられることとなった。

ましてや、今季はメジャーリーグの招待選手扱いからのスタート。渡米1年目だった昨季のマイナーの最下層、ルーキーリーグからのスタートと比べれば、周囲が期待を寄せるのも当然のことだった。

「意識してたっていう訳ではないんですけど、メジャーキャンプスタートで、メジャーリーガーのプレーを目の前で見させてもらって、改めてそこまで来させてもらってるんやなっていう実感もありましたし、更にそこに行くためにアメリカに来てますから。抑えて当たり前というか、打たれるなんてもってのほかっていう考えで、その感覚でいってしまったんです」

実はそこに大きな落とし穴があった。


想定外に出足は悪かったが・・・・・・(撮影:風間 仁一郎)

2Aからスタートした渡米2年目の今シーズン、中後自身が想像だにしない不調に見舞われてしまったのだ。4月23日までは防御率0.79と好投していたが、それ以降はピッチングが乱れに乱れた。次の登板となった4月26日の試合ではわずか1/3回で3失点。5月に入っても乱調が続き、ついに防御率6.0にまで落ち込む事態となった。

「誰でも波っていうのはありますし、好不調はあるじゃないですか。そこで不調になった時に、ちゃんとした修正が利かなかったというか、正直言ってどうしていいかわからないところにまで落ちてしまったんです。日本におった時の『一軍に上がるために抑えなあかん!』っていう感覚と同じですよ。本当は目の前の試合を抑えることが大事やのに、先のことを見過ぎて目の前のことができへんという・・・・・・戦力外通告を受けたシーズンと同じ自分に戻りかけてしまったったんです」

だが中後は、ここで日本時代の轍(てつ)を踏む事はなかった。

本人が今シーズンの最も印象に残ると語る1試合がある。「そこが僕の転機っていうか、分岐点になった」とハッキリ反芻するのは、絶不調で迎えた5月9日、本拠地で行われたカブス傘下2Aの対テネシー・スモーキーズでの登板だ。

0対6と敗戦濃厚で迎えた9回表、中後が3番手でマウンドに登った。

「パコーン!とホームラン打たれたんです。でもその1イニングの内容はとても良かったんです。コーチも絶賛してくれて『次から抑えられる』っていう自信がついたんですよ」

一体、この試合の登板で中後にどんな変化があったというのか。

「ここで変わらんと終わる」

「ここで変わらんと終わる。『ここしかない!』と思ったんですよね」

左の変則投手である中後の最大の武器は、わかっていてもバットに当てることの出来ないキレキレのスライダー。学生時代から千葉ロッテまで、一貫してストレートとスライダーだけで勝負して結果を出してきた。プロでメシを食って行くためには投球の幅を広げなければ。そう頭では理解していたものの「ドラフト2位で入団して1年目から即戦力になって余計にプライドが邪魔してたんです。悪いときでもスライダー、スライダー、スライダーって意地を張るというか、今思えば変わることから逃げてたのかも」という。


大きく落ち込んだ防御率をどう立て直したか。『プロ野球戦力外通告〜クビを宣告された男たち』(TBS系)は12月30日(土)夜10時から放送です

そんな中後が、数年前から密かに精度を磨いていた球種を、5月9日のこの試合でついに解禁した。それは、ツーシームとチェンジアップだった。これまでにない中後の緩急つけたピッチングは、すぐに数字となって表れた。

6.00にまで落ち込んだ防御率が、6月は1.32、7月は1.60、シーズン最終の8月も1.59と圧倒的な結果を残した。

「あの日から三振が減ったんです。その代わりゴロが増えて、球数も減って。それがアメリカで求められているピッチングだと思うので」


以前なら越えられなかった壁を越えた(撮影:風間 仁一郎)

その中後がイメージする、メジャー屈指の大投手がいる。今季メジャー最高年俸40億円を誇るクレイトン・カーショウ(ロサンゼルス・ドジャース)だ。カーショウといえば、メジャー史上最高とも言われるカーブが代名詞だが、真骨頂は他にあると中後は語る。

