お酒の飲めない「酒づくりの神様」はなぜ日本酒ブームを作れたのか? 85歳で現役復帰した杜氏の生き様

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こんにちは、熱燗DJつけたろうこと、日本酒ライターのKENZOです。

最近、日本酒ライターや熱燗の活動が活発すぎて「転職したの?」と聞かれます。いえ、週5日しっかりとIT企業で働いております。(有給の取り方がうまくなりました)

さて、今回の取材では「酒づくりの神様」と呼ばれている伝説的な杜氏・農口尚彦(のぐちなおひこ)さんにお会いしてきました。(有給)

※杜氏・・・酒づくりにおける最高責任者。野球でいう監督のような存在で、杜氏によってお酒の出来が大きく変わると言われています。

実は、農口杜氏は酒造りの一線から退いていたのですが、「後世に酒造りのノウハウ」を伝えるために現役復帰をなさり、Makuakeで日本酒プロジェクトを実施なさっているのです。しかも、御年85歳!(※12月26日時点)

85歳で現役復帰を宣言しちゃう「酒づくりの神様」、日本酒好きなら誰しも一度は会ってみたい…!

というわけで、石川県の小松市に新しくできた、農口杜氏の酒造りの技術や精神を次世代に継承するために作られた「農口尚彦研究所」へ行ってきました! 

▲雪の降る寒い日でした

▲農口尚彦研究所

おお〜、かっこいい!!!

農口尚彦研究所のマークの前で写真をパシャリ。

このマークは、農口杜氏の「の」と、利き猪口(ききぢょこ)と呼ばれる日本酒の出来栄えをテイスティングするお猪口の中に描かれている「蛇の目 」(じゃのめ)のマークをモチーフにしているそう!

▲蛇の目の利き猪口

 
 

「やっと着いたね、山田氏(Retty編集者)」

「いやー、楽しみですね!」

「今回の取材、僕は若干ビビってます……」

「え? 何でですか?」

「だって、今回お会いする農口杜氏がめっちゃ怖い人なんじゃないかって怯えてる。だって、この眼力だよ?」
 

Makuakeで実施中のプロジェクト:「酒づくりの神様」農口尚彦杜氏(84)の最後の挑戦を応援しよう。 より

「たしかに目力ハンパない……」

「噂によると、酒造りへのストイックな姿勢とその厳しさから『鬼の農口』と呼ばれていたらしいよ」

「酒造りの神にして、鬼と呼ばれる男…一体どんな方なんでしょう(ゴクリ)」
 

驚きの連続!「農口尚彦研究所」に潜入!

蔵の方に案内してもらい、いざ酒蔵の中へ!!!

え・・・?
 

まって・・・? 酒蔵に来たんだよね・・・?
 

めっちゃ近未来!!!超カッコイイ・・・!!!

黒塗りのタンクもオシャレで、配管もしっかりと魅せる感じにデザインされてる。。
 
 
 
 
え・・・?

なんなんだ、ここ・・・?
 

ドドン!!!
 

日本酒を仕込むタンクの周りに大きな農口さんの写真が…!すごい眼光で見つめていらっしゃる。。

お、壁に何か書いてある!!

『酒造りに大切なのは、ものに対する愛情。ものを言わない菌ですから、まるっきり正直にならなくてはだめなんですね。誤魔化そうなんて考えたら絶対成功できない。

身を粉にしてでも、ものに合わす。麹菌に合わすんだ、酵母菌に合わすんだ自分を。そういう気分にならないと良い酒はできない。自分の都合を押し付けとるようじゃ絶対酒はこっちを向いてくれない。』
 

うおおお、、、これが農口杜氏の酒造りの精神なのか。。
 

あ、こっちにも!

『酒造りなんてものは「わかった」と思った時分はわからないんです。だから、わからんものとして始まらなかったら絶対につかみ取れない。』

 

蔵人のみなさんはこの中で作業されるのか…背筋伸びそう(笑)
 
 
 
 

うわぁ、ここはなんだ!?!? 

