山口線でC57とD51の重連走行が実現(撮影:山下大祐)

鉄道ジャーナル社の協力を得て、『鉄道ジャーナル』2018年2月号『本線復活!! D51 200』を再構成した記事を掲載します。

2017年11月、秋の行楽シーズン最中の23〜26日、山口はSL関係のさまざまなイベントで盛り上がった。9〜12月の間に行われている「やまぐち幕末維新デスティネーションキャンペーン(DC)」にあわせ、京都鉄道博物館(もと梅小路蒸気機関車館)で動態保存されていたD51 200がSL「やまぐち」号で本線復活を果たす運びとなり、それに際して「やまぐちSLフェア2017」が23日(木・祝)にJR西日本下関総合車両所新山口支所で、山口市が主体となって実施する「全国SLサミット」が24日に同市内のホールで行われた。そして満を持しての最後の土日は25日にD51 200が初の営業運転でお披露目、翌26日はC571との重連運転-という濃密な4日間だった。

新たにD51が参加

SL「やまぐち」号を含む山口線の車両基地で、山陽本線の電車等も出入りする下関総合車両所新山口支所は、かつての小郡機関区。駅名は2003年に所在地町名の小郡から新山口に改称され、その後の2005年に小郡町は山口市に合併された。その時点の車両基地は山口鉄道部車両管理室だったが、2009年の組織改正でこちらも改称された。

フェア当日は、これまでSL「やまぐち」号の牽引機として活躍していたC57 1とC56 160に、新たなD51 200を加えて3両が転車台の前に並べられた。ほかにキハ40やDD51の姿もある。機関車の頭を転車台とは反対側に向けていたのは、会場を埋めたファミリーへの配慮。本来の中心向きで並べると、転車台坑の縁に人が集まることになり危険なためだ。本格的なカメラを手にした鉄道ファンは、3両並びのアングルに大いに苦慮していたのだが…。

機関車の運転台見学に小さな制服を着て車掌放送体験、ミニSLや保線用カートの乗車と、基地の検修社員や乗務員挙げての大サービスを、家族連れは満喫していた。

翌日に開催されたSLサミットは、SLが運行される自治体同士が集い、まちづくりを語る趣旨で開催された。サミット会議は関係者だけでの協議だったが、会場となるホールでの歓迎イベントと、サミット開催の記念式典は一般入場ができた。クラシック奏者のユニットで鉄道色満載のスギテツミニライブや、“呑み鉄”を標榜する個性派俳優の六角精児氏、スギテツメンバーの杉浦哲郎氏、そして京都鉄道博物館副館長藤谷哲男氏によるトークセッションには鉄道ファンも聞き入っていた。


今回山口線にデビューしたD51 200(撮影:久保田敦)

「ナンバープレートの色差しは元は全般検査を受けた際の目印として生まれた慣習で、次の中間検査を経ると元来の黒に戻された」との藤谷氏の話は興味深い(優等列車の牽引に適した、所属区の中でも優良な整備状態の車両に差した区もあると聞く)。

こうした前段を経て、SL「やまぐち」号のD51形200号機牽引による初営業運転、およびC57形1号機との重連運転は繰り広げられた。25日、その出発式ではくす玉開花が行われ、腹に響く太鼓演奏の中、普段の数倍もの盛大な見送りを受けて、列車はスタートした。

重連運転で山口線に新たな歴史

満席となった車内では、津和野へと多くの観光客を乗せる列車らしく、沿線や機関車の要点が紹介される。ことに26日は、重連を組む2両分の解説が行われた。


昭和初期の客車を連想させるスハテ35 4001(撮影:久保田敦)

