“毒親”をドラマで描く意味とは? 『明日の約束』仲間由紀恵と手塚理美の異常な母親像

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 「毒親」という言葉が一般化し、年々その姿を描いたドラマが増えている。『過保護のカホコ』(日本テレビ系)、『お母さん、娘をやめていいですか?』(NHK総合)も、毒親を真正面から扱った作品であった。

参考:井上真央の“一番許せない人物”とは? 『明日の約束』最終話に残された謎

 この秋からスタートしたドラマの中では、『明日の約束』(カンテレ・フジテレビ系)が「毒親」を扱った作品である。しかも、このドラマの場合は、毒親はひとりではない。主人公の井上真央演じるスクールカウンセラー・藍沢日向の母親・尚子(手塚理美)も毒親ならば、日向の務める学校の生徒で自殺した吉岡圭吾の母・真紀子(仲間由紀恵)も毒親である。

 真紀子は、息子に対して毒親なばかりではなく、息子の死に対して自分にはまったく非があるとも考えず、その罪を他人に押し付け、訴訟を起こそうとするモンスターペアレントでもある。息子のクラス替えの生徒を指定したり、成績が悪いと担任をかえさせようとしたり、親バカといわれようと、息子のためにしていることはすべて彼女の中では正義なのである。

 しかも当初のドラマの描き方では、息子の死が本当に自分以外にあると思い込んでの行動かと見てとれていたが、実は、息子からはっきりと「お母さんのせいで死にます」というメッセージをもらっていた。それにも関わらず、その事実を隠蔽するために、自らが息子を装って、息子の先輩に「僕は先輩のせいで死にます」と死後にメッセージを送っていたのだから罪深すぎる。

 また別のシーンでは、スクールカウンセラーと生徒の親として、日向と真紀子が一対一でやりとりする場面で、日向に恋人がいると知った真紀子が、「藍沢先生もいずれはご結婚されてお子さんをお持ちになる日がくるんでしょうね」「わかってほしいんです。あなたも子供を持てば、きっと私のきっと気持ちがわかるはずですから」「親にとって母親にとって子供の存在は人生のすべてです。それを奪われた苦しみやつらさは、子を持つ親にならないと理解できません」と告げるセリフがある。

 セリフで見れば、子を思う母の正論にも思える。しかし、仲間由紀恵の異様な空気を醸し出す演技と、バックで流れる不穏な音楽、それを聞いて戸惑う日向の表情を見ると、毒親というものがいかにーーすなわち母親であるということがーー「正しい」ことだと信じ、そのことで何もかもが免罪されると彼女が考えているのかがわかる。しかも、日向は自分が毒親に育てられたからこそ、こうした「子供を愛する親としての正しさ」が、ある人にとっては束縛であり、恐怖であることを知っている。日向は真紀子に対して「たとえ親子でも気持ちを100%理解するなんてできないと思います」と返すのだが、毒母に苦しんでいる日向のセリフだけに説得力があった。

 一方、日向の母親はというと、自らの思い通りに娘が動いたときには機嫌がよいが、少しでも娘が意のままに動かないとわからないと当たり散らす。

 感動的な音楽とともに、母・尚子と日向が子供のころに交わしていた交換日記の一部が読まれるシーンがある。日記の一部が、尚子のナレーションで「明日の約束、ママが起こったときには、すぐにごめんなさいと言う。必ず守るように。ママは日向がだーすきです」と読まれるこのくだりは、母と子の絆を描いたドラマであれば、美しい思い出だ。しかし、このドラマの親子関係を考えると、恐怖を感じさせるものとなる。「ママは日向がだーすきです」という声を聴いて、鳥肌が立った。

 今年放送の『過保護のカホコ』は、過干渉な親を描いた「ヘリコプターペアレンツ」をテーマにした作品であった。この作品がメルヘンチックな世界観を過剰に演出していたのは、親の過度な愛情は、ある面から見ればメルヘンチックでポジティブだが、別の面から見れば怖いものであるということを強調するためだったのだろうと、後になればなるほど気づかされる。

 ただ、何年も前のドラマを見ると、母親が過干渉でいつも子供の行動を見はったり、心配ばかりしているのは、愛情であって当然のことで、なんら悪くない家庭のひとこまであり、それをコミカルにすら描いてきたものもある。そんな作品を今になって見ると、もしかしてこれもヘリコプターペアレンツなのではないかと思うようなものもある。こうした母親の行動は、愛情の裏返しと長らく言われてきた。しかし、身勝手で過剰な愛情で子供を縛っているケースはある。それを明らかにするのが、今の「毒親」ドラマの重要な役割なのかもしれない。(西森路代)