10月末に外国人記者クラブで会見を開いた伊藤詩織氏。海外メディアからは「日本の女性は助けの手を差し伸べてくれたのか」という質問も出た(編集部撮影)

男性警察官に囲まれ、1人の女性が自分の体の上に乗せた人形を上下に動かしながら、自分が性的暴行を受けた時の状況を再現――。

元TBSワシントン支局長に性的暴行を受けたと民事訴訟を起こしている伊藤詩織氏にとって、これは彼女が耐えた屈辱の1つにしかすぎない。伊藤氏はこのとき、警察官に対して自身がどんな被害に遭ったかを説明していたのである。

成田空港で直前の「逮捕取り消し」

伊藤氏は2015年4月3日の夜、ジャーナリストの山口敬之氏におそらく薬物を飲まされて、性的暴行を受けたと主張している。もともと仕事上で面識があった同氏と、TBSワシントン支局への就職について話をするために夕食に出向いた伊藤氏だが、2軒目のすし屋で数杯飲酒した後、気を失った。その6時間後、彼女が見知らぬホテルで目覚めた時、山口氏が上にまたがっていたと伊藤氏は主張している。

10月18日に上梓した『ブラックボックス』、そして、その後、外国人記者クラブで開いた記者会見などを通じて、伊藤氏の体験は広く世間に知られるようになっている。詳細は同書に譲るが、伊藤氏によるおおまかな主張は以下のとおりだ。

伊藤氏が被害届を出しに行った高輪警察署は、「準強姦罪」(現在は準強制性行等罪)の疑いで捜査するための十分な証拠があると考えた。そして、伊藤氏が酩酊したすし屋の職人や、伊藤氏らをホテルまで乗せたタクシー運転手に話を聞き、山口氏が伊藤氏を抱きかかえて運ぶホテルの映像の確認もした。

入念な捜査の後、裁判所から逮捕状の発付を得て、2015年6月8日には、成田国際空港で山口氏を逮捕する予定となっていたが、警視庁からの電話で逮捕は取り消しになったとされる。『週刊新潮』によると、突然逮捕状が取り消されたことについて、当時、警視庁の刑事部長だった中村格氏が自らの判断だったと認めている。

その後捜査は、警視庁捜査一課に回され、書類送検されるが、不起訴処分となる。検察の判断を不当と感じた伊藤氏は、検察審査会に申し立てるが、同審査会も9月22日に「不起訴相当」とする議決を公表。が、事態はここで収束せず、伊藤氏は1100万円の損害賠償金と真相究明を求め、東京地裁に民事訴訟を起こし、12月5日には、第1回口頭弁論が行われた。

一方、この間、山口氏は自身のフェイスブックに、「法に触れることは一切していません」「当該女性が今回会見で主張した論点も含め、1年余りにわたる証拠に基づいた精密な調査が行われ、結果として不起訴という結論が出ました。よって私は容疑者でも被疑者でもありません」とコメント。検察審査会が不起訴相当の決議を公表した日も、「これによりこの案件は完全に終結し、不起訴が確定しました」と書いている。

また、第1回口頭弁論で提出した答弁書では、伊藤氏側の「原告が意識を失っているのに乗じて、避妊具もつけずに原告の下腹部に陰茎を挿入させる等の性行為を行った」などの訴えを全面的に否認し、争う姿勢を示している。今回、山口氏には弁護士を通じてコメントを求めたが、係争中との理由でコメントは得られなかった。

日本の性的暴行対策は遅れている

大物ジャーナリストが絡んでいる件にもかかわらず、当初、日本の主要メディアはこの件をほぼ報じなかった。また、安倍晋三首相に関する著書もあって、首相と懇意だとされる人物のスキャンダルだというのに、国会で取り上げられることもなかった。「山口氏は安倍首相に近しいジャーナリストで、今回の組閣についても相談を受けていた」と山口氏のかつての同僚は話す。

もう1つ、今回の件が図らずもあぶり出されたのは、性的暴行対策について日本がいかに遅れているか、ということである。自らがニュースになるとは思っていなかった伊藤氏は、被害者としては正義を、そして、ジャーナリストとしては日本が性的暴行被害者とより真摯に向き合う社会に変わることを望んでいる。「私には山口氏に対する怒りはないし、高輪署に文句もない。ただ、日本社会が少しでもよくなるようにしたい」と同氏は言う。