「あのピッチャーの凄いところは、絶対的なカーブ以外にちっちゃいスライダーを持っているんですよ。その球でカウント取ったりゴロ打たせたりして、あのカーブで空振り三振を奪う。他にも好投手と呼ばれる人はみんな絶対的な武器、プラス2〜3球を持っているんですよね。僕のなかでもスライダーはなくてはならない武器だけど、それだけでは打たれてしまいますから。

ロッテの時に今の考え方ができてたらピッチングの幅が広がって、もっと違うスタイルが見つかっていたかなと思うけど、あの5月9日の試合で自分のコツをつかんで抑えられたというのは、今年一番の収穫ですよね」。

中後は少しだけ誇らしげにそう胸を張った。

実は中後には、今年もう1つの大きな転機があった。

それはプライベートでの出来事。8月14日、敵地アラバマ州モンゴメリーでの試合前のことだった。

「出産予定日は8月20日ぐらいだったんですけど『産まれそう』って連絡がきて。僕もやっぱりソワソワするじゃないですか。試合中は普段ロッカーに帰ったりしないんですけど、30分おきぐらいに帰って、トイレ行くフリしてスマホ覗いて。で、試合終わって戻ったら動画と『産まれたよ!』っていうLINEが入ってたんで、ホンマめっちゃ嬉しかったですね。でも(立ち会えなくて)申し訳ないな、みたいなのもありましたけどね」

出産に立ち会うべきか否か迷った末の決断

渡米1年目を終えたばかりの昨オフ、中後と光との間に新たな命が宿っていた。1年目は生まれたばかりの第一子を残してアメリカで戦った中後だったが、今シーズンは第二子誕生という一大イベントを背負いながら、一家の大黒柱として懸命にアメリカで戦っていたのだ。

欧米は仕事よりも家族を優先にする慣習がある。メジャーリーガーや監督ですら、シーズン途中でも出産休暇でチームを離れることが当たり前だったりする。実際、チームのコーチも2週間前に出産休暇でチームを離脱していた。中後に対しても「家族のために帰るならウチは全然いいよ」と帰国許可は出ていた。日本で戦力外になってからも、ずっと支え続けてくれている妻・光の出産に立ち会うべきか、中後は直前まで迷いに迷っていた。


支えてくれる家族のためにも負けられない

そんな中後の迷いを断ち切ったのは、他でもない妻の国際電話でのひと言だった。

「そちらでしっかりやってきて。帰ってきてからしっかり抱っこしてあげて…」

妻のけなげな言葉に、ハッと気づかされた。

目の前の試合を抑えることが、今の自分が為すべきこと。

「僕は野球でゼロに抑えることがおカネになってくるし、僕の選手生命にも関わってくる。上にあがるためにはゼロに抑える。子供を育てるためにもゼロに抑える。稼ぐためにもゼロに抑える。家族を幸せにするためにもゼロに抑える。自分の家を建てるためにもゼロに抑える。野球でゼロに抑えることが、結果を残して上にあがっていくことが、僕の全てなんです。僕1人だろうが家族が4人に増えようが、やることは変わらない…それを強く感じたんです」


渡米2年目を終えた中後の今後は?(撮影:風間 仁一郎)

中後悠平は渡米2年目のシーズンを終えた。

米国内でも最も高温多湿地域の南東部を拠点とする「サザン・リーグ」に属し、12時間以上ものバス移動が当たり前とされ、わずか4カ月間で140試合を戦う2Aでの成績は、48試合で65イニングを投げ17失点、防御率2.35。9月には3Aに緊急昇格し優勝争いにも加わった。それでも、当初からメジャー40人枠で契約していない中後は、メジャーで地区優勝争いを繰り広げるダイヤモンドバックスの一員としてお呼びがかかることはなかった。

