東京屈指のグルメタウン荒木町には、こんな情緒にあふれた石畳もある(筆者撮影)


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明治末期から大正、そして昭和初期にかけて東京有数の花街・三業地としてにぎわいを見せた荒木町は、今でもその面影を色濃く残している。松川二郎著『全国花街めぐり』(全巻、1929年)によると、全盛期には200人以上の芸妓さんがいたことも。さながら東京の祇園である。

かつて河田町にフジテレビがあった時代。荒木町は業界人でにぎわっていた。しかし、フジテレビがお台場に移転した後、不況のあおりを受け料亭街は衰退。以後はサラリーマンを対象とした小規模なスナックやバーが主流となった。

ひと昔前の下宿先にありそうな階段を上ると…


みよ! この心引かれる昭和な外観(筆者撮影)

現在の荒木町は、『ミシュランガイド』に掲載される名店や個性的な飲食店が軒を連ね、“グルメ人が通う街”としてにぎわいを取り戻している。その中でも、ひときわにぎやかな杉大門通りに、「お食事とカラオケの店 ゆず」はある。

外看板を目印に店を探すと、すぐにそれらしき店を見つけた。通りに面した扉は開放されており、中をのぞくと、ひと昔前の下宿先にありそうな細長い階段が。レトロな手すりにつかまり、階段を上る。まさに昭和のそれである。

内扉を開けると、店内はこぢんまりとしていた。カウンター席と8人掛けのソファー席がある。所狭しと飾られた花や絵、洒落たアンティークガラスの照明。オレンジ色の店内は大正ロマンにあふれている。先客は1人、カウンターにいた。


料金形態を聞いてみると、飲み放題、歌い放題、さらにママの手作り料理3〜4品がついて一律4000円とのこと。カラオケスナックには珍しく、家庭料理が食べられるのは女性にとってうれしい。

料理を注文すると、照りとつやのある「きんぴら炒め」と「米麹のお漬け物」が運ばれてきた。どちらも優しい味付けに、酒が進みそうだ。常連客に話を聞いてみた。


ママお手製のお漬け物。このほか、きんぴらやお鍋、ぞうすいと次々ママの手料理が出てきた(筆者撮影)

「ここは居心地が良いだけじゃなく、ママの手料理も最高。僕は手料理と珈琲を楽しみに毎日通っているんだ。ただ、途中でストップと言わないと、沢山の料理が出てきちゃうから気をつけないと」

ママの人柄に加えて、家庭料理で常連客の心をつかんでいるようだ。

歌う漫画家のおもてなし

「こんばんは〜」

突然お店に入ってきたのは、着物の女性だった。三味線を背負っている。荒木町で唯一、女性三味線流しとして活躍する、歌う漫画家ちえさんだ。

漫画家を目指して名古屋から上京した彼女が人の縁で出会ったのは、日本最高齢の流しである新太郎師匠。すぐに弟子入りし、一緒に荒木町を流し歩くようになった。演歌歌謡曲を歌い、似顔絵を描き、人気を集めていく。


歌い始めると、店の雰囲気が一気に華やぐ(筆者撮影)

しかし、今年8月。新太郎師匠は帰らぬ人となった。75歳だった。その後もちえさんは、なじみ客が多いここ荒木町で活動し続けることを決意。本格的に三味線を習得し、今では民謡や歌謡曲も演奏できるようになったそうだ。

「私は“人の縁”に恵まれてここまできました。師匠との出会い、サポートしてくれるお店、なじみのお客様。それらすべてが私の財産です。少しでも荒木町に恩返しできるよう、特別なことがないかぎりは、荒木町限定で活動しています。今では、荒木町が私のホームタウンです」


遠方から会いに来るお客さんも多いというちえさん(筆者撮影)

ちえさんは平日の夜を中心に、荒木町のスナックや小料理屋などを回っている。

「時と場合にもよりますが、1日15〜20軒ほど訪問しています。多いときは2〜3回転することも。師匠と流していた頃からのお客様も多く、北海道に住んでいるお客様が私を呼ぶためにわざわざ荒木町で飲み会を開催してくれることもあるんですよ」

さっそく筆者も1曲お願いした。人生初である。料金は1000円から。“お気持ち”を足すかどうかはそのときの気分でいいそうだ。演目は「荒木町小唄」。のびやかな声と三味線の生音が心地良い。お客さんからは自然と手拍子が。

「演奏できる曲は限られていますが、お客様からのリクエストでいちばん多いのは『涙そうそう』、2番は『上を向いて歩こう』です。12月頃になると、『恋人たちのクリスマス』をカラオケで歌ってほしいというリクエストもありますね」

さらに、似顔絵もお願いした。題材は編集者M。iPhoneから流れる音楽に合わせ、固定したマイクに向かいジャジーな歌を口ずさみながら、数十本の色ペンを駆使してスラスラと描いていく。料金は1000円。宵越しの体験型エンターテインメントとしてぜひともお勧めしたい。


歌いながらすいすいと描き上げていく(筆者撮影)

結構スゴい人たちが常連だった

ママの小島典子さんは、もともとバスガイドだった。結婚して子どもができた後、やってみたかったスナックに挑戦。それ以来、40年にわたってスナックを営んできた。今では9人の孫がいるという。