そもそも、日本人の多くが、伊藤氏と同じ状況に追い込まれた場合、まずどうしていいかわからないのではないだろうか。実際、伊藤氏も、性的暴行を受けたとする直後からの「極めて重要な時間」に、法的助言を得たり、必要な支援を求めたりする時間に充てるべきだとは知らなかった。

彼女が助けを求めた先の対応もお粗末だった。訪れた近所の産婦人科医は、伊藤氏が診察室に入ると、伊藤氏と目も合わせず「いつ失敗されちゃったの?」と聞いてきた。そして、モーニングアフターピルを差し出すと、ドアを指し、退室するように促したという。

NGOにも連絡したが、電話に応答した女性は何の理解も共感も示さず、情報提供は面談してからでないとできないと告げた。伊藤氏が混乱していたこの時間に、適切な支援が得られていれば、実際に薬物が使用されたのか、そして、性行為の前に身体的な暴力があったのかなどを調べる、法医学的検体を採取できたかもしれない。

伊藤氏によると、事態が発生してから5日後にようやく警察署へ出向いた時も、警察は当初、捜査に対して後ろ向きだっただけでなく、伊藤氏自身のために、刑事責任を問わないように助言したという。女性検察官で『性犯罪・児童虐待捜査ハンドブック』の著者、田中嘉寿子氏によると、強姦事件のわずか4%だけしか、実際に警察に通報されていない。通報された場合でも、半数は起訴を断念。有罪判決が下された場合でさえ、初犯なら執行猶予がつくことがある。

11月17日、法務省は「犯罪白書」を発表した。それによると、日本で強姦被害に遭う割合は、10万人に1人と他国に比べて圧倒的に低い。フランスはこれの19倍、米国は31倍に上る。しかし、この数字が実際に日本で起こっている強姦の数字を表しているのかどうか法務省関係者に問うと、「これはあくまで通報された数字だ」と明かした。

強姦被害数は過少報告されている

別の法務省関係者はこう話す。「白書には他国との比較も収録されている。国連からそうするように要請があったからだ。しかし、強姦の定義は国によってまちまちなので、こうした比較は少々誤解を招くおそれがある。強姦が日本では過少報告されていることを、われわれは認識している。警察は事態を改善し始めた。われわれも、被害調査を実施し、被害者と刑事訴訟を関連づけてきた。今後もさらに被害調査を実施する」。

一方、フランスでは被害実態をより詳細に把握する努力がなされている。たとえば、こうした調査では、被害者の心情や話しやすさを考慮して、「強姦」という言葉が使われることはない。最近のフランス政府の発表では、フランスでは年間8万4000人が強姦被害に遭っており、このうち約1割が訴えを起こしている。

さらに重要なのは、2017〜2019年にかけて1億2500万ユーロ(約167億円)をかけて、性的暴行被害者を支援するシステムを確立しようとしていることだ。

たとえば、被害相談のためのホットライン「3919」には年間約5万件の相談が寄せられるほか、フランス全体にカウンセリングセンターを327カ所設置。さらに、2013年からこれまでに約30万人に上る公務員が性的暴行に関する相談に対応できるよう訓練を受けているほか、被害者が簡易的に訴訟を起こせる制度もある。

日本でも、「女性団体などNPOの対応は少しずつ改善している」と、伊藤氏の弁護団の1人で、性的暴行に詳しい西廣陽子弁護士は話すが、それでも対策が遅れていることは否めない。伊藤氏も10月に開かれた外国人記者クラブの会見で、「複数の女性弁護士からは連絡があったが、日本の女性団体から支援するという連絡はなかった。唯一連絡があったのは、イギリスにある女性権利の保護団体だった」と語っている。

数年前に日本で起きた強姦事件で、あるフランス人女性の代理人を務めたフランス大使館元随行警察職員も、自らの経験を次のように回想する。「警察官は被害者に対していかなる共感も示していなかった。彼女が薬物を摂取した状態で強姦されたので、警察は彼女にも責任の一端があると考えていた。たとえ彼女が不本意に薬物を飲まされていたとしても、だ。

この事件を扱っていた女性警察官ですら、男性と同じ反応を示していた。30年前のフランスの警察官だったら、レイプ被害者をそうやって扱っていただろう。しかし、今のフランスの警察は、レイプの通報があれば、被害者の証言を額面どおり受け取り、共感を示す。そして、警察は被害者の主張を立証することに力を尽くす」。