――C57形は昭和12(1937)年から製造され、優等列車を牽引する花形機関車として四国を除く全国で活躍。1号機は昭和54(1979)年のSL「やまぐち」号運転開始以来38年間、山口線の顔として走り続けている。D51形は昭和11年に登場し、昭和20年まで1115両が製造された貨物用機関車で、機関車と言えばD51と言われるほどポピュラー。200号機は昭和13(1938)年国鉄浜松工場で製造され、名古屋地区を中心に活躍。昭和47(1972)年に梅小路蒸気機関車館に入り「SLスチーム号」で運転されてきたが、大修繕を経て本線運転が行われることとなった。D51形は山口線でも昭和48年まで使用され、今回の運転は44年ぶり。全線開通94年を迎えるが、C57形とD51形の重連運転で新たな歴史を刻むことになった――と。

補足すれば、SL「やまぐち」号(以下、「やまぐち」号)には元来の牽引機C571のほかにC56160が充てられていたが、小型のC56による運転ではDD51の補助が必要であり、機関車自体の状態も各部万全に更新されているC571に対して、国鉄時代のまま老朽化が進んでいる。そこで勾配運転等も勘案してD51に白羽の矢が立てられた、と聞いた。

一方、今回、D51の本線復帰を決め、「やまぐち」号継続への決意を織り込んで新造されたのが、35系4000代の客車であった。すなわち、車両のライフサイクルとして今後40年程度は運転すると決めて、経年の高い12系を置き換えるべく、新造車投入に踏み切ったのである。

「最新技術で快適な旧形客車を再現」がコンセプトで、SL全盛時代の35系客車(当時、正式には“系”としての区分はなかったが)の内外装を復刻しつつ、現代のバリアフリーや安全対策、快適性を織り込んだ。外観はシル・ヘッダー付きの重々しい姿に茶色をまとい、内装には往時と同じ木材を使用している。


スハテ35の客車。板張りの背もたれが三等の雰囲気を醸す(撮影:杉山慧)

座席は2〜4号車が普通車標準の青、津和野方5号車は明治・大正期から3等車に使われ続けた緑、新山口方1号車は「やまぐち」号に新たに設けられたグリーン車として、往時の優等車両の臙脂のモケットが張られている。むろんすべて単色である。さらに時代がかった5号車は背もたれも木製で、屋根(天井)は二段構成でモニタルーフの雰囲気を再現する。

とは言え、木はすべて難燃加工により樹脂のように光りシートピッチを拡大して、テーブルを備える。レトロ調のグローブ灯もLEDだ。デッキにステップはなく、ドアは引戸式で自動。全車空調を装備し、洗面所は往年のシンクを再現しつつも自動給水栓、トイレは温水洗浄便座の洋式で、車いす対応も備わる。往時の「便所」ではない。その中で各種プレートの楷書体の文字が泣かせる。

客車独特の衝撃は消える

車両性能的にも効き目が均一な電気指令式ブレーキが装備されており、発車時も停車時も静か。機関車の自動空気ブレーキからは、読替装置を介して作動させる。ただ、良くも悪くも客車独特の衝撃はなくなり、まるでインバータ制御の電車に乗っているかのようだった。


旧型客車に執拗にこだわれば、この客車は旧型でも何でもなく、SLと違い文化財の価値を持つわけでもない。しかし、難燃加工のない木材や手動ドアの新車は、現行の法規では認められないのだから、今後も「やまぐち」号を走らせるための必然である。でなければ運転自体が消える。

12系に引き続き、展望デッキも設けられた。1号車のグリーン車はかつての展望車マイテ49がモデルなので当然ながら、3等車を模した5号車にもある。進行側はSLの直後でシンダ(燃えた石炭の細粒)が降り注ぐため閉鎖され、上下とも最後尾のみが開放される。今回、1号車はグリーン車となったため、普通車の乗客は立ち入れない。そのぶん下りのグリーン客はごった返すことなく満喫できる。快速列車であり、グリーン料金は普通列車の料金が適用されるため、新山口〜津和野間でわずか980円だ。一方、上り列車で最後部となる5号車の展望デッキは、12系客車にはなかったもので、新たな楽しみとなった。