72歳とは思えない活力が漲る。今年も選手権の檜舞台で、名将が采配を振るう。(C)SOCCER DIGEST

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 130人強の部員たちがフルコート一面に広がり、一斉にボールを蹴り出すのだ。なんとも壮観な光景で、こちらが到着すると、これまたボウズ頭の全員が直立不動で挨拶をしてくれる。途轍もない既視感。フラッシュバックのように蘇ったのは20年前の記憶で、国見高校で見た眺めとほぼ同じだった。
 
 やがてその人波をかき分けるように、“先生”が登場。場が、ピリっとする。「おお、来たかね。全校生徒の3分の1がサッカー部員なんだ。こんだけたくさんおるけど、スタッフが少ないからね。身体がもたんよ」と自嘲気味に笑う。長崎総合科学大学附属高校サッカー部を率いる、小嶺忠敏監督。72歳になられた。
 
 言わずと知れた高校サッカー界の巨匠だ。島原商、国見を全国屈指の強豪校に鍛え上げ、インターハイ優勝6回、全日本ユース(現・高円宮杯プレミアリーグ)優勝2回、高校選手権6回と、合計14回の全国制覇は戦後最多の大記録である。2007年からは長崎総科大附に籍を置き、大学チームなどを統括的に指導する総監督の立場だったが、昨年春、高校サッカー部の監督に就任した。グラウンドに、現場に、名伯楽が舞い戻ったのである。
 
 情熱家を突き動かしたのは、教え子たちへの愛と長崎高校サッカー界への危機感だった。
 
「本当は僕なんてもう必要ないんだろうけど、居ても立ってもいられなくてね。このままでは長崎の高校サッカーはずっと全国で戦えないレベルのままだという危機感があったし、この子たちをしっかり鍛えなおしたいという想いもありました。風紀の乱れというか、普段の生活に目に余るところがあってね。この歳になって、一緒に寮生活をするようになりましたよ。1年のつもりで復帰したけど、2年目になった。やはりここ(グラウンド)が楽しいというのはあるよね」
 
 最初に気づいたのは、生徒たちの服装の乱れだった。そこから突き詰めていくと、やはりさまざまな面での緩みが散見したという。ぐいぐいとチームの中に入り込んでいく名将。3年生で主将の田中純平は、あっという間に空気が変わったと振り返る。
 
「総監督から監督になってからは、関わり方がガラっと変わったというか、距離が近くなったのと同時にすごい緊張感が生まれました。僕たちとは孫くらい歳が離れてるんですけど、いつも監督からコミュニケーションを取ってくれる。冗談とかも交えながらです。だから僕たちも理解しようと努力する。いいチームになったなって本当にそう思いますから。個人ではなく組織で戦うことの大切さを、ピッチの中でも外でも徹底して教え込まれてます」


 U-20日本代表の安藤瑞季とともに攻撃の中軸を担う、荒木駿太も「僕はメンタル面でムラッ気があったんですけど、先生に上手くコントロールしてもらって、結果を残せるようになった。感謝しかないです」と爽やかな笑顔を見せる。
 
 対話した3年生たちは、話していて本当に活き活きしていて、気持ちのいい連中ばかりだ。1年生の頃は鼻っ柱が強くて生意気だった選手が、3年生になり、選手権も間近になる時期にはすっかり大人になり、受け答えに奥行きさえ出てくる。国見の選手たちから受けた印象とまったく同じである。同じ人物が指導しているのだから、それも当然か。
 
 それでも小嶺監督は、試行錯誤を続けてきたと、胸の内を明かす。
 
「若い頃は身体も動いたしイケイケで、それこそ選手たちに体当たりで接していたけど、そこは自分の経験もあるし、時代に合わせていかないといかん。ずっと長い間、妥協をせずに徹底してチャレンジしてやってきたから、その積み重ねがいまに活きてる。経験が助けてくれてますよ。選手たちの扱い方、ポジションをどう決めて、試合のコンディションをどう持っていくのかなど、いまの時代に応じてやってます。昔はコンディションもなにもなかったからね。子どもたちはモノの豊かな時代で甘えて育ってきているから、いっぺんにやったら壊れてしまう。3年間で、ある程度強い人間を作る。人間教育だけはピシっとやる。だいたいは3年間で修正できますよ。サッカーをする、社会に出ていける人格を形成させる。きちっとできる。そこは変わらず大事にしてます」
 
 2時間の練習で、怒鳴りつける場面には一度も遭遇しなかった。むしろジェスチャーやギャグで笑いを取るなど、アメを多めに使っているように感じた。このあたりのサジ加減が絶妙なのだろう。「若い指導者が僕のようにやっても失敗するよ。長い経験があってのことだから。要領のいい子はたくさんいるから、経験がないと騙されてしまうんだ」と呟く。
 いまや長崎総科大附は県内随一の存在で、夏のインターハイではベスト8に進出。惜しくも準決勝進出は果たせなかったが、優勝した流経大柏と堂々渡り合い、攻守両面で接戦を繰り広げた。夏で得た自信を選手権本番に向けて確信へと変え、チームの総合力をグッと高めていくのが小嶺流。だが現代においては、少なからず難しさを感じているという。
 
「重点的に弱い部分を鍛えるのが難しくなったね。いまは次から次に公式戦がある。プリンスリーグ(九州)があるからね。毎週毎週、真剣勝負の場があるのは本当に素晴らしいし、それによって鍛えられる部分ももちろんありますよ。落ちたら終わり、という危機感を持ってやれるのはね。ただ、練習試合をやる間がないから、いろんなテストができなくなってしまった。例えば徳永悠平はもともとセンターフォワードだったけど、センターバックやらせて、サイドもボランチもやらせて、最後は全部できるようになった。大久保(嘉人)もそう。だからひとりの選手の適性を見極められたし、誰かが怪我しても誰かが変わりを務められた。ここがいまは難しい。夏も大会後にフェスティバルを回るんだけど、怪我人の代わりになる選手はテストできても、ポジションのテストまではできない。チームとして夏以降のひと伸びがね。去年も今年も、思い描いたほどではないかな」
 
 とはいえ、プリンスリーグ九州では優勝を飾り、念願のプレミアリーグ昇格は参入戦で敗れて果たせなかったものの、チーム状態はすこぶるいい。田中主将は「選手権は優勝しか考えてないです。インターハイはベスト8まで行きましたが、それでは記録にも残らない。僕らのいちばんの武器はミズキ(安藤)ですが、彼に頼るだけじゃないチームになってきた。自信はあります」と意気上がる。
 
 ここで気になるのが、その安藤の進路だ。プロ行きを望む選手本人と、大学進学を薦める小嶺監督の間で、何度も何度も話し合いの場が設けられた。夏以降、さまざまなJクラブの練習に参加してきたが、はたしてどうなるのか。訊きにくい質問を、あえてぶつけてみた。
 
<後編に続く>
 
取材・文●川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)