昌平・大森国男総監督【写真:編集部】

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全国高校女子駅伝、就任7年目で初出場…代表選手ら育てた昌平・大森国男総監督

 インターハイは初出場した1984年の秋田大会から、97年の京都大会まで14年間で36個の金メダルを獲得し、学校対抗争いでも12連覇の金字塔を打ち立てた。ロードに出ても強く、全国高校女子駅伝で95年から3連覇を達成。96年の第8回大会でマークした1時間6分26秒の大会記録は今でも破られていない。

 現在73歳の大森国男氏が、公立の浦和常盤中を退職し、埼玉栄高に移って女子陸上部を発足させたのが84年で、創部とともに一気に全国有数の強豪へ栄達させた。その名将が埼玉・昌平高にやって来たのが2010年で、翌年に女子陸上部を立ち上げた。総監督として強化に乗り出して7年目の今季、悲願の県予選優勝を果たし、第29回全国高校女子駅伝に初出場することになった。

 大森氏は埼玉栄退職後の98年3月から、実業団の名門・京セラ陸上部の総監督に就任し、女子800メートル日本記録保持者の杉森美保をはじめ、女子マラソン世界選手権代表の原裕美子らを育てた。

 陸上部を創設する1年前は選手集めに奔走。埼玉の有力中学生の多くは、埼玉栄高や県外の強豪校に進む傾向が顕著な近年、才能豊かな好人材を勧誘するのは難しかったそうで「苦労しましたよ」と述懐する。それでも創部1年目にして全国高校駅伝県予選で2位に入り、昨年までの6年間で5度の2位入賞と短期間で成果を出す手腕はさすがだ。

 2年目の12年には、女子1500メートルで4分19秒83の中学日本歴代2位の記録を持つ中川文華が、埼玉・朝霞三中から入部。同時に中学校の陸上指導者で著名な浅賀一恵監督が、公務員を退職して朝霞三中から“移籍”し、大森総監督を支える参謀役となった。

 浅賀監督は三芳町立藤久保をはじめ、埼玉県西部地区の複数の公立中学で指導し、熊田恭子や徳田由美子、森本明子ら数々の名選手を輩出。埼玉栄に送り込んだ多くの選手が、インターハイ女王になった。タッグを組んでもう30年以上になるが、大森総監督が「今度は高校で指導してほしかった」と言えば、浅賀監督は「若い頃からいろいろ教えていただき、長距離も学んだ。また一緒に仕事ができたらと思い決断しました」と再会に喜びをかみ締める。

チャレンジ、チャンス、チェンジ…選手の意識を変えた「3チャ運動」

 駅伝では毎回、埼玉栄の後塵を拝してきたが、今季はシーズン当初から手応えを感じていた。大森総監督は「埼玉栄とは4月の段階で1、2歩の差だったので追い付ける自信はあった。8月は半月以上も菅平で練習した。日帰りでですよ。それと今季のスローガン『3チャ運動』も大きかった」と説明する。

 チャレンジ、チャンス、チェンジの英語表記の最初の3つを取って「3Cha」。もっと果敢に挑戦しよう、なぜ好機をものにできなかったか、今日の練習に変化はあったか――といった3項目に取り組んだ。

 2位の埼玉栄に7秒差の大接戦、1時間10分54秒で全国高校駅伝県予選を初制覇した。1区の中根瑞稀は、3000メートルの持ちタイムで埼玉栄のエース高野みなみと20秒もの差があったが、4秒差でたすきをつないで流れをつくった。3〜5区で区間賞の力走。4区で首位に立つと、2秒リードで受け継いだアンカー上村栄奈も区間賞の走りで歓喜のゴールを切った。

 中学まで中根はソフトボールで、上村はバレーボールだったが、名伯楽の指導で才能が開花。大森総監督は埼玉栄時代から、データ重視の独自の指導法に定評があった。「数か月後にタイムを伸ばす方法を考え、練習を全てデータ化し、選手に沿ったプログラムを作成した」と言う。

 主将の金森遥は「大森先生と浅賀先生がいるので昌平を選んだ。タイムだけを追求するチームが多い中、大森先生は基本動作を細かく指導してくれ、生活面で教えていただけることも多い」とハキハキ答えた。

 初の晴れ舞台は24日、都大路で号砲だ。予選タイムは出場校中19番目だが、浅賀監督は「まずは15位以内を目指したい」と目標を設定し、大森総監督も「1区の出来がカギを握る」と展望した。(河野正 / Tadashi Kawano)