―私、年内に婚約するー

都心で煌びやかな生活を送る麻里・28歳は、ある日突然、こんな決意を固めた。

女の市場価値を冷静に受け止めれば、20代で結婚した方が絶対お得に決まっている。

掲げた目標は“今年中にプロポーズされる”こと。

麻里は本気の婚活を決意するが、晴れて恋人となった優樹は結婚に前向きでない。そんな中、KY男・和也に結婚前提の告白を受けるも、結局、優樹を選んでしまう。

だが、ただの通い妻に成り下がったと感じた麻里は、ついに和也と一線を超えそうになる。




「力ずくで奪うよ。いいの?」

和也の両腕に身体を挟まれ身動きがとれなくなった麻里は、動揺と緊張でどうすることもできず、ただギュッと目を瞑った。

心臓はドクドクと破裂しそうなほど大きな音を立てているし、和也の顔は、息遣いが肌で感じられるほどの距離にある。

彼氏持ちでありながら、本当にこんな状況に身を任せていいのか。いや、それを言うなら、部屋に上がり込んだ時点で間違っていた。それ以前に、二人で食事なんかするべきではなかった...。

麻里の頭の中には様々な葛藤が渦巻くが、この状況で何を後悔しても遅すぎる。

「.........」

1秒1秒が信じられないほど長く感じられ、しばしの沈黙が二人の間に流れる。

しかし、緊張がとうとうピークに達したと思われたとき、和也が小さく呟いた。

「......やっぱ、やめた」


まさかの寸止め。その理由は...?


「やっぱ、やめた」

すると和也はサッと麻里から身体を離し、まるで何事もなかったように再度テレビへと向き直った。

「え...?」

「惚れた女の浮気相手なんかに成り下がるの、よく考えたらやっぱりムカつくわ」

麻里は急速な展開に感情がついて行かず、呆然としてしまう。

「...だから、お前が自分の意志で彼氏と別れるの待ってる。今日はもう遅いし、送っていくよ」

和也は勝手に一人でそう締めくくると、さっさとダウンを羽織り、麻里を送る準備を始める。

麻里はまだ鳴り止む気配のない胸の高鳴りを抱えたまま、うまく会話もできず、ノロノロと和也の後について部屋を出るのがやっとだった。

「今日は付き合ってくれて、ありがとな」

和也は外に出るとすぐにタクシーを捕まえ、麻里を乗せた。

あの急接近からタクシーに押し込まれるまで、わずか10分程度。

麻里は肩透かしを食らったようにぼんやりしながらも、和也の拗ねたような横顔が脳裏に焼き付いて離れなかった。


それでも執着が収まらない、その心は?


「和也氏、やるわね!男気があるわ。で、それだけ愛されて、麻里はどうするのよ?」

翌日、麻布十番の『HUDSON MARKET BAKERS』のカフェスペースにて、麻里の一部始終の報告を聞き終わったみゆきが興奮気味にテーブルに乗り出してくる。

この店には、クッキーやチーズケーキなど、お洒落でクラシカルなアメリカンスイーツがズラリと並んでおり、手土産としても喜ばれる。




「愛されてる...?どうするって、どうしよう...」

「ねぇ麻里。いい加減、目を覚ましなさいよ。和也氏とそんなに進展して、それでも優樹くんに執着する、その心は何なの?」

みゆきの口調には、もはや苛立ちが滲んでいるが、それも当然だろう。ここ最近の自分の迷走具合には、麻里自身も辟易しているのだ。

優樹とキッパリと関係を絶ち、和也を受け入れるのが自分にとって最善策なのは頭ではもちろん理解している。それに、和也に心が揺れているのも事実だ。

しかし一目惚れで劇的に恋に落ちた優樹を否定するのは、結局、自分自身を否定するのと等しい。女にとって、一度好きになった男を“やっぱり微妙だった”と認めるのは、相当な勇気がいるのだ。

それと、もう一つ。

“手に入りそうで入らない”“思い通りになりそうで上手くいかない”。

そんな駆け引きを繰り返していく中で、頭の中におかしな回路が構築されてしまったようで、優樹への妙な執着がどうしても取り除くことができなくなっているのだ。

「“愛されるより、愛したい症候群”ってやつね...。気持ちは分からなくもないけど、でも私はやっぱり、結婚相手は賢く選ぶべきだと思う。もうクリスマスも間近なのよ?」

―結婚相手は、賢く選ぶ...。

みゆきの親身なアドバイスは、麻里の心にズシっと重くのしかかる。

だが、そんな気持ちを抱えつつも、親友と別れた後に足が向くのは、やはり優樹のマンションだった。


優樹から離れられない麻里は、さらなるトラブルに見舞われる...?!


