神野プロジェクト Road to 2020(10)
福岡国際マラソン 前編

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 福岡国際マラソン、2時間12分50秒―――。

 さまざまなアクシデントに見舞われ、リタイヤも考えたが、神野大地は最後まで走り切った。日本人7位、総合13位、初めてのマラソンのタイムとしては決して悪くはない。

 しかし、日本人トップの大迫傑(すぐる)には5分の差をつけられた。

 目標タイムの2時間8分59秒をクリアすることも、福岡で勝つことも、MGC(マラソングランドチャンピオンシップ)の権利を獲得することもできなかった。そのために春から厳しい練習に取り組み、徐々にステップアップしてきた。それだけにレース後、「この結果は悪くない」と言いながらも、「もっとやれたはずなのに」という思いが、表情や言葉の端々からに滲んでいた。

 福岡での42.195km、神野に何が起こったのだろうか――。



初マラソン、福岡国際は13位に終わった神野大地

 神野から衝撃的な言葉を聞いたのは、福岡国際マラソンの9日前だった。

「実は先週、アキレス腱痛が出て、この2、3日で状態が上がらなければ、福岡をあきらめるかもしれません」


 痛みが出たのは、11月17日の練習後だったという。

 これまでもアキレス腱痛は何度か気になったことがあったが、たいていは1日アイシングをすれば、翌日には痛みが消えていた。この時も「いつものだな」とさほど深刻にとらえておらず、その夜、中野ジェームズ修一とレイヤートレーニングをこなした。

「ここまで順調ですね」

 そう笑って、神野は帰っていった。

 翌日の土曜日は完全なオフにして体を休め、日曜日に10kmほどのジョグに出た。すると途中でアキレス腱にこれまでにないような痛みが出た。

「走っていて『痛っ』と思って。ただ、その日は全体練習がないし、無理する必要もないので6kmぐらいで上がったんです。翌日、月曜日(11月20日)の朝、走り始めた時は問題がなくて、『あぁー、良くなったな』と思っていたら10kmぐらいですごい痛みが出てきた。『これはヤバい』って走るのをやめ、そのまま火、水と完全に休んだんです」

 さすがに木曜日から練習をしないと福岡に間に合わないと思い、走ったがまだ痛みはあった。だが、金曜日になると状況が好転した。

「金曜日、アキレス腱が本当に悪い状態なら、前日に走っているので痛みが出るはずなんです。でも、それほど痛みがなかった。土曜日、1万6000mのビルドアップをやったんですが、その内容がすごく良くて、しかも痛みもなくゴールできた。これで、なんとかイケるかなって思いました」

 コニカミノルタの磯松大輔監督は、「まぁ、よくあることだと思います」と、神野の申告をそれほど深刻にはとらえていなかったという。大きなレース前に極度の不安を感じたり、考え過ぎたりしてしまうと、普段なら気にしない痛みでもより強く感じてしまうことがあるのを経験上、知っていたからだ。


 また、水曜日に神野の足を確認した中野も「大丈夫」と太鼓判を押してくれた。

「何もなかったということはないと思うんですが、今思えばメンタル的なものが大きかったのかなって思います。このままレースに出られなくなったらどうしようとか、いろんなことを考え過ぎて、いつもは1日で治っていた痛みにすごく敏感に反応してしまっていた。その時、中野さんに『大丈夫だ』って言ってもらえたことがすごく大きかったですね。今まで中野さんが大丈夫って言ってダメになったことはなかったので」

 高橋尚子の言葉にも気持ち的にずいぶん救われたという。

「福岡の前に高橋さんとお会いする機会があって、その時、高橋さんが『私もレースの2週間前に肉離れをして1週間まったく走れなかったけど、次の1週間で調整して勝ったから大丈夫だよ』って言ってくださって。『そうかぁ、最後はいい方向に転んだんだ』って思って、ちょっと気持ちがラクになりました」

 不安が解消され、気持ちが落ち着き、レースに向かって体の調子が上がってきた。すると痛みが完全に消えた。

 その一方でレースの日が近づくにつれ、箱根駅伝の時にもなかった強烈な緊張感が神野の神経を高ぶらせた。その影響で寝ることができなくなったのだ。

「今までレース前に寝られないことなんてなかったんです。箱根の時でさえもよく寝れたけど、今回は1週間前から緊張感のせいか、寝られなくなりました。大学の時は寮にいて廊下からいろんな人の声が聞こえてきたり、食事もみんなで摂るんで緊張を忘れられる瞬間があるんですが、実業団だとトレーニングや移動をはじめ、部屋でもひとりでいることが多いんですよ。ひとりだと42.195km走り切れるのかなとか、給水大丈夫かなっていろいろ考えてしまうことが多くて……。それに注目度も高かったので、ほんと今までにない緊張感を味わっていました」


 レース2日前に行なわれた記者会見での神野は、過度の緊張のせいか表情が硬く、少し不安そうだった。だが、前日の午前練習の時は緊張感こそあったが、表情が前日より落ち着いていた。1000mを1本走り、軽く練習を終えると、神野は笑顔でこう言った。

「明日、いけそうです。何かが起こりそうな気がしています」

 その言葉通り、何かを起こしてくれそうな気配を漂わせていた。

 福岡国際マラソン当日、快晴になり、気温は13度まで上昇していた。日なたでは多少暑さを感じるが、気になるほどではない。

 スタート直後、神野は大きな先頭集団の中にいた。

「戦わずして引いたレースをしたら自分の限界がわからないまま終わってしまうので、挑戦していこうと思いましたし、ペースメーカーがついて30kmまで(1kmを)3分ということだったので、先頭集団についていくことだけを考えていました」

 大きく膨らんだ先頭集団だったが、徐々に縦長に伸びていった。縦長の後方についていた神野は、これは意外としんどいレースになると覚悟したという。

「集団が横に膨らむとフッて、落ち着くタイミングがあるんですけど、縦長になると常に遅れないようにしないといけないんです。アクセルを10のうち7ぐらいで踏み続けて走る感じで、ペースが落ちるタイミングがないんですよ。だから、結構最初からエネルギーを使っていました」


 しかし、不思議と「このまま最後までいけないのではないか」という不安は感じなかったという。むしろ13kmを過ぎると、なぜだかわからないが、このペースならこのまま残り30kmを余裕でいけるかもしれないと思えた。

 集団の後方に位置していた神野は、そこからスルスルと先頭集団の前方に上がり、ペースメーカーの後ろに張りついた。その展開を「出入りが激しい」と解説者が指摘したが、神野は覚悟を決めてペースメーカーの後ろにつき、いけるところまでついていこうと決めたのだ。

 それからわずか1kmを過ぎた時だった。

「最初のアクシデントが起きたんです」

 神野は厳しい表情でそう言った。

(つづく)

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