『誰がスティーヴィ・クライを造ったのか? (DALKEY ARCHIVE)』マイクル ビショップ 国書刊行会

写真拡大

 マイクル・ビショップが頭角をあらわしたのは1970年代半ば。ジョン・ヴァーリイやジョージ・R・R・マーティンなどと並び、ニューウェイヴで先鋭化したアメリカSFを、やや伝統寄りスタイルに引き戻しながらも、小説的洗練と新しい時代の感覚をほどよく盛りこんだ俊英----という印象が強い。とりわけ邦訳がある『樹海伝説』と『焔の眼』は、文化人類学の発想で異質な文化、オルタナティブな世界観を鮮やかに提示した。

 そのビショップが、こんな作品を書いていたとは。『誰がスティーヴィ・クライを造ったのか?』は、作者自身が「ホラー小説のパロディ兼風刺作品を狙って書いた」と語る異色作である。H・P・ラヴクラフトの作品を世に知らしめた版元として有名な怪奇小説専門の(SFも相当数出しているが)アーカム・ハウスから、1984年に上梓された。副題に「あるアメリカ南部の物語」とあるが、これは明らかにサザン・ゴシックという文芸潮流を意識している。因習的で閉鎖的な地域社会や家族関係、奇態で不吉なキャタクターといった要素が特徴で、いちばん有名なのはウィリアム・フォークナーの諸作だろう。

 もっとも『誰がスティーヴィ・クライを造ったのか?』のはじまりには、そんなどろりとした雰囲気はみじんもない。舞台こそ南部州ジョージアの小さな町だが、主人公のスティーヴンソン・クライ(愛称スティーヴィ)はフリーランスライターとして活躍する、現代的感覚の持ち主。彼女は数年前に夫を亡くし、筆一本ならぬタイプライター一台で、ふたりの子ども(十三歳の息子と八歳の娘)を養っている。

 このタイプライターの故障が、そもそもの発端だった。なるべく早く、そしてあまり費用をかけずに修理しようと、友人の精神科医ドクター・エルザに紹介してもらった事務用品店にタイプライターを持ちこむ。応対に出たシートン・ベネックという青年は、スティーヴィが書く記事の愛読者だという。シートンは人の目を見て話ができず、そのわりには自分が話したいことだけは饒舌に語る、どこか未成熟な人物で、スティーヴィは嫌悪感を抱く。しかし、修理の腕は確かのようだ。目の前でタイプライターを直したうえで、「ちょっとしたおまけを----あとで使えるように特別に----つけておく」という。このおまけについては代金は不要だという。スティーヴィは、嫌悪感を抱いたことが少し後ろめたく、五ドルのチップをはずむ。

 怪異はほどなく起こった。持ち帰ったタイプライターが、夜中にひとりでに文章を打ちだすのだ。白紙のままセットしておいたはずが、朝にはびっしりとアルファベットで埋まっている。その内容が、スティーヴィの亡くなった夫テッドが墓地から帰ってきて、闘病中に受けた放射線治療について語るというものだった。しかも、その場には線量測定士としえてシートン・ベネックが同席している。

 文章は途中で途切れていた。タイプ用紙がいっぱいになったため、先が打てなかったのだ。スティーヴィにこの原稿を見せられたドクター・エルザは、「病的? なにかにとり憑かれている感じ? 誇大妄想的? わからないわ」と首を傾げる。

 スティーヴィはタイプライターの挙動を気味悪く思いつつ、死んだ夫について自分の知らないなにかが明かされるのではないかと期待して----畏れながらも知りたい欲求を抑えられず----わざわざ長い用紙をつくってタイプにセットする。

 そして地獄がはじまった。
 タイプが打ちだすおぞましい情景、そしてテッドのスティーヴィへの呪詛。
 文章が打ちだされているあいだ、睡眠しているスティーヴィを苛む悪夢。
 その両者が境目なく繰りだされる。いちおう章で区切られているので、事後的にこちらはタイプの文章、こちらはスティーヴィの夢と判別がつくのだが、物語が進んでいる最中では地続きだ。ホラー映画でよくあるでしょう。ものすごいショッキングな場面で、登場人物がはっと目覚める展開。あれを文章でやっているわけだ。

 はたして、タイプライターは意志を持って文書を打ちだしているのか? そこに書かれているなかに真実はあるのか? それとも、スティーヴィを苦しめるための嘘か?
 思いつめたスティーヴィが、タイプライターで「あなたは誰?」と打つと、タイプは疾風のごとく返事を打ち返してくる。「わたしはあなたの想像の産物。ウィックラース郡の狂女、スティーヴィ・クライ。わたしはあなた」

 タイプライターは物語じみた文章を綴るだけではなく、やがてスティーヴィをめぐる出来事がタイプライターによって予言(もしくは創作)されたものへにすり替わっていく。そのなかには、おぞましいことに息子テディとの近親相姦的な関わりもあった。

 勝手に文章を打ちだし持ち主を支配するタイプライターというアイデア自体は、スティーヴン・キングを思わせる。巻末に付されたジャック・スレイ・ジュニアの解説(2014年に再刊されたおりの序文として書かれてもの)でも、ビショップがキングを強く意識していたことが明かされている。そのいっぽうで、死んだ夫の呪縛、母子の反道徳的な関係、精神異常の疑念......などの道具立ては、キング以上にサザン・ゴシックの色調が濃い。とりわけ、奇矯なシートン・ベネックの造型が印象的だ。

 彼は物語の中盤以降、たびたびスティーヴィの前に姿をあらわすようになる。チップにもらった五ドルのお礼がしたくて、あるいはタイプライターのアフターメンテナンスなどと口実をつけて、彼女の家へおしかけ、息子や娘にも取り入ってしまう。シートンがつれているペットの猿(小さなカプチン・モンキー)も邪悪な存在に思えてならない。そして、じつはシートン・ベネックがスティーヴィの人生に介入したのは偶然ではなく、スティーヴィの夫テッドの秘密に関わっている。それが徐々に明かされていくのは、サスペンス・ミステリの趣向だ。

 しかし、それすらもまた、タイプライターが打ちだしたフィクションという可能性も拭えない。先ほど「スティーヴィをめぐる出来事がタイプライターによって予言(もしくは創作)されたものへにすり替わっていく」といったが、そのすり替わりはいったいいつ起こったのか。もしかすると、この『誰がスティーヴィ・クライを造ったのか?』という小説をまるまるタイプライターが打ちだしており、スティーヴィは最初から登場人物だったのかもしれない。

 しかし、彼女は一方的に書かれるだけではなく、自らの手で書くこともできるのだ。はたして彼女はタイプライターを出し抜いて、運命を書き変えられるか? 

(牧眞司)

※この本は12月15日に杉江松恋氏も書評なさっています。その時点ですでにこちらの書評も草稿が仕上がっていました。杉江さんと牧とではアプローチが異なるので、対照してお読みいただければ、この作品の魅力がよりおわかりいただけると思います。(牧)