純朴で優しい彼の秘密


「麻里ちゃん、昨日は会えずにゴメンね。ひとりで寂しくなかった?」

部屋を訪ねると、優樹はいつものように麻里を優しく抱きしめてくれた。

「う、うん...」

彼の純朴な瞳に見つめられると、罪悪感がチクリと痛む。さらにその温もりによって、昨晩の和也との出来事がどうしても思い出された。

「結婚式は、楽しかった?リッツなんて、きっと豪華だったでしょ?」

「そうだね。まぁ、豪華だったけど......。でも、何か色々と大変そうだよね。ああいう結婚式は、俺はあんまり得意じゃないなぁ...」

苦々しいその表情からは、やはり優樹が結婚の話題を避けたいのが伝わる。

「でも、二次会まで行って盛り上がったんでしょ?」

「...二次会?あ、うんうん!まぁ、会社辞めた同期たちにも会えたし、いい機会ではあったかな」

それは、一瞬のことだった。

穏やかな彼の顔にほんの少しチラついた焦りと、0.5秒以下の不自然な“間”。だが、麻里の“女の勘”が起動するには十分な刺激だ。

さらに優樹は、さり気なく麻里から視線を逸らしながら続けた。

「あと...麻里ちゃん、ゴメン。実は急な仕事が入っちゃって、あとで少し仕事に行かなきゃならないんだ。夜には戻るから、よかったら、ウチにいてくれるのは構わないんだけど...」

その何となくフワフワとした口調は、明らかに怪しい。自慢ではないが、こういう勘だけは人一倍優れているのだ。

「お仕事なら仕方ないよ。私のことは気にしないで。読書でもして、ゆっくりしてる」

しかし麻里は笑顔を崩さずに答えながら、心の中でひっそりと、ある決意を固めた。




―電車じゃなくて、タクシー...?これはクロに近いわ...。

麻里は出勤するという優樹を見送ると見せかけて、彼のあとを尾行していた。

優樹の家がある赤坂から丸の内のオフィスまでは地下鉄で一本だから、堅実な彼がわざわざタクシーを捕まえるのは違和感がある。

「運転手さん、あのタクシーを気づかれないように追ってもらえますか…??」

ドラマさながらにタクシー運転手に訴える自分に虚しさを感じながらも、麻里は何かに憑りつかれたように、優樹のあとを追うのに夢中になる。

そして案の定、タクシーはオフィスでなく、なぜか六本木一丁目の静かな通り沿いに止まった。麻里は緊張で身体が震えそうになりながらも、一定の距離を置いて優樹を見張る。

そして次の瞬間、その衝撃的な場面を目にした麻里は、頭で考えるより先に、大声で彼の名を叫んでいた。

「優樹くん...!?!?」

一人の綺麗な女が、さも親し気に現れ、優樹の腕にするりと抱きついたのだ。

「ま、麻里ちゃん...!どうして......」

優樹はひどく驚いた様子で振り返ったが、隣の女はゆっくりと振り向くと、ニヤリとゾッとするような冷ややかな笑みを浮かべた。

「あぁ、コレが噂の麻里さん。はじめまして......より、ご無沙汰してます、が合ってるかしら?」

その尖った声を聞いた瞬間、身体中に戦慄が走った。

―この人って......!?

頭の中に、この声にひどく罵られた記憶が甦る。

その女の正体は、あの意地悪な優樹の元カノに間違いなかった。

▶NEXT:12月24日 日曜更新予定
意地悪な元カノとの修羅場再び。彼女と会っていた優樹の本心とは...?!