番組『陸王』の公式サイトより。最終回は、クリスマスイブの12月24日、夜9時〜。25分拡大放送だ。

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まもなく最終回を迎える人気ドラマ『陸王』。物語の中心は、裸足感覚で走れるという足袋型の薄底シューズだ。だが、今年、ナイキから新素材をつかった厚底シューズが登場し、それを履いた選手が国内外の大会で上位を独占しているという。なぜ一流ランナーは薄底から厚底に乗り換えはじめたのか。元箱根駅伝ランナーのスポーツライター・酒井政人氏が解説する――。

■陸上界のシューズトレンドは「陸王」とは真逆だった

人気ドラマ『陸王』(TBS系列)が12月24日に最終回を迎える。

老舗足袋製造会社「こはぜ屋」は業績が低迷したことで、社長(役所広司)を中心に足袋づくりのノウハウを生かしたランニングシューズの開発をスタート。その新シューズ「陸王」を履いて、故障に苦しんでいた茂木裕人(竹内涼真)が、再起を目指すという内容だ。

吹けば飛ぶような中小企業と“無名”のランナーが、大企業や有名選手に対抗していく人間ドラマは毎回高視聴率をたたき出している。

ただ、「箱根駅伝」を走った経験のある筆者から見ると、「これはちょっと違うな」というシーンがちょくちょくある。最も気になるのは、「シューズ」についてだ。ドラマのなかでは“裸足感覚”で走ることができるという足袋型の薄底シューズが登場するが、現在の陸上界では、「陸王」とは真逆ともいえる厚底シューズがトレンドになっているからだ。

▼「陸王」のような足袋型や裸足感覚のシューズも人気だが……

2009年に全米で『BORN TO RUN』(日本語版はNHK出版)という本がベストセラーになって以降、各メーカーは「ベアフット(裸足)感覚」のシューズを開発するようになった。そのひとつが「ゼロドロップシューズ」と呼ばれるものだ。踵と爪先の高低差がないソールを採用したシューズで、ニューバランスやALTRAなどのメーカーが代表格。国内ではミズノも似たようなコンセプトのシューズを出している。

ちなみに劇中に登場する足袋型シューズはミズノが製造を担当しているが、原作のモデルだと言われるランニング足袋の製造元は「きねや足袋」だ。同社は「きねや無敵(MUTEKI)」という商品を販売している。ドラマの影響もあったのだろう。現在は品薄状態が続いているという。

■メジャーマラソン大会の上位選手はみなナイキの厚底

池井戸潤が原作となる小説『陸王』を発表したのは2013年7月だ。当時はソールが薄く、フラットなシューズは最先端のかたちだった。だが、現在、陸上界のトップランナーが足袋型シューズを履いているかというと、答えは「NO」だ。それどころか、最近の陸上界では、ナイキの“厚底シューズ”を履く選手が急増している。

その厚底シューズが今年7月20日に発売された「ナイキ ズーム ヴェイパーフライ4%」というモデルだ。今年4月のボストンマラソンでは1〜3位の選手全員が使用していた。また今年12月の福岡国際マラソンでも、やはり1〜4位の選手全員が履いていた。両レースでともに3位に食い込んだ大迫傑(ナイキ・オレゴンプロジェクト)は、その感想をこう語っている。

「見た目のソールは厚いですけど、初めて手にしたときは、『とても軽いな』というのが第一印象でした。実際に履いてみると、クッション性が高く、今までのシューズよりも反発がスムーズだったんです。トラックでスパイクを履いているような感覚がありました。しっかりスピードに乗れるだけでなく、一歩一歩の衝撃が少ないので、マラソンでも後半に脚を残すことができたと思います」

▼ナイキ「ズーム ヴェイパーフライ4%」の何がすごいのか

5000mで日本記録を保持するなど大迫はもともとスピードに定評のある選手だったが、その反面、20km以上のレースでは後半に失速するケースが少なくなかった。しかし、「ズーム ヴェイパーフライ4%」を履いて臨んだボストンと福岡国際では、30km以降に持ち味のスピードを発揮。福岡国際では現役日本人最高の2時間7分19秒で走破するなど、マラソンランナーとしての才能を見せつけている。

では、「ズーム ヴェイパーフライ4%」のどこがすごいのか?