なんでもこのテイスティングルームは「杜庵(とあん)」といい、国内外からいらっしゃる様々なお客様を農口尚彦研究所のお酒でもてなすための場所なんだとか。

この杜庵のコンセプトは、「茶室」ならぬ「酒室」。洗練された優美な空間で、窓から外を眺めると美しい山々の景色が広がっている。
 

なんだこの研究所は!!見学して10分で、完全に心を掴まれてしまった…!!

(※通常、予約をするとギャラリーとテイスティングルームのみ見学いただけます)

鬼気迫る"酒づくりの神様"の作業風景

あ! 向こうで洗米やってる!

ああああああっ・・・!!!

農口さんだ・・・!!!

ストップウォッチを手に持ち、

お米の状態を若い蔵人に丁寧に教えてるのか。
 
 

「山田氏、僕にははっきり見えるんだけど・・・」
 
 

「何が見えるんですか?」
 
 

オーラ・・・
 

 
 

「このあと麹室(こうじむろ)で作業をするところも見ていかれますか?」

「えええっ!?いいんですか!?」

「一般の方の見学は難しいのですが、今回は特別に」

「ありがとうございます!ぜひ!」

「ここが麹室です」

「あ・・・! 作業が始まる!」
 
 
 

農口杜氏の背中!!! 85歳の背中には見えない!!!
 

こっちまで緊張感が伝わってくる…!(変な汗が…)

「やばい・・・」

「神様をこんな間近で・・・」

「なにこの夢のような感じ」

「この後に農口さんとのインタビュー時間を設けているので、その時にいろいろ聞いてみてくださいね」

「はひ・・・!」
 
 
 
 

杜氏室にて。

「山田氏、もうドキドキしすぎて頭がおかしくなりそうだ」

「KENZOさん、すいません、僕もです」

「ちゃんとしゃべれるかな…」
 
 
 
 

(ガチャ)
 
 
 
 

の、農口さんだ・・・!!!!!!(※この時、緊張がMAX)



「本日はお時間をいただき、ありがとうございます」

「いえいえいえ。雪、すごくなってきたねぇ〜」

「ゆ、雪!? は、はい!!! すごい降ってきました!!!」

「山のほうは雪で真っ白だねぇ〜ははは(笑)」

「(え、あれ!?なんか優しい雰囲気!?)今回のインタビューでは、農口さんの杜氏としてのこれまでをみなさんに伝えられたらなと思っています。なので、今日は農口さんの人生を根掘り葉掘り聞かせていただければと思ってます」

「はいはいはい(ニコニコ)」

「(酒造りのときの表情と全然違う…!(笑)」

16歳で酒造りの道へ。そして訪れた最初の挫折

「農口さんが酒造りの道に進んだきっかけから伺ってもよろしいでしょうか?」

「家がここ石川県で代々酒造りをしている家系でね。祖父も父も杜氏をやっていて、祖父は酒造りの名人と言われていました」

「では、ずっとご実家で酒造りの手伝いをなさっていたんですか?」

「16歳のとき、家と付き合いのあった杜氏の中で一番厳しい人がいるという理由で、静岡の酒蔵に修行へ行きました。その後は、父が杜氏を務めていた三重県の酒蔵でも修行をしましたね」

 

日本酒造りは、昔から春〜秋まで米を栽培していた農家が冬の出稼ぎ業として行ってきたとされ、その責任者たる杜氏が若い衆を連れて、各地方の酒蔵に出稼ぎへ行っていたのだとか。

農口杜氏の話によると、地元石川から三重の酒蔵まで行く際は、七日七晩かけて歩き、山越えの時などは、追い剝ぎが出るのでボディーガードまで雇ったそう。すごい時代…!