伊藤氏は、検察審査会の判断にも疑念を抱いている。発表によると、審査会の構成員11人のうち、女性は4人のみ(平均年齢は50.45歳)。仮に構成員の女性比率が半分に近い水準であれば、判断は変わっていたのではないか、と思うこともあるという。

世界的に広がる「#MeToo」の動き

現在、世界では性的暴行やセクハラに対する非難が世界的に高まっており、伊藤氏の件に関する海外メディアの関心も高い(実際、外国人記者クラブの会見には、多くの海外メディアが訪れていた)。きっかけとなったのは、10月15日付の米ニューヨーク・タイムズ紙が報じたハリウッドの映画プロデューサー、ハーベイ・ワインスタイン氏による性的暴行やセクハラ疑惑で、これに世界中の女性たちがたちまち反応したのである。

こうした中、女優のアリッサ・ミラノ氏がツイッターで被害を受けたことのある女性に「#MeToo(私も)」と声を上げるように呼びかけると、多くのハリウッド女優や世界中の女性たちが次々と自分の経験をツイートする一大ムーブメントに。これまで性被害に遭ってきた女性だけでなく、男性たちも自らの体験を共有し始めたのである。

しかし、日本ではこの動きがどうやら#youNeither(あなたも被害者ではない)になってしまったようだ。

実際、伊藤氏は女性を含む国民からの無関心や疑惑、ひどい反感に直面している。10月末の会見で伊藤氏は、「女性から脅迫やネガティブなコメントを受けたこともあった」と明かしている。

「今の(日本の)環境で生きていくには、忍耐強くなければいけないと(女性側が)思っているからではないか。たとえば、スウェーデンでは、警察官の30%が女性で、この割合は高いポジションでも変わらない。日本では、女性の地位や社会的立場、権力が低いことが(バッシングに)影響しているのではないか」。

日本では、女性の女性に対する「冷たさ」を感じる。たとえば、筆者の知人女性は伊藤氏の件について、「男性と2人きりで、夜遅くまで飲酒する女性なら、こんなことが起きても驚くべきではない」と話す。

こうした中でも伊藤氏は、警察での手続きや、いつ終わるともしれない事情聴取、彼女自身に向けられた疑惑の目、示談や金銭的解決を促す圧力に耐えた。5月19日には、身元を隠さずに記者会見を開くという前代未聞の手段にも出た。公表することに反対した肉親もいたため、しばらくは自らの姓を隠すことを選んだが、最近になってそれも明らかにすることにした。

社会が望む被害者の役割は果たさない

友人からの助言を退け、伊藤氏は社会が彼女に演じることを望んでいる被害者の安直な役割を果たすことを拒絶した。記者会見には、白いシャツの上に黒いスーツを着用し、普通の現代的な若い女性として臨んだ。

当時、森友・加計スキャンダルの真っ最中だったこともあり、安倍首相の支持者とアンチとの政争に巻き込まれそうになったと伊藤氏は主張する。同氏によると、『週刊新潮』で同氏の記事が掲載されようとしているといううわさが広がった時には、自宅に警察が訪れ、彼女の行動に政治的な意図があるのかどうかをチェックしたとしている。

今後、民事訴訟がどう進むのかは未知数だ。伊藤氏の弁護団の1人、杉本博哉弁護士は、「(民事訴訟は)一般的には1年半くらいかかる」と見る。「逮捕されるのと、されないのでは、証拠の質が違う」(同氏)ため、伊藤氏の主張が完全に認められるかどうかを現時点で予測するのは難しいが、仮にホテルの映像が証拠として提出されるようなことがあれば、真相究明に近づくかもしれない。

筆者自身は、警視庁の刑事部長だった中村氏が突然逮捕を取り消したにもかかわらず、それに対する正当な説明をしていないことを不誠実だと感じている。ここへきて、中村氏に説明を求めようとする動きもあるようだが、日本の政治家がなぜこの件について同氏に説明を求めてこようとしなかったのか、不思議でしょうがない。司法が政治から独立したものであることは理解しているが、それこそまさに「ブラックボックス」だ。

伊藤氏は会見でこう話していた。「日本のメディアは、不起訴だから報じないのではなく、それが本当に正しい判断だったか考えてほしい」。民事訴訟で真相究明が進むと同時に、日本で性的暴行対策が改善することが望まれる。