東西対立の崩壊以降、世界は同質の「フラットな構造」に変わった(写真:gnoma / PIXTA)

時代は大きく変わりつつあります。筆者の実感として、社会構造が大きく変わったように思います。端的に申し上げれば、「タテ型社会」が終焉して、「ヨコ型社会」になりました。

経営者は、指導者は、経営を進めていくうえで、この認識をはっきりと持たなくてはなりません。わが国にその変化が起こった理由は3つあると思います。

なぜタテ社会が崩壊したのか


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第1の要因は、1989年末に、米ソ対立、東西対立の冷戦構造の終焉によって、世界構造の枠組みが本質的に変わったことです。それまでは、西側と東側という2つの異質のピラミッド型の構造でした。それぞれの頂点にアメリカとソ連が位置していました。そして、それぞれの力は絶大なものであり、それぞれのピラミッドに所属する国々を支配していました。西側は、アメリカとその所属国家、東側は、ソ連とその所属国家は「支配と従属」という関係でした。すなわち、この2つのピラミッドの内部は「タテ型構造」であり、2つのピラミッドが対峙していたのです。第3世界というものもありましたが、基本構造は2つのピラミッドの対立です。

それが、東西対立の崩壊以降、世界は同質の「フラットな構造」に変わりました。「タテ型世界」が「ヨコ型世界」に変化したといえます。アメリカもソ連(崩壊後ロシアに国名変更)も、もはや、他国に行動を強制できるような立ち位置ではなくなったのです。それは、アメリカとソ連による世界支配の終焉であり、同時に、それまで配下にあった国々の独自主張の始まりでもありました。

そして、それまで、交流することができなかった、それぞれの所属国家も、お互いに対等の立場で、政治的、経済的、また民間レベルでの交流も盛んになっていきました。上下関係の意識は、国際社会の中で存在しなくなったといっても過言ではないでしょう。

「ヨコ型構造」に移行した2つ目の要因は、多くの国が豊かになったからです。数十年前の世界で、経済的に豊かな国は数えるほどしかありませんでした。アジア諸国も中東諸国も、貧困に沈潜していました。そのような状況の中では、おのずとタテ型社会しか築くことはできません。支配者と被支配者、富める者と貧しき者の格差は、トマ・ピケティが言い出す前のほうが、大きかったと言えるのではないでしょうか。

被支配者は支配者に服従、貧しき者は富める者に卑屈屈服。そこに反感・抵抗で国民、市民、労働者が爆発的行動に出る。珍しいことではありませんでした。もちろん、いまでも国によって、依然として支配者と被支配者、富める者と貧しき者の社会、国家が存在するのは否めませんが、これも、見方にもよりますが、かなり少なくなってきていると言えるのではないでしょうか。それもこれも、社会が豊かになったからだと言えます。

もっと身近に、日本の会社ということで考えてみても、たとえば、以前は、会社をクビになることは、イコール食べていけなくなることを意味しました。ですから、たとえ上司から理不尽な指示や叱責があっても、じっと我慢していました。そういう時代では、上位の者が命令し、管理し、下位の者は服従し、画一的に従属しなければならず、個性も自己主張も許されることはありませんでした。

しかし、そのような「貧困からの脱却」をして、「豊かさの享受」をするようになると、人々は、必ずしも所属する集団や組織、国家にしがみつかなくても生きていける時代になりました。

生産者優位の時代は、過去の物語。価格決定権は消費者に移行しました。会社の人事も、命令や強制では、社員は動こうとしなくなりました。本社勤務より地元で結構という社員が多くなりました。私の経営者塾の参加者である、名古屋の建設会社の社長は、社員を転勤させないということを経営方針の1つに掲げています。

食べられるか食べられないかという時代は、とうの昔になくなりました。豊かな時代になっても、豊かさの中の貧困は厳然として存在しますが、わが国のように、その気になれば、食べられるような時代になると、多くの人は、それぞれ自由に考えるようになり、その結果、おのずとそれが価値観の多様化へとつながってきたと思います。