 

「修行を積んで、27歳で石川に戻り、菊姫という酒蔵ではじめて杜氏になりました。当時は結構勉強していたんで、過剰なくらい自信がありました。ところが1年目にね…」

「1年目に?」

「自分としては良い酒ができたと思ったんだけどね、これが『味が薄い』と酷評されてね。がっくりしましたね」

「はじめての酒は世間からは評価されなかった。自分で飲んだときは、おいしいなと思っていたんですか?」

「ええ、そうです。今の時代なら舌にあったと思いますよ。でも当時はね、僕の地域で酒を飲むのは、朝から晩まで1日中、山仕事をしているような方々だった」

「ほお、山仕事を」

「そう。弁当を持って山に入っていって、山から降りてくる頃には働いてお腹はペコペコなわけです。そのまま家には帰らず、町の飲み屋で自分の家がわからなくなるまで飲む。そういう飲み方をする人から、ワシが造った綺麗なお酒は『水臭い(味が薄い)』と言われるわけです」

「それはガッカリしますね…」

「でも、それが飲んでくれる人の声だったから。そのとき初めて自分の思いだけで酒を造ったらダメなんだということがわかったんです。地域のお客さんの口に合ったものを造らないとって」

「なるほど」

「それからは、とにかく誰かが飲んでいるところへ行っては『このお酒の味、どうですか?』と感想を聞くようになりました。酒を飲む人の声を聞いて、その声に合わせて酒を造るようになりました。ワシは一滴も酒は飲めないんでね

「!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?」

「えっっっ!?!? 農口さん、お酒飲めないんですか?!?!」

「ほんの一滴でも飲むと顔が真っ赤になっちゃう(笑)」

「えぇ〜! 知らなかった!(笑)」

「だから自分ではわからないんですよね、そういう飲みたい人の気持ちというのは(笑)」

戦後失われつつあった「山廃づくり」を復活。山廃ブームの火付け役に

「味が薄いと町の方から言われて、どうなさったんですか?」

「それで、『山廃(やまはい)』を造ろうと決意しました。当時、世の中の流れは「速醸酛(そくじょうもと)づくり」になっていて、昔ながらの日本酒の造り方「山廃酛(やまはいもと)づくり」を知ってる杜氏は日本に数少ないという状況でした」

 

当時は日本酒業界が大きく変わろうとしていた時代で、日本酒はどんどん売れるようになっていた。そのため量産が求められ、造りの時間を短縮できる「速醸酛(そくじょうもと)づくり」が主流になっていたという。

昔ながらの日本酒の造り方「生酛(きもと)づくり」に対して、近代的な日本酒の造り方である「速醸酛(そくじょうもと)づくり」。1ヶ月近くかかっていた生酛での酒母づくりが、科学の進歩によって速醸酛では2週間ほどでできるようになった。

速醸酛ではなく、山廃酛(やまはいもと)というどちらかというと生酛づくりに近い手間のかかる酒造りにシフトさせることは、完全に時代に逆行していた。

「時代は速醸酛づくりになっているのに、山廃に方向転換する不安はなかったんですか?」

「いやいや、市場はいつでも変わっているからね。吟醸がいいとなったら吟醸になるし、焼酎がいいとなったら焼酎にもなるし。ただね、やっぱり日本酒らしい日本酒という部分は必要だと思います」

「日本酒らしい日本酒というものは、農口杜氏の言葉にするとどういうものなんですか?」

「日本酒の原料はコメなんですよ。ワシはコメの旨味を生かして造るのが日本酒じゃないかな、と思っています」
 

その後、農口さんはお知り合いのツテをたどり、当時日本で数少ない山廃酛づくりをなさっていた京都の酒蔵の真継(まつぎ)さんという方に教わりに行ったそうです。今でこそ、いろいろな蔵で山廃が造られていますが、この時に農口さんが真継さんに教わりに行かなかったら、山廃酛の技術は無くなっていたかもしれません。

真継さんは時代がどんどん速醸に移っていく中で、山廃が無くなっていくのを悲しんでいたそうです。だからこそ、農口さんが教わりに行ったときには包み隠さず全てを教えてくれたのだとか。その後、農口さんは3年間通い続け、山廃の技術を習得し、農口さんの造った日本酒がきっかけで「山廃ブーム」が起きることに。

