『誰がスティーヴィ・クライを造ったのか? (DALKEY ARCHIVE)』マイクル ビショップ 国書刊行会

写真拡大

 作業中にパソコンのハードディスクがぐぐぐと唸りだしておだぶつになった経験のあるすべての方にこの本、マイクル・ビショップ『誰がスティーヴィ・クライを造ったのか?』をお薦めする。焦るよね、あれは。

 アメリカ南部ジョージア州の小都市に住むスティーヴィことメアリ・スティーヴンソン・クライは、二人の子供をライターの仕事で養っている。仕事道具は亡き夫のテッドがプレゼントしてくれた七百ドルの電動タイプライターだ。小説の発表年は1984年、すでにワードプロセッサーはこの世に誕生していたが普通の人間にはちょっと手が出ない価格だった時代である。スティーヴィが記事を書いている最中にタイプライターの中で致命的な何かが起き、ぴくりとも動かなくなった。親友のドクター・エルザに代わりの機械を借りてなんとか記事は仕上げたものの、スティーヴィは困り果ててしまった。小さな子供を抱えている身ではタイプライターを修理に持っていくこともままならない。最寄りのサービスセンターまででも40マイルはあるのだ。そんな彼女に、エルザはいいことを教えてくれた。タイプライターを格安で直してくれる店があるというのだ。

 エルザ万歳。たしかにタイプライターはすぐに直った。修理代金はわずか10ドル67セントである。店に問題があるとすれば、応対に出た若者だけだ。その男、シートン・べネックは人の目を見て話そうとしないし、心に届かない言葉を繰り返し口にするし、要するにまったくスティーヴィとは反りの合わないタイプだった。たしかに腕はいいのだけど。

 しかし、家に帰ってさっそく愛機を動かしたスティーヴィは仰天することになる。ある単語を打とうとした瞬間、機械は別の単語をはじき出したのである。さらにその夜、スティーヴィが眠っている間に、タイプライターはもっと度の過ぎたいたずらをやってのけた。今度は単語ではなく、まとまった物語の一節を勝手に書いたのだ。その内容は、セオドア・クライ・シニアこと、スティーヴィの亡き夫にまつわるものだった。

 職人がうたた寝している間に仕事を終わらせてくれるのが靴屋の妖精だが、こっちはライターに代わって原稿を書いてくれるのである。だが、スティーヴィは喜べない。原稿の中身がすべて彼女の身辺に関することで、時には侮辱としか言いようのないポルノグラフィーまがいのものまで文章にされるからだ。明らかにいたずらの張本人は修理屋のシートンだ。そんなことをしでかしただけでも迷惑なのに、彼は何かと口実をつけてクライ家にやってこようとする。言うことをきかないタイプライターだけではなく、家宅侵入を企む気味悪い男までがスティーヴィの悩みリストには加わってしまったのだ。

『誰がスティーヴィ・クライを造ったのか?』は、得体の知れない何かに憑りつかれてしまった女性が家庭の平和を守ろうとして孤軍奮闘する恐怖小説である。主人公の視点の章の合間にタイプライターが書き上げた偽りの現実の章が挟まる構成になっており、ところどころで唐突にそれが切り替わる。きちんとウインカーを出して進んでいくような小説ではないので、自分が現実側にいるのか、虚構側にいるのか、わからなくなる読者もいるだろう。そうした形で見当識を失わせる狙いなのである。ぼんやりページを繰っていると足を取られることになるので、ゆめゆめ油断することなかれ。

 もう一つの読みどころはスティーヴィを悩ませる敵、シートン・べネックだ。彼のキャラクターは最近の言葉で言えばコミュ症、すなわち会話が成立できない相手であり、それがしつこく付きまとってくるのである。何度追い払ってもやってくる。肩に気味の悪いカプチン・モンキー(オマキザル)のクレッツを乗せてやってくる。べネックを追い払ってもクレッツは家の中に逃げ込み、屋根裏に隠れて出てこない。払っても払っても取れない毛玉のような1人と1匹の嫌がらせを、いらいらしながら楽しんでいただきたい。

 メタフィクション的な趣向を除外すれば、本書は変型のサザン・ゴシック、すなわち日常に入り込んだ超自然現象によって登場人物の運命が左右される物語である。読み進めていくうちに判るのは、男の身勝手さによって女性が苦しめられる小説でもあるということで、その敵役におよそ南部の男性っぽくないシートンというキャラクターが配置されているのは作者の皮肉なのだ。結末近くでわかる因縁の正体がわかると、主人公が背負ったものの面倒くささに思い切り同情したくなる。がんばれ、スティーヴィ。

 本書は若島正と横山茂雄が共同監修する〈ドーキー・アーカイヴ〉の1冊として刊行された。本書のような異色作を集めた叢書であり、他ではありえない読書体験を約束してくれる。次はどんな不思議を味わわせてくれるだろうか。

(杉江松恋)