京都大学百周年時計台記念館(「Wikipedia」より)

写真拡大

 京都大学の名物ともいわれる立て看板、通称「タテカン」に対して京都市が撤去の指導を強めていることが議論を呼んでいる。

 京大の門の前、そしてキャンパスを巡る塀や柵には立てかけられた大きなタテカンを常時見ることができる。春の新学期には特に数を増すが、それ以外の時期でも京大からタテカンが絶えることはない。12月初め現在で40あまりのタテカンが設置されているそうだ。

 巨大なものは横6メートル、高さ3メートルに及ぶものもあり、いずれも一品ものの手づくりで、テキストやイラストはペンキを使った毒々しいとも取れる表現のものが多い。

 さて、京都市当局が目指そうとしているのは観光地・京都の「景観」維持だ。つまりタテカンは美的景観にはそぐわないという判断がある。一方、京大OBからあがっている擁護の声は「タテカンは京大の文化だ」というもの。タテカンの設置は遠く1960年代の全共闘時代(過激な学生運動のことだ)に始まり、半世紀の長い間親しまれ、いまや京大と一体の光景になっている、というのだ。

 しかし両者の主張が見落としているのは、「表現の自由」というより大きな視点だと私は思っている。

●京都市は景観づくりの一環として、屋外広告の表現を規制してきた

 タテカンを責める側の京都市は、2012年から京大に対してその撤去を口頭指導してきたという。去る10月には文書で指導したことにより、問題が顕然化した。京都市役所広告景観づくり推進室は、次の2つの点を指導したとされる(12月11日放送のテレビ番組『羽鳥慎一モーニングショー』<テレビ朝日>より)。

・指導対象1:外に向かって置かれているタテカンは市長への申請、許可が必要であり、道路の不法占用にもあたる。
・指導対象2:敷地のなかに立てられているが、外からも見える。

 またタテカンは強固な設置物でないので、倒れるなどして通行人に危害を与える恐れもあるとしている。

 同番組に出演していたコメンテーターの玉川徹氏は京大OBで、タテカン擁護派だった。

「台風なんか何度だって京都に来ている」

 京都市がタテカンについて京大を指導した法的根拠として、タテカンは常時あるいは一定期間継続して屋外で公衆に表示される「屋外広告物」に該当すると判断したという。京都市がなぜ屋外広告物を規制するかというと、07年に施行した同市の「新景観政策」によるものだ。その基本方針として次のように謳っている。

「世界遺産周辺、良好な低層住宅地や歴史的な建造物が多く存在する地区など、地域の景観特性や市街地環境の特性、土地利用等を考慮して、屋外広告物が町並み景観や建築物と調和するよう規制・誘導しています」(京都市「京 みやこの景観ガイドライン」より)

 そして、規制・誘導する「屋外広告物」は次のようなものであるとしている。

「屋外広告物とは、(1)常時又は一定の期間継続して(2)屋外で (3)公衆に表示されるもので、具体的には、看板や広告塔、ポスターなどだけではなく、建築物の壁面等に直接表示するものも含みます。また、表示内容については文字だけではなく、商標、シンボルマーク、写真など一定のイメージを与えるものや商業広告以外の営利を目的としないものも含みます」(同)

 この指導ガイドラインにより、たとえばローソンの看板は通常青とマゼンタ(赤の一種)なのだが、京都市に限って白地に黒でのロゴ表現に留まっている。また、郵便局の看板でさえも、通常の赤地に白抜き字ではなく京都市では白基調に赤字を使うという、いってみれば地味な表現のものに抑えられている。

●タテカンは屋外広告物ではない、言論機関だ

 上記の定義により、京大のタテカンは営利を目的としない、政治的なものや主張を述べたものも含め規制・指導の対象となるとしているのだ。この秋、京大への指導を強めたのは「京大といえども特別な存在と認識していない」(京都市役所広告景観づくり推進室)という立場もあるうえに、今まで指導を受け入れてきた町の商業施設者が「どうして京大だけ特別扱いなのか」という苦情を寄せたともいわれているが、確認はされていない。

 玉川徹氏は前出番組内で「そんなことを言う人は前からの京都人ではないのだろう」と京都人的なコメントをしていた。京大生は伝統的にタテカンに対して寛容だ。現役の京大生も番組内で「京大生はタテカンが大好き」と、あっけらかんと話していた。

 そして過去の京大総長、副学長も以下のようにタテカンを許容してきた。

「立て看板は京大の文化です。思想性のある立て看板は他大学にはないし、禁止することはないと思っています」(尾池和夫氏、04年時総長)

「立て看板は京大生の大事なコミュニケーション手段。無くそうというつもりはありません」(東山紘久氏、04年時副学長)

 およそ、大学とタテカンには半世紀以上の共存の歴史がある。60年代に全共闘時代というのがあり、多くの大学がロックアウトされたり、タテカンの乱立の時代が始まった。当時のタテカンは政治的なメッセージに満ち溢れていた。

 時代は下り、現在の京大のタテカンを見ると、サークルの勧誘やイベントの告知など、非政治的なメッセージ、つまり広い意味での「屋外広告物」に堕したものが多い。しかし、そんななかにあっても、政治的なメッセージや大学を含む体制批判的なものも見られる。以前には当時の総長の辞任を要求するタテカンも掲出された。

 今回の京都市の指導に対して、「タテカンは条例違反という無粋」と書かれたタテカンも掲示されたが、なんともウィットに富み、この大学の学生の知的レベルが伺える。

 タテカンについての歴史や来歴、多彩なメッセージ性をみると、これを単なる屋外広告物という枠に押し込むのは無理がある。それでは何か、というと、言論活動の立派な媒体だ。

 憲法の第21条には「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」とある。タテカンは往々にして反体制的であり、批判的な主張を含んできた。憲法で保障された言論活動であるからには、景観保全に優先するはずだ。そして、それが集中しているのは今や、関西では京大ばかりとなった。同志社も立命館も京都市の指導なるものを受け入れてしまっている。

 私は全共闘世代だ。大学構内にタテカンが出現して物議をかもした時代に学生時代を過ごした。タテカンを排斥しようとした側が持ち出したのは、「大学の美観」論だった。手づくりで粗暴、手書きなので粗野に映る、だから静謐であるべき大学のキャンパスにはふさわしくない、というのだ。

 しかし、大学運営や授業に対する不満、政治や体制、社会に対する世代としての大きな欲求不満の表出、そんな学生ならではの言論表出の手段として、タテカンは存続し続けた。「美観」と「言論」、どちらが本質的に重要なのか、大学人たちも本能的に理解していたからタテカンは定着していった。

 街中における街宣車が大きな声で四六時中、主張を訴えるのは、社会生活にとっては騒音となってしまうかもしれない。しかし、選挙期間中に選挙カーが街をまわるのを私たちは受け入れている。あれは、選挙期間中という時間的な限定の下に、言論活動が重要ということで受け入れられているのだ。選挙カーには時間的限定が付与され、タテカンには大学構内という場所的限定が与えられている。

 大学にのみ偏在するこの例外的な言論活動を、誰も迷惑をこうむっていない(つまり周辺住民はすでに地域の伝統として受け入れている)のにもかかわらず排斥するのは、自由な言論活動に対する弾圧だと私は見ている。

 そして、怖いのはそのような構造に気がつかないで、景観規制の論理をいたずらに学問と言論の府に適用しようとしている京都市役所の役人たちだ。

 私は、タテカンの味方だ。
(文=山田修/ビジネス評論家、経営コンサルタント)。