今回、この年の瀬に中後に会って、どうしても聞いておきたいことがあった。

それは来シーズン、身の振り方をどうするのか、ということ。

帰国後の10月。中後と食事した際、横浜の中華料理屋で餃子を頬張りながら、彼は偽らざる心中を吐露してくれていた。スポーツ新聞で、日本プロ野球界の複数球団が興味を示し、獲得の可能性を示唆する記事が掲載されている頃のことだった。

「正直、どうしたらいいか、現時点ではわからないです。戦力外になったあの頃と比べたら、そりゃ自信もついたし結果も残していると思う。気持ちは正直半々です。でも家族のこともあるし、夢を追い続けるだけでは生きて行けへん…どう思います?」

どうせここまで来たのなら、徹底的にやってみたらどうか。今なら確かに日本球界にも戻れるだろう。だがメジャーでも貴重な左の変則セットアッパーは、もし昇格できたなら、日本では考えられない高評価を受けることができる…。脳裏にそのフレーズが浮かんだが、同時に彼が置かれている状況を考えると無責任な言葉を吐くべきではない、そう逡巡してしまった。

「…オッケイ! とにかく悔いのない、答えを出します!」

あれから2カ月後の年の瀬。心境がどう変化したのか聞いてみたかった。

「実際に(日本国内の)5球団が興味あるって言ってくれました。ありがたいことに、シーズン途中でもマイナーまで足を運んで、僕のピッチングを見に来てくれた球団もあったそうです。それで、本格的に動いてくれたのは3球団。なかには球団の幹部クラスと直接お話しさせていただいたチームもあったんですよ」

妻・光も素直にこの状況を喜んでくれたと言う。

「2年前だったらありえないことだよね。クビになった人が、再び日本球界から声をかけてもらえるのは、この2年間向こうで頑張ってきたからだよ。それは凄いことだよ」

ただ、獲得を希望した5球団は、あくまでもダイヤモンドバックスとの契約を解除してからのテスト入団が条件だった。

移籍金というネック

ここに契約社会の複雑さがある。

日本プロ野球界のチームが中後を獲得するためには、ダイヤモンドバックスが手放さない限り移籍金が必要となるからだ。獲得を希望する球団からすれば、自由契約となった立場の中後と交渉して獲得をしたい。だからフリーの立場になってからの獲得検討を望んだ。

一方、中後からすれば、フリーの立場になって獲得検討をしてもらったところで、実際に日本球界に復帰できる保証は何ひとつない。土壇場でひっくり返って最終的にNOと言われたら、メジャーへの道も日本球界復帰の道も、閉ざされてしまうのだ。

「移籍金の問題が出るってことは、まだ僕がそれくらいの評価だということでしょう。ホンマに日本に帰りたいと思ってることはウソじゃないです。でも、僕もこの2年で積み上げた結果もあると思うんで」

果たして来季、中後は…。


「日本に帰りたいと思っていることはウソじゃない」が・・・。『プロ野球戦力外通告〜クビを宣告された男たち』(TBS系)は12月30日(土)夜10時から放送です

「決めました。もう1年だけ、アメリカでやります。向こうは来シーズンで終わり、区切り良く3年で終わりにします。メジャーに上がれば別ですけど、僕も1人じゃないんで、来年が本当のラストイヤーです」

2カ月前とは打って変わり、こう力強く宣言してくれた中後。

「もちろんメジャーで自分が投げている姿を想像しますし、アメリカに行ったからにはやっぱテッペン目指そうと思いますし。その中でも、日本には帰りたいっていう気持ちを持ちながら、しっかり来シーズンをやっていこうという気持ちです。両方持っていますよ、ちゃんと」

メジャーでの契約条件、置かれたチームの状況、来季以降の日本球界の編成の事情、そして大切な家族のこと…。「野球でゼロに抑える」ことを掲げ、全てを飲み込んで三たび海を渡ることを決めた中後悠平。その運命や、いかに。

(敬称略、文:津川晋一/ディレクター・スポーツジャーナリスト)