マッカートニーは自作したサウンドコラージュを、世に出たばかりだったフィリップスのカセットテープに録音し、ヒップな友人たちが集まるパーティーでよく流していたという。「いかにもキマってる感じだった」。彼はマイルスにそう語っている。「どこかのハウスパーティで、夜の深い時間にラヴィ・シャンカールやベートーベンやアルバート・アイラーなんかが流れてたら、さぞ気持ちいいだろうからね」。サウンドコラージュに病みつきになっていた彼は、『ポール・マッカートニー・ゴーズ・トゥー・ファー』という身も蓋もないタイトルのソロアルバムのリリースさえ検討していたという。ジョン・レノンが強く促したにも関わらずそのアイディアは破棄になったため、『アンフォゲッタブル』は60年代にマッカートニーが残した唯一のサウンドコラージュ音源となっている。

その数週間前の12月3日に、ビートルズの『ラバー・ソウル』が発売されたばかりだったことを考えれば、マッカートニーによるそのプレゼントには、バンドに新たな方向性を提示する意図が込められていたに違いない。「奇妙で混沌としたサウンドだった」。ジョージ・ハリスンは『アンフォゲッタブル』についてそう語っている。「ジョンとリンゴと一緒にあれを聴いたとき、ポールが新しいことをやろうとしているんだって分かった。ポールはあの手この手で、僕らにエレクトロニックなサウンドの可能性を伝えようとしていたからね」翌年4月にバンドが再びスタジオ入りし、のちに『リボルバー』として発表されるアルバムの制作に着手した際に、バンドが最初にレコーディングしたのは、マッカートニーが作ったテープループを基にした「トゥモロー・ネバー・ノウズ」だった。