演技終了後、力強くガッツポーズする宮原(撮影・高部洋祐)

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 「フィギュアスケート・全日本選手権」(23日、武蔵野の森総合スポーツプラザ)

 五輪代表2枠を争う女子は、ショートプログラム(SP)2位の宮原知子(19)=関大=がフリーで逆転し、合計220・39点で4連覇し、日本スケート連盟の選考基準を満たして初の五輪代表に決まった。SP首位の坂本花織(17)=シスメックス=は合計213・51点で2位。樋口新葉(16)=東京・日本橋女学館高=は206・96点で4位だった。日本スケート連盟は24日の全種目終了後に代表を発表する。

 思い描き続けてきた五輪の切符を、ついにつかんだ。大きなミスなく演技を終えた宮原が、浅田以来の4連覇で代表内定。演技を終えると両手を突き上げ、右手でそっと涙をぬぐった。「今までで一番うれしい優勝。ガッツポーズするしかないと思った」。二人三脚で歩んできた浜田コーチと抱き合い、二人で号泣した。

 苦悩の道のりだった。昨年12月に痛めた左股関節の疲労骨折で昨季後半戦は全て欠場。リンクに戻るには十分な栄養を取って戦う体を取り戻すことが必要だった。しかし、軽いことが良しとされる雰囲気のあるフィギュア界。“食べない意識”が潜在的についていた。机の上にお菓子があっても手をつけない。必要とされた食事でさえ、なかなか手に取れなかった。

 女性としての健康とスケーターとしての体とのバランスは難しい。栄養チームと浜田コーチは覚悟を決めた。「もともと五輪はチャレンジ。もし失敗に終わったとしても、彼女のために健康な体だけは残したい」。体重を増やすことを優先した。学業をおざなりにしなかったが故に睡眠時間は毎日5時間ほどだったが、大学を休学して体作りに専念した。

 復帰を目指すトレーニングは歩き方から。接地の瞬間に臀部(でんぶ)の筋肉を意識することから始め、3カ月間も地道に続けた。氷に乗った最初の日はスケーティングだけで筋肉痛。一歩一歩焦らず前進してきた。

 しかし回復は思わしくなく、浜田コーチから「スケート辞める?」と問いかけられた。「焦らず5年後を目指そう」。そう諭されたのは、わずか2カ月前のことだ。「自分の中では平昌を諦めきれなかった」。驚異的な回復で返り咲き、栄冠をつかんだ。

 「五輪は目標にしていた舞台だけど、想像もつかない」。“ミス・パーフェクト”も、ここから先は未踏の地。宮原にしか歩めなかったこの道を誇りに、五輪の舞台に立つ。