挑戦的なマーケティングを続ける日清食品カップヌードル」。藤野氏は2014年からブランドマネージャーを務める(写真:尾形文繁)

「謎肉祭」「クリエーターズあるある」「アオハルかよ」――。日清食品カップヌードル」の広告やキャンペーンがSNS上で度々話題に上っている。

カップヌードルは、言わずと知れた日清食品を代表するメガブランドだ。日清食品の創業者・安藤百福が1971年に開発した世界初のカップ麺で、累計での販売食数は世界全体で400億食を超えている。ロングセラーながら、挑戦的で若者に響くマーケティングを続けられるのはなぜなのか。


『謎肉祭』の期間限定品には通常の10倍の量の謎肉が入っている(写真:尾形文繁)

たとえば、今秋期間限定で発売した「帰ってきたカップヌードル謎肉祭」では、食品メーカーであるのに商品名に「謎肉」と大々的に付けている。

そもそも「謎肉」とは、カップヌードルに入っている肉風味の具のことで、ネットユーザーがそう呼び始めたのが始まりだ。謎肉は人気を集めながらも、その原材料は発売から長く明かされていなかった。しかし発売46年目の今年、原材料は実は「肉と大豆」であると発表。あわせて通常より謎肉が多く入った同商品を発売したのだ。

カップヌードルの商品戦略を海外投資家向けに説明する際、同商品を英語資料で「ミステリーミート」と表記しようとしたところ「それはまずい(冗談が通じないかもしれない)」と問題になったという逸話もある。

最近では、カップヌードルのツイッターアカウントに投稿された「ミルクシーフードヌードル」の広告が話題になった。デザイナーが上司からの無茶な提案に全力で応えようとして迷走していく過程を描いたものだ。投稿は18万リツイート以上を記録した。

安藤社長「私には何が面白いのかわからない」

一連の“攻め”ぶりに、日清食品ホールディングスの安藤宏基社長は「私には何が面白いのかさっぱりわからない。もう勝手にやってくれ」と話しているという。

現場主導だからこそ面白い案が次々と出てきているといえるが、そのカップヌードルマーケティングを統括しているのが、藤野誠ブランドマネージャーだ(以下、敬称略)。

藤野は、「カップヌードルは発売から46年が経ちます。発売当時の若者はもう高齢化が進んでいますが、今の若者にも自分たちの食べ物だと思ってもらいたい」と、最近の挑戦的なマーケティングの狙いを語る。


藤野 誠(ふじの まこと)/1969年生まれ。1992年に日清食品入社。日清食品チルド事業部(現・日清食品チルド株式会社)で15年間営業に従事した後、マーケティング部で商品開発を6年間担当。その後、日清食品へ異動しブランドマネージャーに。2014 年よりカップヌードルのブランドマネージャー。「カップヌードル」のブランディングやプロモーションを担当する(写真:尾形文繁)

藤野がカップヌードルのブランドマネージャーに就いたのは2014年。キャリアのほとんどは「行列のできる店のラーメン」など冷蔵商品を扱うチルド事業部にいた(現・日清食品チルド株式会社)。
「新しいものを出していく、ということの根本は当時傍流だったチルド食品を担当していた時代に生まれています」とその原点を語る。

1992年に入社した藤野の初期配属はチルド事業部の営業。当時の日清食品では圧倒的に即席麺事業、中でもカップラーメンがメイン。傍流だったチルド食品はカップラーメンに比べて売り上げ規模も断然小さく、業界でもシェア3〜4位だという状況だった。

「営業をしていても、チルド食品では日清という看板は通用するようで通用しませんでした」。カップラーメンと違い、チルドの麺は当時まだ置いてないスーパーなども多かった。商談すら応じてもらえないこともたびたびあったという。

しかし、藤野は結果的にこの厳しい環境に鍛えられることになる。チルド商品は、カップヌードルやチキンラーメンなど、安定的に売り上げの立つ名のある商品とは違い、実績が前年の倍にもなればゼロにもなる部署。「つねに、守る方法じゃなくて攻めていくことだけを考えていた」と藤野が言うように、小売店のバイヤーの目に止まるように積極的な営業をするほかなかったのだ。

「消費者目線」を持つ

15年間営業を担当したあとは、チルド食品のマーケティングを任された。ここでこれまでになかったヒット商品を次々と生み出すことになるのだが、最初から順風満帆だったわけではない。むしろ当初は、15年間の長い営業生活で染み付いた考え方が足かせになってしまっていた。

営業というのは小売店のバイヤーに納得してもらい、自社製品を棚に置いてもらうことが仕事。そのため、製品開発がいつの間にかバイヤー目線になっていたという。バイヤーは当然売れると見込む商品を仕入れるのだが、消費者が望む商品とバイヤーが望む商品には差があった。

