京都出張の際に、ふらりと寄りたい立ち飲み居酒屋

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美味しい店がひしめく京都。つい、あそこもここもと有名店ばかりを食べ歩きたくなってしまう。そんな街で著者が時々立ち寄るという大衆居酒屋があるという。心地よいひとり飲みができるというその店の引力とはどこにあるのだろう。

食を制す者、ビジネスを制す


仕事帰りの京都、立ち飲みで1人、ときどき思うこと。


 

サントリーの山崎蒸溜所で工場長から聞いたこと

JR山崎駅に着くと、田舎然とした駅前には目立った案内板もなく、ここに「日本のウィスキーの故郷」と言われる蒸溜所があるとは到底思えない。

冬の昼下がり、黒い屋根瓦の多い古い住宅街の道を10分ほど歩いていくと、あの有名な蒸溜所がいきなり姿を現す。京都の南西に位置する天王山の麓、生い茂る竹林を背景にして、入口からブラウンで統一された外壁を眺めていると、その傍らをボルボ社製の大型輸送トラックがゆっくりと通り過ぎていく。自動車や電子部品を生産する工場とはまったく異なり、どことなくモダンでハイカラな印象を受ける。

かつてサントリーの山崎蒸溜所に取材に行ったことがある。ウィスキーは言うまでもなく10年単位で作られる商品である。ジャストインタイム方式で効率性を求めるというよりは、息長くゆっくりと、人を育てるように長期的に取り組むことでしか、良い商品は生まれない。取材の際、工場長から聞いた言葉は今でも印象に残っている。

「世の中で樽みたいな変な形をした重量物をコロコロ動かす機会なんて運動会か蒸溜所くらいしかありません。会社はなかなか普通では味わえないことを経験する場所です。ウィスキーも人も厳しくてもコツコツ地道に作り続けること。それを続けないと人は育たないし、良い仕事もできません」

自分のスピードでしか成長できない

時代は今、スピードを求めている。早いものが勝つことは確かだが、人はそう簡単に育つものではない。東大助教授を40代で辞任し、パリで日本語を教えながら暮らしたフランス文学者の森有正は自身のエッセーの中で、次のように記している。

「火を極度に弱くして、自分の中の発酵を十二分に続け、自ずからな沈殿と結晶を待たなければならない。それがどういう価値があるのかを知ろうとも思わない。僕の生命が一つで、それ以外になければ、それでこれが経験というものならば、仕方ないではないか。僕はそれに徹することにした。何か生甲斐があることがあるとすれば、僕にとってはこれが唯一の生甲斐のあることである」

皆が同じような速度で成長できるわけではないし、優秀なビジネスパーソンでさえも一朝一夕につくられるものではない。各人がそれぞれのスピードで固有の経験を繰り返し、その一つひとつを自分のものにすることでしか成長できない。だからこそ、個人によって成長の早い遅いはある。しかも、例えば会社という世界では興味深いことに、成長が早い人が中高年になって突如伸び悩んだり、成長が遅い人が突然変化し出世を遂げるときがある。社長候補だった、ある大企業の役員からこう聞いたことがある。

「俺は自分が社長レースに乗っていて、ライバルはずっと自分が意識して競ってきたヤツだと思ってきた。ところが、実際に社長になったのは、自分がライバルとぜんぜん思ってなかったヤツだった。鈍牛のようなヤツだが、レースの後半から急速に走り込んできてゴールしたんだ」

京都・河原町「たつみ」で1人で立ち飲み

京都に出張やプライベートで行くと、ときどき寄る店がある。サントリーの山崎蒸溜所の取材の帰りに寄ったのが初めだ。河原町にある大衆居酒屋の「たつみ」は昼から酒を飲むことができる立ち飲みの名店である。テーブル席もあるが、やはり立ち飲みで飲むのがここの定番スタイル。メニューは安く、どれもうまい。

出典:Mハルさん

昼間から、こちらの名物であるハイリキレモン(酎ハイ)か、ハイボールを飲みながら、つまみを食べていると仕事で疲れた精神が安らいでくる。したたかに飲んで、お会計は2000円程度。ここには1人で行くことが多い。とくに平日の午後4時くらいに店に寄ると、カウンターには、60代以上の京都のうるさ型のオジサマたちが、たくさん立ち並んで飲んでいる。それぞれが1人で来ている。そして、その1人ひとりが、それぞれの世界の中で、1人でお酒を楽しんでいる。

出典:y_recさん

こうした雰囲気の中で、酒を飲んでいるとなぜか自分も大人になったような気分になる。酸いも甘いも知った歴戦の勇者たちが骨休めをしている中で、自分もその仲間入りをしたような錯覚を覚えるのだ。

それでいて、ときに仕事仲間2人で店によって会話をしていると、しかめっ面の隣のオジサマが話したそうに、目だけをこちらに向けてくる。こちらも応対してもいいのだが、なんとなくきっかけがつかめない。結局、どちらもあきらめて、また飲み始める。その間合いと緊張感がなんとなく心地よい。

オジサマたちは、どんな仕事をしてきたのだろうか。ときどき、そう思うことがある。私も60代になったとき、どんな人間になっているのだろう。たぶん成長していないだろうなあ。そんなことを思いながら、ときどき京都で、1人で飲んでいる。適度に賑やかで1人で飲んでも退屈しない。

出典:y_recさん