「山廃づくりがなくなるギリギリのところで、真継さんに教えてもらえたんですね」

「そうなんですよ。だから、ワシは真継さんにだけは足を向けて寝られないんです(笑)。今年、真継さんのお墓参りにいったんです」

「どんなことをお墓でお話されたんですか?」

「あなたのおかげでお客さんが喜んでくれるお酒を造れるようになりました、と。いま世の中で山廃が出回っているのも、ワシがここまでやってこれたのも、真継さんのおかげですって」

本物の吟醸を求める葛藤の10年、そして・・・

農口さんは山廃の技術を習得後、農口さんが造るお酒「菊姫」は北陸を中心にその名前が知られていくことになります。順調に蔵も大きくなる中で、30代になった農口さんには新たな葛藤が生まれたそう。

「いまお話している農口さんが『鬼の農口』と呼ばれていたなんて想像もつきません…」

「いや、当時は厳しかったですね。蔵はどんどん大きくなっていくけど、お酒の品質は絶対に下げられないでしょう。だからちょっとでも何かあると、これはダメだろ、と現場で怒鳴りつけるんですよ」

「酒造りに妥協はしないと」

「そうだね。ワシがあんまりにも怖いもんだから、特に若い人はついてこれなかったんだろうね。蔵に新しくきた10人が、入って10日でみんな帰っちゃったこともありました」

「10人が10人、全員?」

「そう」

「……そんな時代が。その時はおいくつなんですか?」

「30代から40代の頃。10年くらいは彷徨ったんですよ」

「どういう部分がうまくいかなかったんですか?」

「香りと味の調和を求めていたんですけれど、本当に難しくてね」

「頭の中では理想はあったんですか?」

「そうね、やっぱり"本物"の酒造り」
 

当時は日本酒に香りを添加することが認められていた。しかし、農口さんはその動きには乗らず真摯に酒造りと向き合っていたという。

ずっと"本物"を造りたかった。ずるはしない、ずるはしたらダメ

葛藤の10年を経て、遂に農口さんは納得のいく「吟醸酒」をつくりあげ、市場では「吟醸酒ブーム」が起こります。今でこそ一般の方でも耳馴染みのある「吟醸」という言葉。そのきっかけを作ったのは、実は農口杜氏だったのです。

※続編は近日公開予定!
 

編集後記

普段はニコニコと優しい表情の農口さん。ただ、酒造りに向き合う表情はまるで別人でした。

世の中が利益重視の造りをしていた時代には手間のかかる「山廃づくり」を、みんなが香りを添加する時代には本物の「吟醸酒」を造る。

農口さんは言います「市場のニーズを把握しない杜氏は杜氏じゃない」と。

もちろん、農口さんの市場のニーズを把握する力はすごいです。だだ、その根底にあるのは、純粋なまでに「本物の日本酒をつくりたい」という理想を追い求める信念なのではないでしょうか?

そのうえで市場のニーズが必要だと気づき、「理想 ✕ 市場ニーズ = ブーム」が結果として作られたのだと。

「酒づくりの神様」は、お酒が飲めなかったからこそ市場のニーズを何よりも大切にし、それゆえ農口さんの造るお酒は飲み手に愛されるお酒であり続けるんだと実感しました。

今回、若輩者の僕がこの文章を締めてしまうのはあまりにも恐れ多いので、農口さんの言葉で締めさせていただきます。きっとこれは「酒造り」を「仕事」、「菌」を「相手」に置き換ると、全ての方に響く金言になるのではないでしょうか。

『酒造りに大切なのは、ものに対する愛情。ものを言わない菌ですから、まるっきり正直にならなくてはダメなんですね。誤魔化そうなんて考えたら絶対成功できない。

身を粉にしてでも、ものに合わす。麹菌に合わすんだ、酵母菌に合わすんだ自分を。そういう気分にならないと良い酒はできない。自分の都合を押し付けとるようじゃ絶対酒はこっちを向いてくれない。』

 
 

後編では農口さんの常きげん時代のお話、今回の農口尚彦研究所の設立にいたる想いをお伝えしたいと思います!

それでは!