かねてより法律化の努力が続けられていたアメリカ海軍艦艇数を飛躍的に増強する法案がアメリカ連邦議会上院を通過し、トランプ大統領によって署名され、「Securing the Homeland by Increasing our Power on the Seas Act」(「海軍力を強化して国土を保全する法律」通称“SHIP法”)として法律化された。これによって、アメリカ連邦議会そしてアメリカ政府は、アメリカ海軍の主力戦闘艦艇を355隻以上に増加させなければならなくなった。

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トランプ大統領の公約

 トランプ大統領は大統領選挙期間中、国防力強化と雇用維持拡大の双方の観点から、「350隻海軍の建設」を公約として打ち出していた。現在、公式には278隻とされているアメリカ海軍の主要戦闘艦艇を350隻に増強して、かつて世界中の海に睨みを効かせていた“大海軍”を復活させようというのである。

 アメリカ海軍当局も、トランプ大統領の「350隻海軍建設」と歩調を合わせて「355隻海軍建設」の実現が必要不可欠であるとの主張を展開し続けてきた。なぜなら、中国海軍の飛躍的な戦力増強や、南シナ海、そして東シナ海への膨張主義的拡張政策の伸展、それにロシア海軍力の復活の兆し、それに対テロ戦争の海洋への波及などに対処するには、現有海軍力では対処しきれなくなってしまったからである。

 もっとも、主力戦闘艦艇355隻でも中国海軍をはじめとする海洋での脅威に太刀打ちするには心許ないと考え、400隻あるいは500隻といった大海軍建設を主張する海軍戦略家も少なくない。

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 トランプ大統領は、大海軍の再構築は「アメリカにおいて、アメリカの労働者により、アメリカの鉄で、大量の軍艦を建設しなければならない」と主張している。たしかに、軍艦の建造はいわゆる重厚長大産業から最先端ITテクノロジーまで裾野の広い多種多様の企業を総動員する必要がある。海軍の増強は、海軍戦略、そして国防政策の側面だけでなく、各種技術レベルの底上げ、雇用の確保、結果的に税収の増進といった経済活性策という側面があることも見逃せない。

「SHIP法」成立には政治的側面も

 今回法律化された「SHIP法」は、アメリカ海軍当局の主張のとおり「355隻海軍の建設を達成しなければいけない」という趣旨の法律である。「艦艇数の増強を図る努力をすべき」といった具合に、単に目標を提示した法律ではなく、「アメリカ海軍の主要戦闘艦艇数を「355隻以上にする」と、具体的に海軍艦艇の規模を規定したのだ。

 軍艦という高額兵器の大増強を図るという法律の執行には、もちろん莫大な予算を投入しなければならない。連邦議会予算事務局などの算定によると、トランプ大統領の目指す大海軍を建設するには毎年210億ドルの軍艦建造費が30年間にわたって必要とされている。

 今回「SHIP法」が成立したのは、アメリカの国防が強化されるという軍事的理由もあるが、それ以上に連邦議員、とりわけ州益の代表である上院議員が選出州の雇用の拡大を目指して議会を通過させたという政治的側面も見逃せない。

 実際に、「SHIP法」を先頭に立って推進したロジャー・ウィッカー上院議員はミシシッピー州選出であり、ミシシッピー州最大の民間雇用主はアメリカ海軍駆逐艦などの建造を請け負っているインガルス造船所である。「SHIP法」によって間違いなくインガルス造船所は今後20年間にわたって駆逐艦などを安定的に建造し続けることになるため、ミシシッピー州の雇用は安定することになり、ウィッカー上院議員はミシシッピー州の英雄となったのだ。

 このほか、やはりアメリカ海軍艦艇の建造に携わっているバス鉄工所(メイン州)、ニューポートニューズ造船所(バージニア州)などはもちろんのこと、軍艦に搭載される各種レーダー装置やミサイルなどのメーカーはアメリカ各地に点在しているため、それらの企業だけでなく多くの州で「SHIP法」が順調に適用され、少なくとも77隻の軍艦が建造され続ける間は雇用が安定することになる。

インガルス造船所とバス鉄工所で建造しているアーレイバーク級駆逐艦(写真:米海軍、以下同)


バス鉄工所が建造したズムウォルト級ミサイル駆逐艦


技術的に前途多難な355隻海軍建設

 インガルス造船所やバス鉄工所それにニューポートニューズ造船所といった軍艦建造メーカーは、最低でも77隻もの各種軍艦の多くを建造することが義務づけられた法律のおかげで、今後30年近くにわたっての軍艦建造が保証され、関連会社を含めた雇用が安定することとなった。

 しかしながら、それらのアメリカ軍艦建造メーカーの数的造艦能力では、連邦議会予算事務局などが指摘しているように、30年近くの年月を要することになってしまう。中国はアメリカの4倍のスピードで軍艦を生み出す造艦力を有する。米国の現在の造艦能力では10年も経ずして中国海軍に太刀打ちできない状況が現実のものとなり、その後はますます劣勢に陥ってしまうことは確実だ。

 軍艦を造り出す速度だけではない。アメリカ海軍の軍艦を生み出してきた造艦メーカーの質的造艦能力にも、疑問符が付せられている。

 というのは、軍事予算削減が続き、軍艦建造や修理そしてメンテナンスなども“倹約”が続けられてきたため、軍艦建造メーカーでも専門家や熟練労働者などが減少しており、高度な造艦レベルを維持することが困難になっているからである。

 355隻海軍を造り出すには、軍艦を新たに建造するのと平行して、現在就役している274隻の主力戦闘艦、それらの主力戦闘艦以外にも海軍で使われている多数の各種艦艇に対する定期的なメンテナンスや大小にわたる修理なども実施し続けなければならない。

 実際に、全国に4カ所ある「海軍造船所」(実際には軍艦建造は行っておらず、修理とメンテナンスを行っている)や上記のような民間の軍艦建造メーカーの造船所などでのメンテナンスや修理が必要であるにもかかわらず“順番待ち”状態になっている海軍艦艇の数は極めて多い。全ての“順番待ち”状態が解消されるのは2035年になってしまうとも言われている状態である。

 このように、トランプ大統領の言う「大海軍」を建設するための──というよりは建設することを義務化した法律が誕生し、巨額の税金を投入する準備が完了したにもかかわらず、「アメリカの造艦能力の現状では、果たして77隻もの各種軍艦を造り出すことが、それも可及的速やかにできるのか?」という疑問が投げかけられているというのが現状なのだ。

日本にとっては絶好の機会

 少なからぬアメリカ海軍関係者たちからは、「アメリカ企業の利益やアメリカ国内での雇用を確保することは必要だが、それらにこだわっていては355隻海軍が誕生するのは2050年近くになってしまい、アメリカ海軍は東アジア海域から駆逐されているかもしれない。アメリカ国内雇用にはある程度目をつぶっても、日本や韓国それにヨーロッパの造艦能力に頼らざるを得ないのではないだろうか」という意見も聞こえてくる。

 日本政府にとっては、日米同盟を実質的に強化するため、ならびに日本の造艦関連諸産業を中心とした企業にとってのビジネスチャンスを手に入れるため、日本の軍艦建造能力をトランプ政権に売り込む絶好の機会と言えるだろう。

筆者:北村 淳