港区在住。遊びつくした男が、40歳で結婚を決意。

妻には、15歳年下で、世間知らずな箱入り娘を選んだ。

なにも知らない彼女を「一流の女性」に育てたい。そんな願望もあった。

誰もが羨むリッチで幸せな結婚生活を送り、夫婦関係もうまくいっていたはず…だったのに。

これは港区で実際に起こった、「立場逆転離婚」の物語。

15歳年下の妻・利奈(りな)に突然離婚を切り出された夫・昌宏(まさひろ)。2人は別居したが、最初で最後の話合いで胸に秘めていたお互いの本心を知った。しかし、お互いの望む未来が違ってしまったことに妻が気が付き、離婚届けが出されてしまう。しかし諦めきれない夫が、やり直したいとLINEを送ったが…。




「昌さんがホームパーティーを企画してくれるなんて、超久しぶりじゃないっすか?」

「俺は企画してない。お前がことを大きくしたんだろうが。」

笑いながら答えて、僕は音楽と笑い声の混じるリビングを見渡した。

― 家がこんなに賑やかなのは、いつ振りだろう。

“昌さんの自宅で飲みたい”と、後輩に休みを聞かれたので、僕が承諾して日程を出すと後輩は言った。

「人も料理も手配しますんで、昌さんは自慢のワインセラーから酒だけ提供してください。」

言われるがままに約束の日を迎え、インターフォンが鳴ったのだが、ドアを開けて驚いた。

馴染みの鮨職人がマグロを持って現れ、星付きイタリアンからのケータリングが届いた。仲間たちがそれぞれ女の子を連れてきたので、グラスの数が足りなくなりコンシェルジュに手配してもらった。

どうやら、女の子たちのドレスコードは「サンタクロース」だったらしく、それぞれが露出度高めな赤や白の服で、音に合わせて体を揺らしている。

DJがアヴィーチーに曲を変えると歓声が大きくなり、「カンパーイ」とグラスがぶつかる音が響いた。

コンシェルジュには状況を伝えたものの大丈夫かな、と心配になりながら、有難くもあった。

―バチェラパーティならぬ、離婚パーティってとこか。慰めてようとしてくれてるんだろうな。

たぶん、この会のきっかけは、後輩が利奈のインスタアカウントを発見したこと。

アカウント名が旧姓だったことから、勘のいい後輩が何かを察した様子だったので、ごまかすのも面倒くさくなり、離婚届けを出されたことを説明した。その数日後に飲み会をしたい、と言われたのだ。

―気が紛れる。利奈からの返信もないしな。

「昌さーん!このシャンパン開けていいっすか?」

危うく感傷に浸りそうになった所を、後輩の能天気な声に救われる。

ワインセラーから、とっておきのシャンパン・ジャックセロスを取り出しているが、もう頷くしかない。ちゃんと味わって飲めよ!と叫んだが、音楽と歓声にかき消されたようで、後輩が、え?と口パクで聞き返してくる。

もう1度叫ぼうとした瞬間、インターフォンが鳴った。後輩に指でOKという合図を出すと、楽しげに踊るサンタ達をかき分けながらモニターの前まで行き、通話ボタンを押した。

「お届けものです。」

まだ何か届くのか?

半ば呆れながら開錠すると、背後でポンっという音が響いた。レアなシャンパンが開きましたー、というハイテンションな後輩の声にまた歓声が上がり、僕も笑った。

届け物がなんなのか、知る由もなく…。


思っていたより全然だめだ…新生活を始めた元妻の苦労


利奈「思っていたより、全然ダメだな私」


「ただいまぁ」

応える人はいないのに、狭い玄関でスニーカーを脱ぎながらそう言うことが、この新しい生活の儀式のようになっていた。

―ヒールの靴、履かなくなったな。

靴を揃え、振り向くとすぐに見渡せる、25崢のワンルーム。

「離婚して、東京で1人で生活していくなんて、覚悟がいるぞ。」

父はそう言い、帰って来いと心配してくれたけど、頼み込んで保証人になってもらって借りた小さな部屋。引っ越して2週間が経つというのに、片付けきれていない我が家を見渡して、私は溜息をつく。