超・情報化は確実に進化していく

3つ目の要因は、超・情報化、BARIS革命でしょう。今は、ITは、もうカビが生えるほど古い言葉になりました。今は第4次産業革命、インダストリー4.0が進行しています。私は、それを「BARIS革命」(Big Data、AI、Robot、IoT、Economy Sharingの頭文字)と呼んでいます。

この革命が異常な速度(exponential)で進行し、加えて、GNR革命(Genetics、Nanotechnology、Roboticsの頭文字)が積算されると、2045年以降は、もはや人間の想像不可能な世界になるのではないかということも言われています。そうなるかどうかはともかくとして、異常なまでの超・情報化は確実に進化していくでしょう。

超・情報化の時代になってくると、知識のレベル、技術のレベルでの上下関係は、ますます皆無となるでしょう。いや、若者が年長者より、新入社員が先輩より、部下が上司より、その情報量ははるかに上回るだけでなく、最新の先端知識、新鮮な情報を豊富に持っているようになります。

もちろん、その傾向は1990年代から始まっていますが、若い友人たちほど、新情報、情報量を持っているでしょう。ますます、そのような時代になってくると、タテだ、上下だ、命令だ、管理だなどと、従来の「刀」を振りかざすことは、もはや不可能ということになります。

まだ、いろいろタテ型社会からヨコ型社会に転換した理由はありますが、とにもかくにも、ヨコの時代ということになれば、脅迫、命令、管理などで、組織を維持していくことは不可能になるばかりでなく、これからの時代、完全にタテ意識を払拭しなければ、組織維持、経営維持もできなくなります。そのことを経営者は、しっかりと認識理解しておくべきです。もはや、傲慢な指導者は否定されます。上から目線の社長、上司は拒否されます。

どれほど技術が進歩し、情報化が進もうと

タテ型時代のリーダーシップが通用しなくなったということで、しかし、少数精鋭といえども、何人かの人たちを集め、「経営」をしていくということになれば、そこには、どのように組織をまとめていくべきか、どのように会社を発展させていくべきか。技術がシンギュラリティを通過しても、やはり「人間の問題」は残る。人間同士の関係は残るでしょう。そのようなことを考えると、やはり、究極、指導者としての、社長としての、上司としての「人間」そのものが問われる、いや、今以上に、「人間の資質」が求められることになるでしょう。要は、指導者なり、社長なり、上司に、「人間的魅力があるかないか」ということが、最終的な経営課題になってくるだろうということです。

どのように技術が進歩し、どのように情報化が進もうと、引き算をして、さらに引き算をして、最後に残るものは「人間」ということは、今日までの人間の歴史を振り返れば、すぐに理解できます。ある宗教は2000年前に、砂漠の中から生まれてきました。また、ある宗教は、四門出遊、路上に横たわる生老病死の中から生まれてきました。

例外はあるものの、多くの国や地域で高速道路が走り、地下道が張り巡らされています。これからは、鉄道がリニアモーターカーへと変わり、あるいは、無人自動車が走るような時代になります。そのような機械全盛の時代になっても、多くの宗教が人々の心の中でなお生き続けているのは、なぜでしょうか。それは、多くの人たちが、宗教に、生の意義を問い、人生の意味を求めているからです。人間の能力をはるかに超える技術が次々に生まれていますが、どのような時代になろうと、「人間の問題」は残り続けます。リーダーたるものは、「片手に超・情報知識、片手に人徳」を持って日々の生活を送る心掛けが必要になってくるでしょう。

今まで以上に、社長や上司などのリーダーは、自らを律する努力、人間として正しい言動をすることが問われます。公私、金銭、人間関係において厳格にケジメをつけるなど、日々の行動で実践し、人間としての徳を積み上げていくべきです。それによって、リーダーよりも最新の知識を持っている若い人たちが相協力し、1つの方向に向かって進んでいくような、風通しのいい、希望に満ちた組織が醸成されていくと思います。

タテ思考は、経営者のみならず、組織全体、会社全体に不幸な結果をもたらします。そのためには、リーダーが、「片手に超・情報知識、片手に人徳」を心掛けるべきです。