「料理好きが高じてランチ営業にも挑戦したの。口コミでたくさんのお客様が来てくれたわ。でも、昼の営業は夜につながらない。それがわかってからは、舟町に店を移したのよ。11年ぐらい前のことね」

以前は娘やアルバイトレディと店に立つこともあった。だが、人にお願いすることが苦手だったため、今では1人で店に立つ。

「店に来るお客様は、警察官や消防士、政治家から、著名人など幅広いお客様が多いわね。でも、うちの店に入ってきたお客様はみな平等。だからいいのかしら。お客様がお客様を連れてきてくれるのよ」

出張ついでに訪れる客も多いという。

「いつまた来るかもしれないと思うと、ボトルを処分できなくて。『だいぶ前にボトルを入れたんだけど、さすがにもうないよね?』と聞かれて、私がひょいとボトルを出すもんだから、お客様からびっくりされるのよ」

ママのホスピタリティが感じられる言葉だ。

「ママごめん、10人なんだけど大丈夫?」

急きょ、男性客が10人ほど来店してきた。

「みんな、ごめんね〜。ちょっと移動してくれる?」

ママの一声に、常連客が動き出す。ある人はコップとおしぼりを奥へと運び、ある人は「また顔を出すね」と言って会計を済ませる。ソファーに腰かけていた私たちもそそくさとカウンターへ。これぞスナックならではの気遣いだ。

ママや常連客との絶妙な「距離感」

この団体、どうやら官公庁系の集まりのようだ。そのうちの1人が常連客で、「10人だからこの予算で頼むよと」とママに交渉。ママは笑顔で応じている。「普段来てくれているお客さんだからね。儲けは出ないけど、やっぱり喜んでほしいからねえ」

常連の男性は次のように語る。「通い詰めるときもあるし、しばらく寄らないこともある。でも、だいたい家に帰る前に寄っちゃうな(笑)。この店の魅力はママとお客さん。気心が知れているけど、お互いに詮索はしない。ママとも常連客とも、その距離感がいいんだよな」


お客さんを詮索しすぎない、ちょうどいい距離感が居心地のよい空間を生む(筆者撮影)

団体客はカラオケで盛り上がる。歌う曲は森高千里の「気分爽快」。上司も部下も関係ない。「飲もう〜♪」という歌詞に、店内の客もグラスを持ち上げる。曲をきっかけに、店が一体感に包まれるのもスナックならではだ。

続いて、男性1人に若い女性3人のグループがやってきた。この近くで仕事をしている、不動産関連の会社員とのこと。仲良くカラオケで盛り上がる。管理職の男性に話を聞いた。

「先週も来たばかり。そのときも朝まで飲んでいて。この店にボトルを入れているけど、実は、この子らに勝手に飲まれています。でも、みんなが楽しめればそれでいいんです」

店も店なら客も客。フラットでオープン、そして自分だけでなくみんな一緒に楽しむために訪れている。

大正ロマンから昭和風情まで。幅広い顔を持つ「お食事とカラオケの店 ゆず」を、スナ女・五十嵐が評価してみたい。


荒木町でもひときわにぎやかな通りにゆずはある(筆者撮影)

まずは、「入店スリル度」。今回、路面口は開放されていたが、2階へと続く階段には驚かされた。ただ、取材中も一見さんが多数来店していることから、初心者や女性でも入店しやすいのだろう。その気軽さからスリル度は30点といったところか。

誰でも分け隔てなく受け入れてくれる

次に、「初心者&スナ女受け入れられ度」。こちらは80点を付けたい。老若男女問わず様々な客が出入りしており、カラオケの履歴も、安室奈美恵、AKB48、EXILEから、ビートルズ、「マイウェイ」、演歌まで、幅広いのがその理由だ。


先週も朝まで飲んでいたという常連グループ(筆者撮影)

最後に、「常連客との絡み度」は90点。狭い店内と限られた席数、隣との距離感は自然と乾杯できる範囲だ。またママの料理の出し下げも常連客の連携プレーに支えられている。まるで常連客がスタッフ代わりのようであった。

今回、「お食事とカラオケの店 ゆず」にお邪魔したおかげで、荒木町の良さを再確認することができた。何より“人”がいい。お店のママも常連客も、分け隔てなく受け入れるオープンな懐具合には、痛み入るばかりだ。


人と人とが信頼関係で結ばれ、その絆は、時間と空間の共有によってさらに深まっていく。スナックはまさに、昔ながらの風情を残すコミュニティであり、サロンなのだ。そのことを思い出させてくれる店に出合えた喜びをかみ締めたい。

最後に余談だが、同行した編集者Mは今回も常連客にはやし立てられ、カラオケを歌う羽目に。リクエストに応え、曲目はあみんの「待つわ」。しかし、Mが歌い出した瞬間、みんなの動きが止まった。

想定していた声質よりも擦れた声、そして店全体が共鳴するような声量。本来、「待つわ」はハモリが気持ち良いのに、常連の女性が挑戦しても、ママが絡んでも、その歌声はMの声量にかき消された。恐るべし……編集者M。