家具らしいものは、かろうじてかけたカーテンと、ベッドだけ。洋服は、まだ段ボールに入ったものも多い。

―思っていたより、全然ダメだな私。

週に2日のハウスクリーニング、故障はコンシェルジュに頼めば解決、そしてフラワーアーティストが部屋を美しく飾ってくれる。そんな生活をさせてもらっていたことが、いかに恵まれていたのかを、今更ながら思い知る。

1人で暮らしていくには、料理教室の給料だけでは厳しいよ、と藍子さんにもアドバイスされ、イタリアンレストランのシェフアシスタントとして正式に雇ってもらい、ランチもディナーも出るようになったが。

仕事から帰ると、疲れてベッドに倒れこむこともざらで、家事は得意だと思っていたけれど、部屋を花で飾る余裕などない。日々が精いっぱいだ。

―でも、頑張れるはず。

疲労感はあっても、日々やりきった、という達成感も大きい。




1つだけ買ってきたマグカップにティーバッグを入れお湯を注ぐと、カモミールの香りに癒される。明日は花瓶を買ってこようと小さな目標をたてながら、一口、口に含んだ時、電話が鳴った。

この番号を知っているのは、ほんの数人で、着信画面を見ずとも誰からなのか分かった。私は躊躇なく通話ボタンを押して応える。

「もしもし」

「あ、利奈ちゃん…よね?遅くにごめんね。」

やはり藍子さんから。遅くに、という言葉に携帯を見なおす。時間は23時を回った所だった。

いいえ、私も今帰ってきたところなんです、と返した私に、そっか、と言いながらも、藍子さんの様子は少し変だった。

「利奈ちゃん、携帯新しくしちゃった、のね?…いつ?」


離婚届けを出し、元夫にメッセージを送った直後の意外な行動とは?