ナイキによると、同社のマラソン用スピードシューズである「ストリーク6」との比較試験に基づき、ランニング効率を平均4%高めることを目標として開発されたシューズだという。最大の特徴はソールが厚いこと。ソール全体にカーボンファイバー(炭素繊維)のプレートが埋め込まれており、それがバネのような役割を担っているのだ。

ドラマ『陸王』でも特許を取得した特殊素材をソールに使用する話が出てくるが、ナイキが採用しているカーボンファイバーは、「エア」にかわる新素材といっていいだろう。今年10月の出雲駅伝(出雲全日本大学選抜駅伝競走)を制した東海大の主力選手も、ナイキの新シューズを履いていた。

■高性能シューズを履けば市民ランナーも速く走れるのか?

さらにドラマでは再起を期す茂木の走り方に合わせて、ソールの硬さを調整するシーンもあるが、ナイキは基本的に選手に合わせた調整はしない。大迫はナイキの契約選手だが、使用しているシューズはすべて既製品だ。足型もとっていないという。一方、国産メーカーであるミズノとアシックスは、契約しているトップ選手の足型を採取して、選手のリクエストに応えるために“別注シューズ”を製作することもある。

正月恒例の箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)で活躍が見込まれるくらいのレベルになると、スポーツメーカーから「シューズ契約」の話が舞い込んでくる。大半の選手は物品提供だけだが、日本トップクラスになると金銭的なサポートもある。また高校生で個人契約しているケースは少ないが、強豪校の陸上部はチームで契約しており、そのなかで別注カラーのシューズを履いているというパターンは多い。強豪チームとの契約は、メディア露出はもちろん、大会などでも目立つために販売促進につながるという考えだ。

▼ナイキの厚底を履き「フォアフット走法」で3位に

「ズーム ヴェイパーフライ4%」の話に戻すと、既製品であるためにナイキ契約選手でも全員にフィットするものではない。選手によって感覚は違うからだ。たとえば、大迫は同シューズを「ハーフマラソン向き」と話している。設楽悠太(Honda)は、同じシューズを履いてハーフマラソンで日本記録(1時間0分17秒)を樹立しただけでなく、トラックの1万mでも今季日本最高の27分41秒97をマークしている。

ドラマでは茂木が走法を変えて、それにマッチした足袋型シューズを履くことで、見事に復活する。それが「ミッドフット」という足裏全体で着地をする走り方だ。日本人は踵部分から着地する「ヒールストライク」という走り方が大半を占めるが、大迫は爪先部分で着地する「フォアフット」と呼ばれるスタイルで走っている。

福岡国際を走ったシューズの裏を見せてもらったが、爪先部分と比べて、踵部分の汚れが少なかった。ただし、大迫の場合は意図的にフォアフットで走っているわけではなく、中学時代から基本的な走り方は変わっていないという。その一方で、トラックからマラソンに距離を伸ばすときに、ミッドフット気味の走りから踵着地を意識するようにして、成功した選手もいる。

■「陸王」も「ナイキ」も“魔法のシューズ”ではない

大迫、設楽らの活躍で、「ズーム ヴェイパーフライ4%」は、市民ランナーにとっても、憧れのアイテムになった。2万5920円(税込)と高額であるにも関わらず、サイズによっては入手しづらい状態が続いているほどだ。

筆者は高橋尚子、野口みずきなど“金メダル”シューズを手掛けてきた三村仁司氏がアシックスで別注シューズを担当していたときに神戸の工場まで取材に行ったことがある。そのときに聞いた三村氏のこんな言葉が印象に残っている。

「毎年、新しいシューズが出ますけど、そのシューズがいいとは限りません。型が古くても、自分に合うシューズが一番だと思いますよ」

▼自分にとっての「陸王」を選ぶことが大事

これまで多くのランナーを取材してきて、シューズひとつでタイムが大幅に短縮するようなことは聞いたことがない。ただし、その逆はある。合わないシューズを履くことで、マメができたり、特定の部位が張ったりといった異変を感じることがあるからだ。そうなるとタイムを大きく落とすことになる。

ナイキの最新テクノロジーが万人にとって“魔法のシューズ”になるわけではなく、自分にとっての「陸王」を選ぶことが大切になってくるだろう。流行に振り回されず、自分に必要なものをしっかりと見極めることが“賢者の選択”のような気がする。

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酒井政人(さかい・まさと)
1977年、愛知県生まれ。箱根駅伝に出場した経験を生かして、陸上競技・ランニングを 中心に取材。現在は、『月刊陸上競技』をはじめ様々なメディアに執筆中。著書に『新 ・箱根駅伝 5区短縮で変わる勢力図』『東京五輪マラソンで日本がメダルを取るため に必要なこと』など。http://www.masatosakai.biz/

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(スポーツライター 酒井 政人 写真=iStock.com)