今も絶大な人気を誇る新幹線0系は青函トンネルの誕生にも一役買っていた(筆者撮影)

本州と北海道を結ぶ青函トンネルは、1988年3月13日に開業して、もうすぐ30年を迎える。2016年3月26日には北海道新幹線が開業し、新幹線と在来線が同じ線路を共用する区間となった。

青函トンネルの長さは53.85kmで、海底トンネルとしては世界一の長さを誇る。また2016年にスイスのゴッタルド・ベース・トンネルが開通するまでは、世界一長いトンネルだった。

全長は53.85kmだが、海底部分の長さは23.30kmである。半分以上は陸の下を走っているわけだ。青函トンネルはなぜこれほど長いのだろう。この青函トンネルの長さを決定づけたのが、実は新幹線0系だったのである。

当初計画ではもっと短かった

青函トンネルの構想は大正時代にすでに存在していたが、実際に調査が始まったのは戦後のことだ。そして1954年に発生した青函連絡船の洞爺丸事故によって一気に計画が具体化、1964年から吉岡斜坑の掘削を開始した。

実はこの当時設計されていた青函トンネルは現在のものとは異なる。長さは36.4kmと、現在の青函トンネルよりも17.45kmも短い。また本州側の入り口は津軽線の終点三厩(みんまや)駅の先で、北海道側の入り口は廃止された松前線の渡島福島付近に予定されていた。

長さが短い理由は、在来線の規格で設計されていたためだ。図面によると、入り口から20パーミルの勾配で海底から100m地下まで下りて、中央部分は3パーミルの勾配で通過していた(注:1パーミル=水平距離1kmに対して1mの勾配がある状態)。

しかし1964年に東海道新幹線が開業したことにより、全国的に新幹線を建設する機運が高まった。そして1970年に全国新幹線鉄道整備法が制定された。この時点では青函トンネルはまだ斜坑や先進導坑を掘っているところで、本坑に着手してはいなかった。

また北海道新幹線の計画が決まれば青函トンネルを通すことになるのは自明の理である。そこで青函トンネルを新幹線規格に設計変更され、1971年から本工事に着手した。なお北海道新幹線は1973年に整備新幹線に指定されている。

この新幹線規格だが、線路幅や車体サイズの違いによるトンネル断面の違いはもちろんのこと、平均勾配を20パーミルから12パーミルに変更する必要があった。では、なぜ12パーミルなのだろうか。


関ヶ原付近を走る新幹線N700A(筆者撮影)

実は東海道新幹線は最急勾配20パーミル、連続平均勾配15パーミルで建設された。その結果、東海道新幹線の関ヶ原付近には連続15パーミルの勾配が続き、さらに20パーミルの勾配も点在している。

国鉄の計画ではこの勾配区間を0系は時速200kmで登れると計算していた。しかし実際には関ヶ原を走行中の0系のモーターが過熱してしまう問題が発生したのだ。

地上の共用区間が長い理由

そのため、山陽新幹線では建設基準を変更し、最急勾配15パーミル、連続勾配を12パーミルとした。この建設基準は整備新幹線にも適用されたため、北海道新幹線を通す計画があった青函トンネルも12パーミルに変更したわけである。


青函トンネルを抜けた新幹線H5系(筆者撮影)

勾配が緩くなったため、出入り口の位置も大きく動き、その結果トンネルの長さが53.85kmに延びることとなった。当然建設費も大幅に上昇している。

また、出入り口が在来線から大きく離れた場所となった。しかし北海道新幹線が開業するまでは在来線を通す計画だったため、新幹線と在来線が近づくポイントまで地上路線も新たに建設。これが現在の新幹線在来線共用区間となっている。

当時の0系の性能から決まった青函トンネルの勾配と長さ。青函トンネルと0系には意外なつながりがあったわけである。