「昌宏さんの家を出てすぐなんですけど…。ごめんなさい。」

新しい番号を藍子さんにショートメールしたのは今日だが、携帯は少し前に購入していた。

生活に必死で、連絡が遅くなってしまったことを謝ると、藍子さんが何かをつぶやいた。何と言ったか分からずに聞き返すと、今度はきちんと声が聞こえた。

「前の携帯って、もう使ってないの?」

「はい。」

私の答えに、そう、と言ったきり、藍子さんは黙ってしまった。声のトーンが落ちたことが気になったが、何となく聞き返せず、私は前の携帯の事を藍子さんに説明する。

前の携帯。それは結婚してすぐに昌宏さんが、夫婦で同じキャリアにしよう、と契約してくれた携帯だった。

「家族割って、何かいいね。」

そう言って、照れくさそうに笑った彼の表情を今も覚えている。




昌宏さんのお金を使わない生活を始めてからも、彼が契約者だったので解約できずにいた携帯。

家を出てくるときに置いてくるべきだったな、と後悔したけれど、離婚届を出したら返そうと決めた。

離婚届の証人は昌宏さんが共通の知人に頼んでくれた。その後昌宏さんの戸籍謄本が送られてくるのを待って、私が港区役所に向かったのは、最後に会った日から3日後だった。

窓口の前まで行ったのに、係の女性が話しかけてくれるまで、私は受け付けができなかった。

促され、手続きが始まってからも私の動悸は早いままで、周りに気づかれないように俯きながら、小さな深呼吸を繰り返した。

「手続き完了です。」

事務的な声が、まるで頭の中に直接侵入したようにクリアに響き、顔を上げた。

とっさに、ありがとうございました、という声が出た私に、係りの人は、お疲れ様でしたと返してくれた。

―お疲れ様でした、か。

妙に切なく聞こえたその言葉に、こみ上げてくる感情を必死で押さえつけながら、急いで外へ出た。その勢いのままに、私は携帯を取り出す。

離婚届けを出したら、すぐに報告すると昌宏さんに約束していたから。LINE画面を開き、考えていた文章を打ち込む。

「離婚届け、本日出させていただきました。お世話になりました。」

けれど、これが最後の挨拶になると思うと、なぜか中々送信できず、私が送信ボタンを押したのは結局夜遅く、その日が変わる直前になってしまった。

送信完了の音が聞こえた。既読になるのを確認して携帯の電源を落とす。この携帯を使うのもこれが最後。この携帯の最後の役目は、彼への感謝の言葉にしたかったから。

「だから、それ以来前の携帯の電源は入れてないんです。」

そう説明した私に藍子さんは、そっか、と言って、また黙ってしまった。

「藍子さん、どうかしました?」

「昌宏のLINE、見てない、ってことよね?」

「えっ?」

「利奈ちゃんが昌宏に離婚の報告をした後、彼が返信してるの。」

返信が来るかもしれないとは思っていた。けれど、それも承知で電源を落としたんです、と私が言うと、違う!と藍子さんが珍しく興奮した様子で声を荒げて言った。

「利奈ちゃん、私からのお願いを聞いてくれないかな?1回だけ、携帯の電源を入れてくれない?昌宏が送ったのはただの返信じゃないの。きっと1通じゃないし、電話も掛けてるかも。」

早口の藍子さんに圧倒される。だけど…。私は自分の動悸が早くなるのを感じていた。

「利奈ちゃんが、ずっと知りたかった昌宏の本心が書かれてるはずなの。プライドとか自己防衛とか取り払った昌宏の本音。もう1回やり直したい、っていう気持ちが。だから…」

「もう、遅いんです。」

藍子さんの話が終わるのを待つのがたまらず、私は言った。

私が、彼のメッセ―ジを読むことは、もう永遠にできないのだから。

「電源は、もう入れられないんです。」

もし、私が携帯の電源を落とすのが、もう少しだけでも遅ければ、私たちの運命はまた変わったのだろうか?


「もう携帯の電源は入れられない」と利奈が言う、その残酷な理由とは。


昌宏「これで最後にしよう」


パーティの喧騒がドアの向こうから漏れてくるベッドルームで、僕は1人、届け物の中身に茫然としていた。

送り主は、利奈。そして中身は、利奈が使っていた携帯電話。

僕が2週間近くメッセージを送り続け、電話も掛けた携帯。恐る恐る電源を入れてみる。

―初期化されてる。

手紙が同封されていた。

「お手数をおかけしますが解約をお願い致します。長い間使わせて頂きありがとうございました。」

僕は脱力し、ベッドに仰向けに倒れこんだ。

自立したいと言った利奈が、僕が買った携帯を使い続ける訳はない。冷静に考えればすぐに想像できることなのに、それに気が付かない程、僕は必死でメッセージを送り続けていた。

自分の無我夢中さに笑えてきた。僕は自分の携帯で、利奈とのトーク画面を開いてみた。

一方的に何十通も並んだ彼女への、僕からのメッセージは、全て未読のまま。

会いたい、やり直したい、愛してる。プライドも恥も捨て、どんなに赤裸々に、情熱的に書いた言葉でも、「既読」の表示が付かない限り、ただの独り言に過ぎない。

―遅すぎた、ってことか。やっぱり僕たちは…。

仕事でも1度タイミングを間違えれば、ズレや勘違いはどんどん広がり交渉は失敗する。そして失ったものを取り戻すことは容易ではない。

だからこそ、コミュニケーションは密に、今、その瞬間を大切にすること。自分が部下にいつも言っている言葉が、自分の胸に突き刺さる。

全力で戦った試合に敗れた、清々しさにも似た悔しさ。思わず溜息が出た。

―これで最後にする。

僕は携帯のアドレス帳を開き、久しぶりの番号に、電話を掛けた。

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ついに最終回!“元夫婦”となった年の差カップルはこのまま終わってしまうのか?