藤田俊哉「それこそ“ザ・鹿島”」アントラーズ25年から見える神髄を分析

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勝村政信と皆藤愛子がMCを務めるテレビ東京のサッカー番組『FOOT×BRAIN』(毎週日曜11:00〜)。17日、人気企画「検証! Jリーグオリジナル10」の第3弾が放送され、Jリーグの最多タイトルを誇る常勝軍団、鹿島アントラーズの栄光の歴史を振り返った。

「Jリーグオリジナル10」とは、1992年のJリーグ発足時に加盟していた10クラブを指す言葉。鹿島アントラーズ、ジェフユナイテッド市原、浦和レッドダイヤモンズ、ヴェルディ川崎、横浜マリノス、横浜フリューゲルス、清水エスパルス、名古屋グランパスエイト、ガンバ大阪、サンフレッチェ広島がこれに該当する。(表記は当時の呼称)。

2017シーズン、鹿島は最終節で首位の座を明け渡し惜しくも無冠となったが、25年の歴史の中で、Jリーグ年間王者8回、ルヴァンカップ優勝6回、天皇杯優勝5回と、国内19冠で他クラブを圧倒してきた。しかし、Jリーグ発足前、鹿島の前身となる住友金属サッカー団は、日本リーグ2部に所属。そのクラブが、どのようにしてJリーグを代表するになったのか? 鹿島の11年間で9つのタイトルを獲得し、ベストイレブンに4回選ばれたレジェンド・秋田豊と、ライバルとして対峙した北澤豪、藤田俊哉が、クラブの内外から見た“鹿島の強さの秘密“に迫った。

まず、鹿島がどのようなクラブか話題になると、ライバルとして対戦した北澤は「嫌なチーム」と賛辞を送った。また、当時は少なかったサッカー専用スタジアムのカシマスタジアムは、観客との距離も近く、声援も野次もダイレクトに伝わり、応援旗が選手に当たりそうなくらい近いことにも衝撃を受けたのだとか。藤田も「試合は支配できてもスコアでは負ける。最後にまとめられてしまい、鹿島にあまり勝った記憶がない」と振り返った。

そんな鹿島アントラーズの歴史は1991年にスタート。当時、日本サッカーリーグ2部だった前身の住友金属サッカー団にジーコが加入したことで、クラブは大きな一歩を踏みだした。秋田が「彼が来なかったら今の鹿島はない。選手だけでなく、スタッフにも伝えてくれたのは大きかった」と語るように、ジーコの教えはクラブの基本理念になり、「献身、誠実、尊重」という言葉と一緒に“ZICO SPIRIT”として受け継がれていった。

そして勝村が「よく“プロ意識が違った”と言われるが、技術が伴わなくては強くはなれない。どうやってチームを作ったのか?」と質問すると、秋田はトレーニングを例にあげ、「ひとつのパスに対して、上手くなるために集中できるか。その違いだけで成長できる。練習から全力で戦い、勝負へのこだわりを持ってやってきたからこそ強くなれた」と明かした。
そして迎えた1993年のJリーグ開幕。ジーコは開幕戦でハットトリックを達成しサッカーファンの度肝を抜く。北澤も「ジーコが入ってもそこまでじゃないだろう」と思いながらテレビで試合を見たが、得点を重ねる姿に「鹿島はすごい」と考えを改めたという。そして鹿島は、1stステージ優勝を果たし、世間の注目を一気に集めることになった。

当時、ジーコとマッチアップした北澤は、マークに付いても“視界から消える動き”で簡単に剥がされてしまったそうで、「今では当たり前に言われているテクニックですが、やりながら良い勉強になった」と振り返った。さらに、94年にジーコが現役引退しても、鹿島にはレオナルドやジョルジーニョといったセレソンたちが次々に加入。ジュビロ磐田のドゥンガらも含め、当時Jリーグに在籍したブラジル代表選手たちは様々な個性を持ちながらも、共通して「負けず嫌い」で「試合でどれだけ守備に回っても、最後に1点取れば良い」という考えを持っていたという。藤田は「それこそ“ザ・鹿島”ですよね」と、ジーコをはじめとするセレソンたちの精神を受け継ぐクラブであると分析した。