「バイヤーが気にするのはお店の棚の中での商品構成や価格のバランス。マーケティングに配属されてすぐは、営業時代の目線のままでその先にいる消費者が見えていませんでした」

長い営業生活によって染み付いた「バイヤー目線」を払拭できずに、中々ヒット商品に恵まれなかった藤野。マーケティングに向いていない、営業に戻ったほうがいいのかもしれないと考えるようになっていた。

しかし、思い悩んでいたときに鳴った1本の電話をきっかけに、転機が訪れる。

電話の主は、つけ麺店「六厘舎」の三田遼斉店主だった。2008年当時はつけ麺ブームの真っただ中。六厘舎はつけ麺の超人気店で、店の味を完全に再現したチルド麺を製品化できないか、という内容の飛び込みの電話だった。

最初は、実現は難しいと考えた。しかし、そこから生まれたのがヒットシリーズの「つけ麺の達人」だ。チルド麺は標準的な価格は3食で198円前後。一方でつけ麺の達人は2食298円に設定。1食あたりの価格は従来品の倍以上と強気の価格設定だったが、売れ行きは想定以上だった。

製品のコンセプトはあくまでも「お店の味をどこまで再現できるか」。実はチルドの麺は生麺のため、お店のものと変わりはない。製品開発の話を進める中で藤野は、徹底的にこだわればチルドの製品でもラーメン店の味に近づけることができるかもしれないと思い始める。

店の味を徹底的に再現するために、「達人」である六厘舎の三田遼斉店主をはじめとした3有名店の店主に監修を受けた。最後までお店と同じ体験をしてもらうために、割りスープを作るための小袋もつけるという徹底ぶりだった。

つけ麺の達人のヒットで、「価格以上の価値を感じてもらえれば、消費者は受け入れてくれる」ことに気がついた藤野。バイヤー目線に加え「消費者目線」を持つきっかけになった。

100年続くブランドにしたい

「消費者調査をもとにして出てきた答えで製品開発を行ってもうまくいかない。本当は、顕在化していない、潜在的な需要を探り出さなければいけないということに気がつきました」

チルド食品の営業ではつねに新しいことを提案していかなければ見向きもしてもらえないという危機感に突き動かされ、マーケティングでは消費者目線に立つことに重要性を学んだ。この経験が現在のカップヌードルマーケティングに活きている。

藤野がカップヌードルを担当してから最初にしたという変わった企画に、「カップヌードル パスタスタイル」というのがある。湯切りをして食べるカップヌードルだ。お湯を入れて3分で出来上がるラーメンというのがカップヌードルの基本のはずだが、あえてそこから外れた提案をしてみせたのだ。

「ずっと定番品を売っていれば業績はしばらく安定するでしょう。でも、それだと飽きられてブランドがどんどん衰退します。カップヌードルは、100年続くブランドにしたい」

パスタで製品化することに関して「そもそもどこまでがカップヌードルなのか」というブランドの根幹に関わる問題は社内でも議論になった。だが「麺がカップに収まっていればそれはもうカップヌードルでいいだろうと。考え方の範囲をそこまで広げていかないといけない」とあっさりと笑う。

「攻めた」広告は一歩間違えば炎上も

当然、社内だけでなく変わった企画をすれば一部に反発する消費者もいる。どこまでは許されてどこからがダメなのか。つねに葛藤はあるが、「人が不快にならないのは大前提。でも、若干のマイナスがないような企画は世間に見向きもされずに流れていってしまう」と割り切っているようだ。

今年で48歳の藤野。自身が若者に刺さる企画を考えるときは、「とにかく自分に情報を取り入れること」が大事だと言う。

「若い人たちが何を面白いと思っているのか、わからなくなってくるというのは正直怖い。意外なものが異常に受けたりする。だからはやっているものはとにかく何でもやってみて、一緒の面白さは感じられないとしても理解はしておきたい」


「一年中がエイプリルフールのよう」と話す藤野氏(写真:尾形文繁)

年に20を超える製品開発やSNSでのプロモーション、販売しているグッズなどを含めれば1年に出る企画の数は膨大になる。企画を考えることを藤野は「おもしろネタの千本ノック」と表現する。

多くの「ネタ」を出していくことで、当たる企画と外れる企画の傾向がわかってくるという。「ネタを考えるのに詰まってくることもありますが、それでも出し続けます。一年中がエイプリルフールのようですね」と話す藤野は楽しそうだ。

ブランドのプロモーションは、現在の方向性にさらに磨きをかけていきたいと語る。今後も、カップヌードルの「ネタ」から目が離せなさそうだ。